東西線


大学の自動ドアを抜けるとぬるい風が吹き抜けた。

夏の始まりだ。

目を閉じて大きく息を吸い込むとスマホが鳴った。簡潔な文言だった。
「15時にいつもの場所で」
赤司らしい、今日はそう思うだけで嬉しかった。新しい季節の訪れはいつだって気分が良い。

石畳を踏みしめて正門の方角に振り向けば、2限終わりの学生が思い思いに動き回っている。まっすぐで高い日差しのせいか、どの顔もどことなく明るく見える。昼ごはんどうする、とのんびりと前を歩くカップルの片割れが言った。

「ラーメン一択」と彼氏の方が言った。ちょっと珍しいくらい背が高い男だ。スポーツでもやっているのかガタイも良い。
案の定、彼女は不満そうな声を上げた。たまのデートのたびにラーメンを食べさせられているらしい口ぶりだ。気の毒になと思いつつ、その2人を抜いた途端、視界の端に妙な暗さがよぎった。

晴天の霹靂。

私はきっかり3秒間、自分が取るべき行動を考えた。その暗さに振り向くか、行き過ぎるかの二択。釘をさすかのような赤司からの連絡を思い出した。半年前の自分が何かを言っているのも聞こえた。
きこえた。

「青峰くん?」

私は、カップルの男側であるところの、青峰大輝に振り向いた。青峰は大して驚いた様子もなく、「よう」と答えた。私に気付いていたのかもしれない。気付いていて、声をかけられるのを待っていたのかもしれない。お行儀良く、半年前に振った気まずさとともに。

「え、だれ、このひと」と青峰の彼女が言った。彼女がその長い金髪をかきあげた拍子に、金属製のイヤリングがきらりと光った。眩しい人だ。青峰と対照的だ。

「昔の知り合い。わりーけど、2人で話したいからまたあとで」
また後で、という言葉は私に向けられたものではなかった。彼女も私も呆気にとられ、顔すら見合わせてしまった。
しかし彼女はさすがと言おうか、「勝手にすれば」の一言だけでその場を去っていった。

「彼女さん、よかったの?」と私は質問にもならない言葉を発した。
「別に」と青峰は言うなり大股で歩き出した。ちびな私は小走りにならざるをえず、それ以上何かを言うのをやめた。そうだった、こいつは一緒に歩くのに難儀するやつだった。

正門を出て、商店街に入り、地下鉄の駅を降りた。薄暗くひんやりとした階段に、どこか落ち着きを得たのか、青峰はようやく歩調を緩めた。

「どこに行くの?」
「馬場」
「だったら歩いてもよかったじゃん」
「暑いのやなんだよ」

青峰は地下通路にさっさと向かってしまった。

「ラーメン屋さん?」
「いや天丼」
「はあ、天丼?」

そう聞き返すと、青峰は初めて私の顔を見た。

「うめーとこあるんだよ。いいからついてこいよ」

青峰が歯を見せて少年のように笑うので、私は何も言えなくなってしまう。その無防備さに不安になってしまう。
青峰の後ろに電車が入ってくるのがみえた。あれ乗るぞ、と青峰は私に構わず、大学バスケ部エース並みの走りで行ってしまう。
彼と会う日にはいていたスニーカーを思い出した。大きいリボンがついた紺のアディダス。彼と買ったものだ。
しかし今はピンクのハイヒール。転びそうになりながら閉まるドアに飛び込むと、青峰が私をしげしげと眺めていた。

「なんかお前、思ったより元気そうだな」
電車が動き出すと、私たちはドアにもたれかかった。車内は座る席はないくらいの混み具合だった。

「そちらこそお変わりないようで」
私は少し困って、そんな返事をした。よく見ると、変わってないなんてことはなかった。それも悪い方に。香水なんてつけなかったのに、歯だってもっと白かったのに、そんな服着なかったのに。
「なんだよ?」と青峰はいぶかしむように身を屈めた。

「着いたよ。馬場」
私が先に降りた。半年前、雪の降りしきるあの夜が、久しぶりにすぐそこまでやって来ていた。
青峰はすぐに追いついて、すごくすごく自然に私の手を取った。かさついて大きくて熱い手。見た目には信じられないほど、それが繊細に動くのを私は知っていた。
その手を離してしまったのは私の方なのだろうか、と何度目にもなる問いが浮かんだ。後味の悪い形で別れを告げたのは青峰だった。その後2か月は使い物にならなかった。でも、もしかしてとも思うのだ。私の無神経さも青峰の不器用な優しさもわかっていたはずだった。

いつの間にか歩調が合っていた。私は青峰の横顔を見上げた。夏に似つかわしくない翳りがそこにあった。私は後ろめたい喜びを感じないではいられなかった。置いていかれた子どもの悲しみがあてどなく漂っていた。


180626


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