私は怒っていた。
「とりあえず、横浜市内まで」
私は、待っていた。
それを、この男は
「どうしてそんなに怒っているんだ?」
と、平気でそう聞くのだ。
「どうしてか、分からない?」
数割増の笑顔で聞き返すと、少し悩んで
「あぁ、待たせすぎたな。腹が減ったのだろう? このままどこか食べに行こう」
なんて、愛のかけらもない答えを導き出すのだ。
おかえり、 ……私は、ずっと待ってた。周りから見たらたった一年かもしれないけど、私にとっては長い長い365日だった。
甚がインドネシアに行くと知ってから今日まで、ずっと甚を心配していた。
初めていく土地、言葉の通じない国。そんな場所へ仕事を……現地の人にレスキューを教えてくると言ったときの甚の顔は、希望に満ちた顔をしていた。
そんな顔をした甚に「いってらっしゃい」以外の言葉は言えなくて、私には私の生活があって、結局待つことしかできなかったのだ。
だから、どれだけこの日を楽しみにしていたか。
今朝だって無駄に早起きしてシャワーを浴びて化粧をきめて、ああでもないこうでもないと一人ファッションショーをしていたくらいだ。
なのに。タクシーで空港に迎えに行くからって言ったのに空港には見当たらないし、連絡が取れたと思ったらみんなと野球してるし……。
久々に会ってさぁ、もっと他に言うことがあるんじゃないの!?
「やはり日本はいいな」
車窓から流れる景色を見ながらホッとしたような顔をする甚は、少し変わったようだった。
肌は健康的に焼け髪は伸び、以前よりは人間らしくなったようだと感じる。そんな甚の横顔に、不覚にもドキッとしてしまうのだった。
「みんな変わらないようだった」
「うん。そうみたいね」
「俺がいない間に、色々なことがあったようだ」
「うん」
少し前ニュースで見たメッシュの子が野球をしていて、知り合いでもなんでもないけど、元気になったのだとほっとした。
甚は、あのニュースを知っているんだろうか。
「ジョニーも、変わりなさそうだな」
「……甚は、変わったよね」
「そうか?」
「前よりも、もっと人間らしくなったみたい!」
込み上げる感情を押さえ込んで、ニッと笑ってみた。甚は、キョトンとこちらを見る。
「人間らしく?」
「うん。なんていうか、野性的に? 前は機械的だったからなぁ」
本当は甚から電話があってすぐに、タクシーを飛ばして野球をやっている場所へと向かった。そして見ていたのだ。甚がみんなに歓迎されている姿を。
ちぇ、なんて。子供みたいに小石を蹴飛ばしたのを、知らないでしょう。
少しだけ寂しくって、膝を抱えてうずくまっていたなんて、知らないでしょう。
私は……変わってしまった。本当に、まるで子供みたい。
「どうした?」
わがままだった。
私はわがままで、抑え切れなくて、涙が出てしまった。嫌なのに。
「ごめん、違うの」
噛み合わない会話に、甚は困った顔をしている。それでも私は「違うの」と繰り返した。
違うの。本当は困らせたいんじゃないの。本当は甚のせいじゃない。
怒っていたはずなのに寂しくて泣くなんて、格好悪くて。こんな自分に呆れてしまう。
別に、私を優先して欲しいんじゃない。ただ、
ただ、せめて「ただいま」は、私に一番に言ってほしかった。
「ジョニー」
ギュッと肩を抱かれて、甚から太陽の匂いがすることに気付く。
「うん」
返事をして見上げると
「ただいま」
見透かされたように微笑まれて、「会いたかった」なんて私が一番欲しかった言葉をもらった。
「うん……!」
また、子供みたいに泣いた。
「まだ怒っているか?」
「……ううん」
あぁ、そうか。ちょっと目が覚めた。
甚は案外、レスキュー馬鹿なだけじゃなくって。私の機嫌が悪くなったときに何をすればおさまるのか学習していたわけだ。
それもインドネシアで取得した技か? このやろう。
「まぁ、いいけど……」
そう唇をとがらせると、それに気付いた甚は、私の唇を人差し指でなぞった後
「あとでな」
と囁いたのだった。
「ちっ、違うよ! そういう意味じゃないよ!」
「そうなのか?」
甚のえっち! そんなところまで変わらなくて良かったのに!
前はそんなこと言わなかった。むしろこっちがハッキリ言わないと伝わらないくらい鈍感だった。なのに……。
私はきっと、これからもずっと。こうやって甚に翻弄されていくんだ。
私は甚に「おかえり」と言うヒマもなく、良くも悪くも野性的になった甚を、これからどう制御していけばいいのだろうと、しばらく悩みつづけるのだった。
おかえり、の続きは?
…愛してる…。