GO EAST
7月26日未明。
名前はけたたましい着信音で目を覚ました。
枕元の液晶に表示される名前は、青峰大輝。
「おい、海行くぞ」
名前は寝ぼけた声で「はあ」と言うのが精一杯だった。
「今、お前んちの前だから。5分だけ待ってやる」
青峰はそれだけ言って通話を切った。
名前はのろのろとベッドから這い出して、部屋の窓を開けた。アパートの前の細い路地に、青い軽自動車が1台停まっている。
青峰が突然気まぐれを起こして、名前を連れていくのは、そう珍しくもなかった。
出不精な名前にも責任があった。
青峰がこうでもしないと、恋人同士にも関わらず、大学が異なる2人は会う機会がないのだった。
名前はため息をついて、鏡に映る自分の顔を眺めた。
いかにも凡庸な、というには目が大きく、いかにも美人というには各パーツの配置が悪い。
一歩引いて全身を映してみたところで、足が長いわけでも、胸が大きいわけでもない。
青峰は一体こんな自分のどこがいいのだろう、と名前はいつものように自問した。
青峰のように、大学バスケ部のエースなら、いくらでも可愛い女の子を捕まえられるだろうに、どうして。
鏡からは返事がなく、そのかわりに外からパッシングの音が聞こえてきた。
こういうとき一人暮らしで良かったと思いながら、名前はアパートを後にした。
「急にどうしたんですか」
名前が助手席に乗り込むなり、青峰はアクセルを踏み込んだ。外はまだ薄暗く、猫一匹歩いていない。
「別に」
「こんな朝っぱらから叩き起こしといてそれはないでしょ。せめてどこに行くかぐらい」
「逗子海岸」
青峰はそれだけ言うと、スイッチをひねり、ラジオをつけた。
スピッツの青い車が流れている。
「着くまで寝てていいから」
青峰はちらりと名前に目をやり、その頭にぽんと手を置いた。
名前は驚いて目を伏せた。
青峰が優しい。珍しい。
ようやく頷くと、その大きな手はハンドルに戻っていった。
いつのまにか眠っていたらしい。
名前は瞼の裏にまで射しこむような朝日に、再び目を覚ました。
窓の外はずっと海だった。海岸で遊ぶ観光客のために作られた駐車場のようだった。
運転席に青峰の姿はない。
名前はゆっくりと車から降りた。
「あおみね」
目の前に、朝日の中に立ち尽くす青峰の後ろ姿があった。
名前が歩いていくと、青峰は急に振り向いて、その手を引き込んだ。
あれよあれよという間に、名前の頭には青峰の顎がのっかっていた。
「今日、真東から太陽が昇るんだとよ」
「それが見たくて来たの?」
青峰はその言葉には答えず、代わりに名前を抱くすくめるようにした。
「だから、別れるなんて言うんじゃねえよ」
青峰は拗ねた子どものような声で言った。
「なんだかかわいそうですね」
「うるせえ」
「すみませんね」
「置いてくんじゃねえよ」
名前は言葉に詰まった。
「どうせあなたからは逃げられないから大丈夫ですよ」
「嘘くせえ」
「世の中みんな嘘ですよ」
青峰はくっと笑った。
「名前のそういうとこ好きだ」
「ありがとうございます」
「だからさ、好きなんだよ」
「分かってますよ」
どこまでも続く水平線上に赤い太陽がむくむくと現れてきていた。
「これが真東ですか」
「名前、俺と一緒に行こう。行けるところまでずっと」
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