02-1
名前と付き合い始めてその旨を皆に伝えると『今まで長かったスね』とか『白石と名前って両想いやったん!?』とか各々の言葉が返ってきたけど、背景に祝賀がある事や俺の彼女やって言えた事が単純に嬉しかった。
俺も名前も、馬鹿みたいに毎日笑い合って毎日隣に居てた。
『あれ、無い、無い!』
「名前?何が無いん?」
『蔵に借りてたペン、無くて…筆箱に入れたと思ったのに』
ペンて言うたら…昨日スコア書く時に貸した物やろう。比較的“のほほん”としてる名前やから必死になって焦る姿が新鮮でそれもまた愛くるしい。
「そんなんいつでもええよ。なんならずっと持っときや?」
『駄目だよーちゃんと返すから!でもおかしいなぁ、入れておいたんだけどな』
「名前はおっちょこちょいやからなー、ククッ」
『わ、笑わないでよ』
どうせやったらそのまま名前の物にしてくれればええのに。
たかがペン1本でも、自分の所有物が彼女の傍にあったら幸せやない?
『…………』
「どないしたんや、黙りこんで」
『――う、ううん!なんでもないよ!』
「ならええけど」
思い返せば明らかに名前の様子は可笑しかった。何で気付いてあげられへんかったんやろう…俺は自分の事ばっかりで、目先しか見えず些細な変化も読み取れん情けない男でしかない。
せやけど、
「あんな、明日部活休みやしデートせえへん?」
『で、デート!?』
「うん。休みでも名前に会いたいし」
この時、全力で彼女を想ってたからこそ“初めてのデート”に眼が眩んでたって言うても過言やない。普通を装ったって心臓は迷惑なくらい煩かったから。
『うん、うん!遊びたい!』
「ククッ、そんな気合い入れて返事せんでも」
『、っ!』
「そうゆう素直なとこ、好きやねんけどな」
『…は、恥ずかしいんだけど……』
「そうそう、そういうとこ」
『!!』
髪の毛を遊ばせる様に弄って、照れ臭いと顔に出す素直さが好き。柔らかい髪も、赤くなった顔も、全部が全部好きやってん。
□
「今日もお疲れさん」
時々が当たり前に変わって並んで歩く帰り道。
重なって欲しかった影も今では終始左手と右手が繋がってる。
『アタシは別に、蔵の方が疲れたでしょ?練習お疲れ様』
「おおきに。せやけど俺疲れてへんよ」
『本当に?今日も一段とハードだったのに、』
「…明日、名前と会える思たらしんどいとか何も思わへんかって」
『―――――……』
そない驚いた顔せんでもホンマの気持ちやねんで?もう我慢せんでええんやなって思ったら、時間なんてあっという間に過ぎてった。
なぁ、こんな“恋に恋しとる”様な男笑てしまうやろ?
「ほな、明日な?遅刻は許さへんで?」
『うん。11時だよね』
「迎え行くから」
『じゃあ明日、おやすみ』
「おやすみ」
掌に残した温もりが名残惜しいけど手を振って。玄関のドアノブに手を掛ける名前を見送ったら俺も踏み出そうと思たのに…俺の眼には昔の俯いてた彼女がダブってしもた。
「名前!」
『、え?』
「あ…いや、気のせい、かもしれへんけど……」
『……?』
思えば部活中も空笑いしてた気がする。
『蔵?』
「今日、元気無さそうに見えてん…何かあったんかなって、」
『蔵…』
気のせいであって欲しい。
俺の思い過ごしやって…普段と変わらんいつもの名前が善い。
「いや、別に何も無いならええねんけど!ただ、何かあったら…俺に言うてや……?」
『……………』
「何も出来ひんかもしれんけど、話くらいは聞いてやれるし…名前の力になってやりたいねん…」
何も無いに越した事は無いけど、もし何かあるんなら…その時は誰よりも俺が理解者になってやりたい。それは揺るぎない事実。
『、有難う。でも大丈夫』
「ホンマに?」
『うん、ちょっと寝不足だっただけ』
「せやったんか…なら今日はゆっくり寝るんやで?」
『うん!』
「今度こそ、また明日な」
『うん、また明日』
寝不足で身体が怠い、名前の言葉を信じて俺の心配は空へ投げた。
俺が見送る側やっていうのに断固として家へ入らず視線をくれる彼女に「早く逢いたいなぁ」て気持ちばかりが焦った夜のこと。
□ □
待ち遠しかった数時間を経て、約束の時間より3時間も早く起きた俺は顔を洗っては鏡を見て、歯を磨いては鏡を見て、着替えを済ませたら鏡を見て。
女の子が化粧してる訳ちゃうんやから何度自分を映したって顔も何も変わるわけやないのに。
俺ってこない女々しかったんやなぁって新たな一面を垣間見た気がした。出来れば知りたくなかったけど…
そうしながら今日は何処に行こかなぁ、とか、名前の事を考えてると時刻は11時の30分前。浮き足で家を飛び出した。
燦々とした空を背中に『ピンポーン』と鳴るチャイム。
もしまだ寝てたらどないしよ。それはそれで寝起きを拝めたら有りかもしれやん。せやけど名前は完璧に支度して俺を出迎えてくれるに違いない、そしてバタバタと足音が聞こえて扉は開く。
『蔵――!?』
「おはよ名前。支度出来てるみたいやな」
ほらな、やっぱり完璧や。
いつもより少し派手な化粧姿もホンマに可愛い。何より俺の為に頑張ってくれるっちゅう事が最高に嬉しい。
『……………』
「名前?」
『来ない、かと思った…』
「……………」
でも、浮かれる俺の前に居ったのは薄ら涙を浮かべて不安気な顔した名前やった。
『もう、来ないんじゃないかって…』
「……阿呆やな、そんなことある訳ないやろ?」
『良かっ、た……』
「…………」
こない楽しみに待ち侘びてたのに約束を果さん訳が無い。名前やって同じ気持ちやろ…?せやのに何でそんな風に思うん?俺が信用出来ひん?
