Fly me to the moon


「パパ、お月様に連れてって」
「どうして」
「そこから火星の春を見てみたい」
赤司はふっと笑った。
「わかった。お前が望むなら何だって叶えてあげる」

砂浜に夜が訪れた。

「体を冷やすから、そろそろ帰ろう」
赤司は立ち上がり、サンダルを拾ってきた。
「僕の愛娘は自分で履けるのかな」
私は首を振る。

赤い後頭部が風に吹かれている。

「ねえ、何か歌ってくれないか」
「もちろん」
赤司は足を拭き終えると、サンダルをあてがい、そのまま私を抱き起こした。

「ジャズで、月に飛んで行く曲があっただろ」
水平線から太った月が上がってくる。
「英語の曲?」
ハワイに着いてから、全ての会話を赤司に任せている。

「そんな顔をするなよ。
Fly me to the moon。知ってるだろ」

そのフレーズを歌い出せば、メロディはすぐに乗ってきた。

「歌は上手くてもカタカナ英語じゃ台無しだな」
「うーるーさーいーばーか」
「小学生か」
頬をふくらませると、赤司に片手でつぶされた。

「お前はそのままでいいよ。ずっと」
「私だって大人になるもん」
「だーめ……あっ」
赤司は私の手を取ると、足早に歩き出した。

「どうしたの?」
「6時に夕食を予約してたの今思い出した」
私は驚いて赤司を見た。

「珍しいね、そんなミスするなんて」
「……誰のせいだと」
「えっ?」
赤司は不機嫌そうにそっぽを向いた。

これもかなり珍しい。
パーフェクトヒューマン・赤司征十郎は、お勉強もバスケも一番というだけではない。プライベートでも、時に優しく時に厳しく、完璧に相対してくれる。

ヘマして拗ねるなんて、人間みたい。

「なに」
「赤司やっぱ私のこと好きなんだなって」
「愛してるよ」
むっとしつつも、しれっとそう返せるのが赤司だ。

「どのくらい?」

穏やかな波の音がずっと聞こえている。
濃い水色とオレンジに染まる空気。
汗で透けたTシャツとほの白い首筋が浮き上がって見えた。

「木星よりも大きく、春よりも深く。崇拝してると言ってもいい」

赤司は足を止め、私を見つめる。
尋ねたのは自分とはいえ、少し呆気にとられてしまった。
私は赤司に比べれば、いや比べるまでもなく、平々凡々とした人間だ。

「なぜ、という顔だけど、そうだな。僕のそばにいてくれるだけで、十分なんだよ」
「赤司ならそういう人、いっぱいいるだろうに」
「候補ならね。ただ、今ここにいるのは1人だけなんだ。その偶然は何物にも代えがたいと思わないか?」

むうと私が答えると、「小学生には難しかったかな」と赤司はくつくつ笑った。

「私はね、月に行きたいの」
「分かってるよ」
と赤司は左手を差し出した。


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