正午様

あけましておめでとうございます。
ご無沙汰しております。mossanです。

メッセージありがとうございました。本当に本当に嬉しいです。
それから、ennui復活でしょうか、おめでとうございます。久しぶりに見れたのが嬉しくて思わずタイトルをお借りしちゃいました。
本来ならこちらから連絡を差し上げるべきだったのですが、その当座の私が精神的に不安定だったので、差し控えさせて頂きました。ご報告が遅れたこと、お許しください。

最近の作品だと、「とりとめのない詩」が好きです。激しい感情を滔々と朗々と歌いあげられる感じがとても好きです。私も自己矛盾はあって然るべきものと思います。前から思ってたのですが、正午さまの書かれる詩は歌みたいですね。

正午さまは次の夏で22歳になられると聞いて、かなり驚いています。私の中の正午さまは高校二年生のままなのかもしれません。もちろん、進歩がないとかそういう悪い意味ではなく、ネット特有の、時が保存されている感じと言いますか、良い意味です。

いつものように返信は不要とのことでしたが、ようやく正気を取り戻してきたので、その内省がてらもう少しだけ書かせてください。


最近書いた赤司4編をお読みくださったんですね。お褒めの言葉、ありがとうございます。月並みなお返事しかできなくて恐縮ですが、感動、っていい言葉ですね。大事にしまっておきます。
お気付きかもしれませんが、あれは赤司の夢小説という体裁をとった私小説です。未練タラタラでお恥ずかしい限りです。
ただ不思議なもので、高尾でもリヴァイでもなく、赤司じゃないと書けなかったような気もいたします。

実は最近、正午さまの言葉を借りるなら、人に恋をすることと、人を好きになることの違いがつかめてきました。私は俗っぽく考えていたので、恋人と友達の境界線、というラベルを貼っています。
これは人によって違うものだと思います。人によっては必要ないものかもしれません。時期によって変わるような気もします。その程度のことです。でも正午さまにはこの話をしたいので、良かったら読んでください。

ずっとこの区別ができなかった原因は、初恋の相手が同性の友達だったことです。私は異性を好きになれないんじゃないかとひどく悩みました。それから、人を好きになっちゃいけない、という制限を強くかけました。
その結果、好きになってもいい相手、つまり都合のいい異性を見つけるとすぐに恋愛対象に入れる癖がついていました。そうすると、1人に絞れないし、相手の気持ちを受け止められなくて。相手もそのことに気付くのか、いなくなってしまうんです。2014年からずっとそんな感じです。

振られたあと、日記にも少し書きましたが、何人かの異性と会いました。でも、いつものように好きにならなくて、いや、いつも通り好きになってはいるんですが、何かを更新するほど強い感情はおぼえられなくて。それで、あれはちゃんと恋だったと初めて気付きました。

長くなりましたが以上です。私事をつらつらと語ってしまってすみません。
これからもよろしくお願い致します。
それでは、お身体にはお気をつけて。




×
- ナノ -