そういう意味ちゃうねんな…?
『……………』
気になる、
ホンマはめっちゃ気になる。何で俺が来おへんて思たんか…
せやけど憂色で口を閉ざした彼女を見たら、触れたらアカンと脳が告げてて。
「…ほな行こか、名前」
ソレに沈黙を決め込んで指を絡めたら途端くしゃくしゃに笑うから、少しだけ安心したんや……
『蔵、早くー!』
「そない急がんでも昼飯は逃げへんでー?」
時間も時間やいうことでまずはご飯でも食べようって話になって。
さっきの彼女は何処に行ってしもたんやろかと思うくらい爛漫にはしゃいでた。
『いいから早く!』
「めっちゃ張り切ってんなー」
『嬉しいんだもん!』
「………阿呆、」
『へへっ!―――あ、』
その様子は俺の好きな彼女そのものやったから、水に流して今を楽しめばええって。名前が笑うなら他に何も望まへん。
そして大きな交差点にさしかかった時、早足な彼女にタイミング悪く信号が赤に変わってしもた。
残念ながらほんの少し休憩やな、そう言おうと口を開けた瞬間、
『蔵、信号変わっちゃうよ!』
更に歩幅を広げる彼女を単純に“可笑しい”と思った。
「名前!?ちょ、待て―――」
『!?』
赤信号にも構わず横断歩道に突っ込んだ名前に、凄まじく大きな音で街中に響いたクラクション。
『……………』
「――っの、阿呆!!何しとんねん!幾ら急いでる言うても危ないやろ!!」
俺の腕に収まった名前に死ぬ思いで安堵した。良かった、間に合うて良かった…
思わず罵声をあげてしまうけどそれだけ心配したんや、分かるやろ?それにしても何で…何で名前は赤信号で車が来とる中飛び出したん?
『え?だって信号は…』
「赤で突っ込む奴があるか!自殺行為もいいとこやねん!」
『、だよ…?赤だから、渡って――…』
「……は?」
何で、飛び出したん…?
信号が“赤”やから?
“赤”やから急いで渡ろうとしたっちゅうこと…?
「名前…どないしたんや…?」
『――――…』
此処に居ったのは昔の顔した、俺の知らん彼女やった。
□
『……蔵…』
「ん?」
『アタシ、やっぱり嫌だ、よ…』
「せやけどな、念の為や……きっと何も無かってんなって、笑い話になるて」
今日会って直ぐの態度、信号を赤で渡ったこと。それ等を踏まえて何かあると思た俺は急遽病院への路程を進んでた。嫌や嫌や首を振られても譲れへん。念に越した事は無いんやから…
「きっと大丈夫、何も無い」待合室で繰り返し出した言葉は自分に言い聞かせてたんかもしれん。
『でも、蔵っ、』
『お待たせしました、中へどうぞ』
『…っ、……』
順番が回ってきて顔を歪ませる彼女の頭に手を重ねる。
「大丈夫やって。俺が一緒やん…?」
『…………』
名前は何度“大丈夫”や言うても頷かへんかった。それは、何や身に覚えがあるっちゅうこと……?名前も“大丈夫”やって“平気”やって言うて…
俺等が診察室に入ると、当然にも早速症状を聞かれて。言いたく無い現状を説明した。
少し間を置いて一呼吸をした医者は「検査してみましょうか」と苦い顔をしてた…
先生、お願いや
何も無いって言うて下さい。
ただ疲れてるだけやって、直ぐ治るって、大袈裟やって笑って下さい。
彼女が検査しとる間も結果を待つ間も、俺は手を合わせて祈る事しか出来ひんかった。
名前も不安やったはずやけど、俺が不安で仕方なかった。
『お待たせしました、どうぞ』
再び呼ばれた声に身体中の毛が逆立つ感覚。
どうか、思い過ごしで終わりますように。それだけやねん。
『――うん。一通り検査結果が出ました』
「先生!名前は大丈夫やんな!?何も無い―…」
『、落ち着いて聞いて下さいね?』
眼を右に向ける先生に心臓が勢い良く収縮する。
先生、何でそんな顔するんですか?
そんな顔、する必要無いやろ…?
無意味に溢れた生唾を飲むと先生は告げた。
“若年性アルツハイマーです”
一瞬、時が止まったのは気のせいなんやない。
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