▼そっと重なる温度
朝7時半は、生徒数の多い雷門中学校でも登校している生徒はほとんどいない。たくさんの生徒が笑顔でくぐる校門や放課後になればあっという間に賑やかになるグラウンドでさえ人気がないからか、豪炎寺はいつもより練習に集中できる。グラウンドにひとりきり、ボールのたくさん入った籠を倉庫から引っ張り出して、気のすむまでゴールにシュートを打ち続ける。
「豪炎寺くん」
「わっ」
いつもに増して集中していたからか、背後の気配にまったく気づかなかった。豪炎寺はいつもの冷静さを完全に失い、肩をびくつかせて変な声を出してしまった。振り向くと、想像以上に近い距離に木野がいた。
「…木野か」
「おはよう。驚かせちゃったみたいで…ごめんね」
「いや、…別にいい」
「はい、」
木野が差し出してきたのはタオルとドリンク。ドリンクはいつも部活で使っているオレンジ色のボトルではなく、ペットボトルに入っていた。豪炎寺は礼を言って受け取り、タオルで流した汗を拭き取った。
「…なぜ、わかったんだ」
「何を?」
「俺が、ここで朝練をしていると」
秋の服装は、部活時に彼女が使用しているオレンジ色のジャージだった。見るからに、たまたま豪炎寺を見かけてドリンクを差し出した、という状況ではないことがわかった。時間は7時45分。秋はわざわざ朝早く学校へ来て、部室で着替えて、ここにきてくれたのだ。
豪炎寺が1人で毎日朝練をしていることは、誰にも教えていなかった。もちろん、円堂や鬼道にすら。なぜ、彼女が知っていたのか。豪炎寺はペットボトルの水を喉に流し込んだ。
「わかるわよ。私は豪炎寺くんのことはだいたいわかるの」
「っ!」
口に大量に含んでいた水を、思わず吐き出しそうになったのを寸前で止めた。口の中に残っていた水をしっかり飲み、秋を見た。
「…、な、んで」
「だって、豪炎寺くんはいつも頑張っているじゃない。私はマネージャーよ?頑張っているひとのことは、たくさんサポートしたいの」
秋は恥じらいもなさそうにふわりと笑う。秋の言葉を聞いて、豪炎寺はほんの少しだけ落胆した。
(…、『頑張っているひと』…か)
自分だけ特別ではなかったんだな、と豪炎寺は肩を落とした。そりゃあそうだ。円堂だって鬼道だって他のメンバーだって、たくさんたくさん努力している。自分が少しだけ朝練しているからって、秋が自分に特別に接してくれるわけないじゃないか。
豪炎寺は、ふぅと息をはいてペットボトルの蓋を閉めた。
「…ありがとう、木野」
「ううん。私、豪炎寺くんがサッカーしている姿が好きだよ」
それ以上、…期待させるようなことは言わないでくれ。だなんて、言えるはずもなく。豪炎寺は少しだけからかうつもりで聞いてみた。
「それは、部員全員も、だろう」
「うん、そうね。でも豪炎寺くんが一番よ」
「え?」
「豪炎寺くんがサッカーしている姿が一番好きだし、豪炎寺くんのことが一番好きなの」
遠くから、チャイムが聞こえた。
空耳、ではない、よな?
「…き、の」
「私、ずっとそう思っていたの。豪炎寺くんが1人で朝練していることも、ずっと前から知っていたよ」
「…俺もだ」
豪炎寺は、持っていたペットボトルを握る手にぐっと力を入れた。ペットボトルが鳴る音がした。
「…俺も、木野がマネージャーとして頑張っている姿も、木野のことも、好きだ」
「……!」
二度目のチャイムが、鳴った。きっと朝礼の合図のチャイムで、まわりにはもう生徒はとっくにいなくなっていた。
「……誰もいない、な」
「え?……ああ!もう朝礼始まってる…!」
「遅刻、だな」
「い、急ごう豪炎寺くん!」
真っ赤な顔をそのままに、木野はグラウンドに転がっているサッカーボールを拾い始めた。豪炎寺は、しゃがんでいる木野の腕をぐっとつかみ、無理やり立たせた。
「…えっ?」
「…そんな顔で、行かせられるか」
「あ、あの?豪炎寺くん?………きゃっ」
秋の少しだけ潤んだ瞳に、豪炎寺は我慢できなくなり秋を自分の腕の中に引き寄せた。全く、先ほど想いが通じあったばかりだというのに、自分でも大胆だなと豪炎寺は思う。でも、今こうして自分の腕の中にいる小さくて温かい存在が、こんなにも愛しい。
「…一限目、さぼるか」
秋の抵抗むなしく、何かのスイッチが入ってしまった豪炎寺はしばらく離してはくれなかった。もちろん、授業遅刻は大決定である。
そっと重なる温度
お題元:Largo様
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