▼それは予定外の恋だった、けれど
しかし、実際のところ…それは大丈夫では無かった
数日後、放課後すぐ、秋や冬花を引き連れ理事長室を訪れた春奈に連れられて、夏未は人気の無い中庭に連れて来られていた
此処は以前夏未が嫉妬で泣きじゃくった場所でもある
「告白するには持って来いですよね」
などと言う春奈の言葉などまるで耳に入らない
茂みに隠れた4人の元に、なんと風丸、半田、豪炎寺、円堂、マックスが無理矢理入り込んで来た
それを見て、秋はホッとした表情を見せたが、すぐにまた心配そうな顔を夏未に向けた
そして手を握ってくれる
これだけの人数がいては、秋に不安を吐露することも出来ない夏未は、心から秋の心遣いに感謝した
誰が告白されるのか
それがようやくこの時点になって判明した
「鬼道くんは?」
「もうすぐ来ます」
冬花の問いに、口を開き掛けた半田の代わりに挑むような口調で春奈が言った
「あ、女子が来ましたよ」
その女子は、よく練習に応援に来ている子であった
そしてすぐ、鬼道が現れた
きゅ、と夏未は秋の手を握り締めた…
心臓が、どうにかなってしまいそうだった
鬼道はうんざりしていた
いい加減、こういう事は無くしたい
正直さっさと終わらせて部活に行きたい、と思ってもいた
よもや自分より先に周りの方がこの事態を知っていたとも知らず、夏未の耳にこのことが入る前に、自分から事の説明をしたかった
「あの、私のこと、知ってますか」
「…いつも応援に来てくれているな」
「気付いてくれてたんだ…!」
「練習中うるさく叫ばれたらそりゃあな」
と、やや冷たく放たれた鬼道の言葉は、その女子の一瞬浮かれた気分をぺしゃんこにするには充分過ぎるものだった
「…ッげ、外道ッ」
春奈は小さく呟いて握った拳を震わせた
その様子と、鬼道の横顔を見ながら、夏未は複雑な思いになった
「…私、鬼道君が好きなの、私とお付き合いして下さい」
勇気を振り絞る、女子の横顔
しかしぴくりとも表情を変えない鬼道には、まるで届いて無いように見える…
「悪いが、それは出来ない」
「…どうして?サッカーに専念したいから?」
「……そうだ」
堅い表情で事務的に、鬼道は答えている
「アイツああやっていつも断るのか」
風丸は、まるで今後の参考にしよう、とでも言うような表情で、ふむ、と唸った
しかし、春奈がじろり、と睨んだので慌てて視線を逸らす
豪炎寺も半田もマックスも、鬼道から以前話を聞いているせいで何も言わず傍観を決め込んでいる
「なんかあの女子泣いちゃいそうだな」
円堂がヒヤヒヤしたような表情で囁いたので、一同はググッと前のめりの姿勢になる
秋がそっと窺うと、夏未も今にも泣きそうな表情でじっと鬼道を見詰めていた
好きな人が、他の女子に告白される
こんな悲しみと不安が在るなんて
しかも鬼道の口から断りの言葉が出たと言うのに、夏未の不安は増すばかりだ
親の決めた婚約者と言う立場など何の役にも保障にもならないのだと、崩れ落ちてしまいそうな程自分を包む黒い感情の中で夏未は思う
だって私、鬼道くんの心を知らないもの
そして私も伝えてもいない
あんな風に自分の気持ちを告白出来るあの子が、心から羨ましいとさえ夏未は感じていた
どう話が展開するのかと、一同が思ったその時…
「いや」
と鬼道が先程の答えを否定した
「違う…他に理由がある」
「……!?」
納得出来ないような表情の女子が身じろぎした
鬼道はきちんとその女子を見詰めて言葉を続ける
「俺には婚約者が居る」
「婚約者?」
「ああ、まだ正式なものではないがほぼ確定だ」
「じゃあ、親の決めた相手ってことじゃない…」
「そうだな」
「そんな…、そんな人でいいの…?親に決められた相手なんて…鬼道君の気持ちは?」
ぎくり、として夏未は後退り、繋いでいた秋の手がするりと外れ…秋が振り返ると夏未は真っ青になって微かに震えてさえいた
鬼道が何と言うのか怖かった
婚約者だから好きになろうと努力はしている
などと言われたらこの場で泣いてしまうかも知れない
耳を塞ぎたい
でもそう思う反面…
茂みの中の一同は新たな展開に驚きを隠しきれず、食い入るように見入っている…
そんな中、凛とした鬼道の声が響いた
「きっかけだ」
「え?」
「親の決めた相手、それは只のきっかけに過ぎない」
「……」
「俺はあいつの事が、好きなんだ」
鬼道は夏未の顔を思い浮かべ、実に柔らかな表情でそう言い切った
「…!」
「だから付き合えない、すまない」
鬼道はそう言って、黙り込む女子に頭を下げた
傷ついたような表情で俯いていた女子は、ぎゅ、と両手を握り締め…ようやく言葉を絞り出した
「分かりました、ありがとう、ちゃんと言ってくれて」
と、鬼道と同じようにぺこりと頭を下げて、足早にその場を後にした
ふ――…と鬼道は息を吐き…
言ってしまったな
と思う
しかし自分の気持ちを言葉にしてみると、実にすっきりした気持ちになっていることに気付く
