夏の音

 突然騒ぎ出した街に驚いて、朝から開けていた窓の外に身を乗り出した。

 祭囃子が聞こえる。和太鼓の音が響き渡る。それに合わせて、さっきまで静かだった鈴虫も鳴き出した。

 この部屋にまで聞こえてくる、今年初めての夏の音。

 もうすぐ約束の時間だ。はしゃぐジョニーが扉を開けるだろう。




の音




「真田さんっ」

 ほら。やってきた。

「迎えにきたよ! もう始まっちゃったみたいだから早く行こう!」

「……」

 しっかりと浴衣を着込んで、カラカラと下駄を鳴らす。

 玄関先でそんな風に俺を急かしながら、決して部屋に上がろうとしない。

「早くー!」

 と言って、また玄関のノブに手を掛けていた。

 今にも飛んでいきそうな勢いで、子供のようだと笑ってしまう。

「あぁ」

 支度に手間取って機嫌を損ねるのもなんだ。財布だけをポケットに入れ、玄関へ向かう。

 着の身着のまま。そんな俺の手を取って、外の世界へ連れ出された。




 間近になった夏の音が、胸に響く。

 祭りの会場となっている神社に着くと、眩しいくらい色とりどりの光があった。 ジョニーはキョロキョロと忙しなく、興奮しているようだった。

 カラカラと、ジョニーが歩くたびに下駄が鳴り、心地よく耳に届く。

「ねえねえ。そういえば、浴衣可愛い?」

「あぁ。自分で着たのか?」

「うん!!」

 満面の笑顔で返事をするジョニーの横を、小さな女の子が走り抜けた。その後ろを、父親らしい男性が小走りで駆けてく。

 なんだか、自分達と重なった。この歳の差もあるだろうが。

 ジョニーは何か繋ぐものでもなければ、勝手にどこかへ行ってしまう。

「……」

 自分の勝手な気持ちだが、離れていくジョニーの背中は見たくないと思った。できることなら、ずっと隣で……。

「真田さん。ちゃんと手、繋ごうよ。はぐれちゃうよ?」

「あぁ」

 握られたままの指先に、ジョニーが指を絡ませた。

 細く小さなその指は、俺が少し力を入れてしまえば壊れてしまいそうで……。時々加減が分からなくなりそうになるから、抱きしめるときも強くは抱きしめられない。

 もっと強く。

 もっと強く。

 ……儚い君は、俺の想いに壊れてしまうんじゃないだろうか……。

「あ、真田さん。金魚すくい!」

 一人悩んでいたとしても、ジョニーの言葉がそれを忘れさせる。それが魔法のようだと感じた俺は、夢見がちだろうか。

 繋ぐ俺の指先を引っ張り、屋台に引きずり込む。

「わぁ!」

「水槽はあるのか?」

「うん、小さい金魚鉢なら持ってるの。真田さん、デメちゃん捕まえて。デメちゃん!」

「これか? それともこっちの黒い方か?」

「赤いのと黒いの両方! 一匹だけなんてかわいそうじゃん」

「了解した」




 案外俺は祭りが好きなのかもしれない。ジョニーに「いつもより楽しそうな顔してた」と言われた。

 手に入れた金魚と射的の景品を両手に、たこ焼きをつまむ。

「あれ? あの子どうしたんだろう?」

 そこにさっきジョニーの横をかけていった小さな女の子が、大声を上げて泣いていた。どうやら射的の景品であった、大きな熊のぬいぐるみが欲しかったようだ。

「だから、あれはゲームで勝たなきゃもらえないものなの!」

「いやだああぁぁぁッ! くまさんーッ!!」

「さっきクジで猫さん取っただろ。あれで我慢しなさい」

「やああぁあ……あ……くまさん」

 女の子は俺の腕の中にある熊を見付けると、ピタッと泣き止んだ。

 ジョニーがニコリと微笑むと、俺の腕から熊を取り上げ女の子に差し出した。

「どうぞ」

「わぁ……くまさぁん!」

「すみません!」

「いえいえ」

 慈愛と言うべきか。その優しさは万人に向けられている。

 良いことなのだが、相手を選ばず時に頭が痛くなることも少なくない。自覚はないようだが……。

「真田さん、せっかく取ってもらったのにごめんね」

「いや。良かったのか」

「うん」

「そうか……」

「……どうしたの? 最近いつもより変だけど、悩み事?」

「悩み……か」

 そうかもしれない。

 いつまでも続いて欲しいと願うこの夢が、いつか覚めてしまうのではないかと不安でたまらない。

 俺よりいくつも若い君が、いつか簡単に俺から飛び立っていってしまうんじゃないかと。

「気にするな。ほら、行こう」

「……はーい」

 不安がったところで情況は変わらない。それならば、今ジョニーといるということを噛み締めていたい。

「花火も打ち上がるそうだな」

「うん」

「見ていくだろう?」

「うん!」

 ドン!! と、爆音が鳴ると共に光がシャワーのように降り注いだ。時計を見ると、ちょうど八時を過ぎたところだ。

「始まってしまったな」

「真田さんだけずるい!! あたし見えない!!」

 人込みの中で埋もれるジョニーは、必死で背伸びをし、俺にしがみついて遠くの空を見ようとしていた。

「真田さんっ」

 また花が咲く。何度も、幾重にも重なって華やかに。

 数秒後には火の粉が落ちるだけの光は、なんだか俺の感情に似ている気がした。

 大輪の喜びの花。流れるように落ちる悲しみの花。激しく光る怒りの花。幾重にも重なり、君の一言で消えていく。

 そしてその儚さはどうしてもジョニーに重なって、不安にもなる。

「……」

 「見事だな」と振り向こうとした途端、君がか弱い力で抱き着いてきた。

「真田さん、好き」

「突然、どうしたんだ?」

「……今日、なんだか真田さん上の空で……。あたしのこと嫌いになった?」

「そんなことはない。ただ少し考え事をしていただけだ」

 くだらないことだ。君との終わりのことだなんて、どうかしている。

「真田さん。また、来年もあたしと来てね?」

「もちろんだ」

「絶対だよ? これからも一緒にいてね?」
 また……空と、胸の奥の方に、ざわつかせる爆音が染み渡る。

 立ち尽くす人込みの中、俺達は強く抱き合った。

「約束しよう」

 俺の不安は、夏の音に掻き消されていく。ジョニーが儚いなんて、夏の夢。

 こんなに強く抱き締めても壊れそうにない、固い絆。



不安だって、
君の前で消えていく。


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