ブルーステーション


思えばファミレスのバイトを始めたのは、あの失恋のせいだった。

考える暇もなく働いてお金をもらってかわいい服でも買えれば、少しはマシな人間になれるんじゃないかって。
ボランティアじゃないけど、だれかのために体力を使うのは、自分の部屋に閉じこもって星座占いを眺めてるよりは、たぶんずっと良いことだ。良いことがあるはずだ。


「今月末に辞めさせてもらいたいんですけど」
と私が言うと、店長はちょっと目を細めた。
それから、そこらの中年男性にはちょっとできない顔をした。

「うん。いつでも帰ってきてくれていいからね」

かわいそう。
そう言いたげな表情だ。何年も客商売をしていると、バイトの大学生が失恋したかぐらい、すぐ分かるのかもしれない。

「ありがとうございます。……すみません」
私は店長と目を合わせないように頭を下げた。
失恋にはじまり、失恋におわるバイト。私は彼氏が変わるたびに働く先を変えるのだろうか?


店を出ると、すっかり夜が更けていた。すぐ傍らを車がヘッドライトを全開にして過ぎてゆく。何度も。
そのファミレスは国道沿いにあった。駅から少し離れた場所だ。立派な歩道はあるものの、車と比べると人通りは少ないから、帰り道はいつもひとり。この時間にきまって、赤司にラインを返していた。

今日も思わずスマホを取り出して、ラインの通知を確かめていた。もはやそれは習慣だった。考える必要もない一連の動作。
でもそこにあるのは空虚だった。

赤司からの通知が来なくなってから2ヶ月が経とうとしていた。
正確には、私の方から連絡を絶っていた。
ハチ公の前で、赤司の頬をつねった後に。

どうしてあんなことをしたのか、自分でもよく分からない。
あの失恋を引きずっているつもりもなかった。
むしろ、やっとあの彼を切れたと思っていた。赤司と2人でうまくやれると思っていた。

スーパーの明かりがふいにぼやけた。一本足の時計の文字盤は読み取れない。人がたくさん歩いているようだった。誰かの肩にぶつかって、ショルダーバックがずり落ちた。
いつのまにか駅まで来ていた。私はスマホをしまう代わりに定期を取り出した。いつものように。いつものように。

手をじっと見た。
足は止まっていた。
焼けるような悲しみ。

いつもそうだ。感情がやってくるのに時間がかかる。涙が先だし、つねるのが先だ。



「名前」

瞬間、くっと胸が詰まった。
私はぎゅっと目をつむった。今の声はほんとうの現実だろうか?

「名前」
その声は後ろから近づいてきた。
あの日の匂いが鼻をかすめた。
逃げなければ、という気がしたが、私はその場を動けなかった。
赤司に後ろから抱きすくめられるのに、まかせていた。

「どうして泣いているの?」
と赤司は言った。

「分からないよ」
「名前はずるいな。僕には白状させたくせに」
「そんなこともあったね」

赤司は私の右肩から首筋に顔をうずめた。
私はなんだかぼんやりとしてしまった。駅の雑踏がまるで聞こえない。前にもこんなことがあった。
そうだ、赤司の頬をつねった後だ。
一瞬とも永遠ともつかぬ青い沈黙。

「きみはどうしてここにいるの?」
「前に言ってたのを思い出したんだ。火曜と土曜の夜はバイトだって。だから待ってた」
「ずっと?」
「名前が音信を絶ったんだろ。こうでもしないと二度と会えない」

感情が遅れている、と思った。今日こそは間に合うだろうか。

「連絡できなくてほんとうに辛かった。彼のことで名前が傷ついたなら謝る。いや、僕が傷つけた。すまない」
「らしくないね、謝るなんて」
「あのな、僕らしいってなんだよ?」
「……ごめん」
「ねえ。僕は僕が思ってた以上に名前がいないとやっていけないんだ。
お願いだ、いなくならないで」

赤司の声がすぐ耳元で響いた。
私の前に回された腕がわずかに震える。その袖をぎゅっとつかむ。くらくらした。
私を赤司が抱きしめている。

「名前、もう一度聞いていいか」
「なんでしょう」

私を抱きしめる力が弱くなる。それでも押し寄せる感情を前に、どうしようもなくなっていた。
この奔流は赤司からきたのではないと気付いていた。
青い沈黙が終わり、外界がとけだしてきた。

「どうして泣いているの?」



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titled by ennui




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