なんだかんだでジョニーがうちに来て一年二ヶ月。ジョニーの新しい家が見つかることはなく、季節はあっという間に初夏を迎えた。
ベランダへ続く窓越しに、日光が顔を焼くように照らす。突き刺すようなそれは、夏がきたんやと思い知るには十分やった。
日差しから顔を背けるように寝返りをうてば、いつもそこにあるジョニーの布団がない。
「……ジョニー?」
起き上がり周りを見渡すと、ジョニーの荷物はあるようだ。布団は畳んでしまっただけで、バッグもそこに置いてある。
襖の向こうに、ジュウッと心地好い音が響いた。
「なんや……今日も目玉焼きか」
続・ヒヨコになったかもしれない部分
襖を開けると思った通りの姿があって、やっとそこでほっとする。
何を不安になる必要があるんや。そう思いながらも、毎朝同じような光景で目覚めては不安になった。いつ、いなくなってしまうのかと。
「あ、おはようございます。進次お兄ちゃん」
「おう」
何事もなかったかのように台所を覗けば、思った通りの朝食で。代わり映えしない毎日に安堵感を覚えていた。
「今日休みやなかったっけ。早いなーぁっ」
あくび混じりにクッと背伸びをすると、もう一眠り必要かもしれないと思えてくる。
「ちょっと、出かける用事があって。一緒に朝ごはん食べましょう?」
「せやな」
またあくびを漏らしながら、顔を洗いに洗面所へ向かった。
うちでは。いや、俺とジョニーの暗黙のルールでは、基本的に朝と夜は一緒に飯を食う。
テーブルに乗った料理はいつだってジョニーの手料理で、くだらないこととか出来事とかを話ながら一時を過ごす。それが楽しかった。
たった一人だった生活の中に新しい色が加わって、世界が違ったように明るくなった。当直から帰った朝も、こいつのおかげで疲れは吹っ飛んだ。
それはこいつが“女”だったからか“ジョニー”だったからかは正直分からん。だけど、ずっとこんな生活を続けていたかった。
「それでは、いただきます」
「いただきます」
前まではインスタントで済ませていたはずの味噌汁も、炊きたての米も、たまにハムエッグになる目玉焼きも、ちょっと下手くそかもしれないがそれでよかった。
「お、今日の味噌汁はちょうどええな」
「だから、昨日のはお味噌が変わった直後だったから……ちょっと入れすぎちゃっただけなんですってば」
「味見せぇ、味見」
「してるんだけどなぁ」
こうやって飯を食いながら、あれはこうしろ、これはああしろと文句をつけながら、違った価値観を知るのが面白い。
そしてなんぼ考えても「幸せな家庭」の中にはジョニーの姿があって、これがこのまんま「幸せな生活」として続いてほしいと思った。
「進次お兄ちゃん」
「ん? なんや」
ジョニーは箸と茶碗をテーブルに置き、俺の顔を見据えた。
「そろそろ、私目玉焼き上手になった気がしません?」
「まぁ、ぼちぼちな。ちゃんと半熟やし」
なんとも俺好みの目玉焼き。前は同じフライパンで同時に作られていたジョニーの目玉焼きも、今ではきちんと分けて、それぞれが好む目玉焼きを作ってくれる。
「でしょ? だから、その……そろそろ、ここを出ようと思って」
「……」
嘘やろ。突然、何言うとんねん。思うが、声にならない。
「もう、修業も終わっちゃった、から」
「……ふーん」
精一杯に出した声は、なんともそっけない相槌だけだ。くそっ。
たしかに、俺が言った。修業をしろと。それが終わればいなくなることなんて、分かっていたのに。
「もう、一年以上もお世話になっちゃったし」
「当ては出来たのか」
そんな話は聞いたことがない。相談されたこともない。
「学校から近いけど、ここから真逆のとこ。下宿先が見つかって……。今日はそれの申し込みに」
「下宿? それだったらここでもええやないか」
わざわざどうして他人の家なんかに。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、これ以上進次お兄ちゃんに迷惑かけられないよ」
「……せやな。狭いし、おっさんと二人よりはそっちの方がええのかな」
どっか、嘲笑うようだった。どっか皮肉じみて、目なんか見れない。本当は知ってた。決意を踏みにじる行為だって。
それでも口は止まらなかった。皮肉を言えば、留まってくれる気がした。
「そんな、理由じゃないけど」
「ええて。遠慮して言えんこともいっぱいあったやろ。友達と遊びたい盛りに飯作らんとあかんから遊びに行かれへんかったやろうし、思春期の女子やから自分の部屋欲しいやろうし」
「違う!」
「……なんや。泣くな」
涙をこぼして俯いて、その手は必死に溢れる涙を拭っていた。
「だって、進次お兄ちゃん、なんにも解ってないっ」
「……」
「私っ、これ以上一緒にいたら進次お兄ちゃんを好きになってしまう!」
唇を、噛み締めた。
「……それの何があかんねん。俺はとっくに離れたくないっちゅーんじゃ」
俺の不安を。毎朝ある孤独感を、こいつは分かっただろうか。今、泣きそうな俺の感情を、理解しているだろうか。
溢れ出して、とめどない感情がジョニーを力強く抱きしめてしまいそうになる。