ぼくらは明滅する


ウインターカップ決勝の模様が夕方のニュースで流れていた。

「黒子っちもとうとう全国区ッスねえ」

黄瀬のせいでアナウンサーの声がさえぎられる。台所で鍋の具を切っていた黄瀬は、包丁を持ったまま、でかい液晶を穴のあくほど見ていた。
何インチあるか知らないが、モデルの稼ぎで買ったものだという。テレビの前に置かれたローテーブルも、俺が座っているソファもそうだというから驚きだ。

いかにも洒落たリビングで大変居心地が悪い。と思っていたら、スポーツニュースは終わり、大晦日の歌番組の話題になった。

そうだ、こんな年の暮れに、後輩の家にいる必要はどこにもない。

「用は済んだから帰るぞ。邪魔したな」
「えっ。待って、笠松さんの分も作っちゃった」
「夕飯?」
「キムチ鍋ッス! 味は保証するッスよ」

黄瀬は完璧な笑顔を浮かべると、足元の戸棚からガスコンロを取り出して、ローテーブルにどんと置いた。返事をする間もなく、切りたての具材が放り込まれた赤い鍋もやってくる。

「いや、そういう問題じゃなくて。家に来ると思ってなかったから、親に連絡してねぇし」
「ビデオ通話で映してくれれば一発OKッスよ」
「……帰る」
「あっ、ヤベ。火つかない」

黄瀬はコンロのつまみを何度もカチカチと回すが、ガス切れのようだ。
台所に戻り、カセットガスを持ってくると、またカチャカチャカチャカチャといじくり回している。

「〜〜ッ、ちょっと貸せ。爆発したらどうすんだバカ」
「だって、いつもは姉ちゃんがこういうのやってくれるから」
「今日はなんで誰もいねぇんだよ、っと。出来たぜ」

小気味いい音がして青い炎がつくと、黄瀬は感嘆の声をあげた。

「俺以外みんなスキー行ってて。年始には合流する予定なんスけど」

さみしいんス、と作り込んだ笑顔を武器のように向けてくる。俺の前にはいつの間にか茶碗と箸が置かれていて、透明なコップに麦茶が注がれている。
コンロをいじっている隙にセッティングしたらしい。完全に詰みだ。

「お前なあ……」
「まあまあ、ちょっとセンパイと二人で話したくて」

ご迷惑ッスか、とたたみかけるように困り顔をする。
こういう男に女は引っかかるのだろう。将来ここに来るだろう彼女たちを思いながら、麦茶を喉に流し込んだ。

思えば待ち合わせから妙だった。
年始の部活でどうせ会うのに「借りていた漫画を返したい」と俺を呼び出した挙句、お礼がしたいから家まで来いと。込み入った話がしたいのだろうと察してついてきたが最後、飯が出てきて2時間コースだ。

「そんなこったろうと思ったよ……しょうがねえな」

しぶしぶと母親にラインすると、黄瀬はぱっと顔を明るくした。が、すぐに暗いものがよぎる。
黄瀬はそれをごまかすようにぐつぐつし始めた鍋をかき混ぜた。白菜がしなしなと湯のなかへ沈んでゆく。沸騰した鍋のふちに豚バラの薄い油がついている。

「で、なんだよ本題は」

明日は全国各地で雪になるでしょう、とのんびりした声が告げる。北陸や東北は1m近く積もる予報らしい。
東北といえば、陽泉の連中はもう帰ったのだろうか。紫原の隣にいた、愁いを帯びた男を思い出す。執念だけでバスケをしているような、その辺りに感情が漂っているような男だった。
べつに彼だけではない。今ごろ東京体育館の天井にはそうい誰かの思念が煙のようにたちこめているだろう。そして、その一部は俺たちのものでもある。