夏未にも、早く自分の気持ちを伝えたい
心からそう思うと、夏未への気持ちが更に溢れて来るようだ
恋に落ちて、しまったのだ
と幾らか客観的に自分を眺めてみる
しかし
そう悪いものでもない
それどころか、寧ろ、満たされて自分が豊かになっていくような気さえする
ふ、と独り、この俺がな…などと笑う鬼道から少し離れた茂みの中では異変が起きていた
「ちょっと…半田さん押さないで下さい」
「押して、な」
「おい、半田」
「半田くん押さないで」
「わ、円堂」
「まず」
「きゃ、」
「木野!」
「「「わああ!」」」
いきなり傍の茂みで叫び声がして鬼道はギョッとした
前のめりになっていた夏未以外の全員が茂みから飛び出し…全員がバツの悪そうな顔で鬼道を見詰め、鬼道は口をあんぐり開け…見る見るうちに真っ赤になった
「おおおおお前らあああ何だ!!」
叫んだ鬼道を物ともせずに、春奈も叫んだ
「ごめんお兄ちゃんッ!でも見直した!それに聞きたいことが!!」
「そうだぞ鬼道ッ!!」
興奮しきっている春奈と半田を引きつった顔で見ていた鬼道が、その場の豪炎寺と秋の真剣で神妙な顔付きに気付く…
これだけの奴らが揃っていると言うことは、まさか
「豪炎寺」
豪炎寺は軽く頷き、そして秋が、後ろの茂みへと目配せをする
鬼道は息を呑んで、俯いた
鬼道、豪炎寺と秋のただならぬ様子に、他の部員達も騒ぐのを止め、その場は水を打ったように静かになった
「……夏未」
その場の、豪炎寺と秋以外の部員達が驚愕の表情で鬼道を見詰めた
「其処にいるんだろう」
足が竦んで動けなかった
自分はこんな所で、何をしているんだろう
こんなこと、して
たった今鬼道の気持ちを知った
けれどそれよりも、自分がこんなことをしていた事を鬼道に知られてしまった
鬼道くんは私をどう思うんだろう
それが何より怖かった
しかし、これ以上は誤魔化せない
夏未は意を決して、張り詰めた空気の中、一歩、一歩茂みを出て行く…
「夏未さん…!」
思わず秋が小さく叫んだ
それほどに、夏未の顔色は悪かった
「ごめん、なさい…」
「……」
重たい空気がその場に充満し、誰も身動き出来なかった
しかしうなだれる夏未を見かねて、春奈が前に出てを夏未を庇った
「ごめんなさいお兄ちゃん、夏未さんは私が無理矢理ッ「春奈」」
鬼道は優しく諭すように、春奈を制し、微笑んだ
「大丈夫だから、…少し外してくれないか」
「……う、……うん」
春奈に促され、他の部員達も素早くその場を後にして…鬼道と夏未だけがその場に残された
重苦しい空気の中、先に口を開いたのは鬼道の方だった
「……聞いていたか?」
夏未はびく、と身体を震わせた
「覗き見、する、つもりはあの…」
ふ、と息を吐いた鬼道は夏未の方を見詰めて、静かに口を開く
「…きちんと言うつもりだったんだ…」
「え?」
離れて対峙する2人の間を風がそよいだ
「…こんな形じゃなくて、俺は、俺の気持ちをちゃんと…」
鬼道はそう言って、夏未の方へ歩き出し、あと数歩と言う場所で歩みを止めた
そしてゴーグルを外して制服のポケットにしまい込むと一呼吸置いてから、夏未の泣きそうな顔を優しい眼差しで見詰めた
これから大切なことを、貴女に伝えたいから
だからどうか怖がらずに、聞いて欲しい
「夏未」
「……」
「俺だけの雷門夏未だと、みんなに言っても…良いだろうか」
「ぇ…っ」
「どうやらもう限界らしい」
「…!」
「好きだ」
心が震えるというのは
「お前が、好きなんだ」
「……っ!」
こういう感覚を言うのだろうか
とても言葉では言い表せない、この――…
「…わたしっ…」
夏未は真っ直ぐに鬼道を見詰めた
伝えるのよ
大切な気持ちをちゃんと自分の言葉で
「わたしも…っ…鬼道くんが好き…っ」
それを聞いた鬼道は心から嬉しそうに笑った
「…気が重いわ…」
「何、適当にやるさ」
きっとみんな今か今かと待っているだろう
夏未は溜め息を付く
「半田くんが納得するかしら」
「何とかなるだろう、半田だしな」
「なに、それ」
呆れ顔を見せる夏未を眺めながら、ふと鬼道が呟く
「……俺にとっては」
「…え?」
「こんな事態は予定外だった…恋に落ちるなんてことは以前の俺なら考えられなかったな」
夏未もふふ、と笑うと足を止めて嬉しそうに微笑んだ
「私もよ」
その笑みを見詰めていた鬼道の胸に、今すぐ伝えたい夏未への想いが湧き上がる…
「……大切に、するから」
「…ぇ」
「一生…」
ぼ、と頬を真っ赤に染めた夏未がきっと鬼道を睨む
なんで?と言う顔で鬼道が夏未を見詰めると、夏未は言い放った
「それはもっと大人になってから言うことよ?」
「き、気持ちだろ!可愛く無いな!!」
「馬鹿!察しなさいよ!」
「え?」
「もういっぱいいっぱいなのよ!」
真っ赤な顔で叫ぶ夏未に呆気に取られた鬼道だったが、次の瞬間大笑いして、夏未に頬を張られたのであった