勝ちたかった。とにかく、勝ちたかった。

「センパイ、これで引退なんスか」

黄瀬は、ぐっと何かをこらえるような顔をした。

「そうだ。年始にキャプテンを引き継ぐ。代替わりだ」

ずいぶん前から決まっていたことだっただけに、意外だった。それを俺の口から改めて聞くために、家まで呼んだのだろうか。

「おいおい、お前には厳しくした覚えしかねぇんだ。ちっとは喜んでもいいんだぜ?」
「無理ッス」

黄瀬はごちゃごちゃ言いながら鍋の中身を深皿によそった。
泣いている。

「どうぞ、食べてくださいぃ」
「……情けねぇツラしてんじゃねぇ」

頭をはたく気にもなれず、黙ってそれを受け取った。スパイシーな香りがふわりと立ち上がり、鼻腔を満たしていく。

「お前、やっぱり自分のせいで負けたなんて思ってねえだろうな?」

インターハイのときと同じ顔が俺を見つめている。エースはチームを勝たせるものだと、かつて自分が放った言葉が、また彼を縛っているようだった。

「思ってるッスよ。思わないではいられない。あんな、あんな負け方して。俺は、パーフェクトコピーの限界だって超えたのに。……届かなかった」

端正な顔が湯気の中に揺れている。
それだけでドラマのワンシーンのように見えるから不思議だ。舞台セットはホームセンターに売っているようなコンロと鍋だけ。

自分とは何もかも違うのだ。夏も冬も、毎日毎日同じ場所で同じように練習をしてきたが。一緒にいたからと言って、自分もそうなったわけではない。

誠凛戦で火神に対抗できたのは、黄瀬だけだった。名門海常バスケ部で3年も練習してきても、キセキの世代の3.8秒の前には無力だった。

「やりきれねえな……」

試合直後のように、主将として部員を鼓舞することも、涙を流すこともできなかった。
ただ、火の通りが甘い白菜を咀嚼した。数日で、自分でも驚くほど、過去になってしまっていた。

いずれ、そう遠くない未来には青春の思い出になっているのだろう。安い缶ビールでも飲みながら、「あんなに好きだったのに」なんて思っているかもしれない。消えそうな情熱を肴にするような大人になっているかもしれない。

街灯のない山道を、一台の車がヘッドライトだけをたよりに、ひた走っているようだった。
照らせるのは前方の、狭い地面だけで。草むらから飛び出す動物や、突然現れるガードレールに怯えながら、アクセルを踏み続けなければいけない。
馬鹿みたいに、あるかもしれない終着点を目指している。

「笠松さん」

いつのまにかコンロの火は止まっていて、7時のニュースをお伝えします、という男性アナウンサーの声がひどく遠くからしていた。

「……お前はほんとうに、すべての出来事に因果関係があると思うか?」
「それって例えば、俺がカッコよかったからモデルになった、みたいなことッスか」

黄瀬は何かを察知したのか、おどけたようにそう言った。つとめて場を明るくしようとするのは彼の長所であり、彼にとっては短所だ。

「バカ、調子乗んな」
「いやでも、カッコよくなきゃモデルにはなれないっしょ」
「それはそうだが、カッコいいからといって、必ずしもモデルになるわけじゃないだろうが」
「つまり、なんスか。モデルになったっていう出来事が先にあって、俺がカッコいいっていうのは後付けの理由ってことッスか」

きっとどこかで、抱えきれなくなった「暗さ」を、ぶちまけなければならなくなる。今日、俺を呼んだみたいに。

「簡単にいえばな。生きてると色んな出来事がある。それらを記憶にするとき、脳みそはストーリーをつける。何でもそうだが、一貫性があると覚えやすい。よく思い出すことほど、その傾向が強くなる。思い出すたびに、完璧なストーリーが作られていく。
そうなると、ある出来事が、次の出来事の「後付けの理由」になって、その次の出来事がその次の次の理由になって……一つの重い鎖みたいになって、心を締めつける。
言ってる意味、分かるか」

黄瀬はぽかんとしていた。

「俺がモデルになったっていう事実から、脳みその方がだんだん離れていくっていう風に聞こえるッスけど」
「その通りだ。辛く厳しい記憶ほど、心がその容量の大きさにたえきれず、編集しちまうんじゃねぇかと思う」

いわば右クリックだ。カット、ペースト、エスケープ。きっと物語はこういうところから生まれるのだろう。

「だから、『上手くいかなかったのは努力不足だ』とか、『才能がなかったからだ』とか言うのは、たぶんちげぇんだ。
ただ、試合に負けただけ。最後の数秒で、1ゴールを決められただけ。『もしも』もねぇ。その出来事があったってだけなんだよ……」

家の中はしんとしていた。黄瀬は皿から顔を上げなかった。
ニュースキャスターが淡々と今日の出来事を読み上げていた。


20201231




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