最後の一本。

「坂崎班長を呼んできてくれるか?」

「はい」

 船長に煎れたてのコーヒーを持っていけば、途端にそう言われた。

 あたしは潜水班じゃないから坂崎さんの動向なんて把握してないし、どこにいるか聞かれても答えられることは多くない。

 それでも船長は「いつも一緒にいるから」とあたしに坂崎さんを呼ばせ、いつからかあたしは坂崎さんを探す係になっていた。




最後の本。




 食堂の扉を開ければ一つ、煙を燻らせる背中があった。

 最近では坂崎さんがいそうな所は見当がついていて、一発で彼を見付けることもできるようになっていた。

 でも、あたしが見つけるのは彼の背ばかりだ。

「坂崎さん。船長が呼んでます」

 さりげなく携帯を折り畳んでポケットにしまい、振り向く。

「船長が? 何だぁ?」

「分かりませんけど、大事な発表があるみたいです。待ってますから、さっさと行ってあげてください」

「へいへい。まぁた兵悟の命令違反の話じゃねーだろうなぁ」

 頭をかいて、煙を上げていた煙草を灰皿に押し付ける。火を消して席を立った。

 その背中を見送る。

 ……奥さんにメールでもしてたのかな。

 何度か言葉を交わしたことがある。ハキハキした感じの、可愛くて元気な奥さんだ。

 あんないい奥さんがいるのに、合コンに参加してるなんて何を考えてるんだろう。おまけに指輪まで外してやる気まんまんだったって、神林くんに聞いた。

「ひどい旦那だなぁ」

 引きっぱなしの坂崎さんが座っていた椅子に腰掛け、テーブルの上にある置き忘れた煙草を眺めた。

 こんな体に悪いもの吸って、何を求めるんだろう。けむいし匂いは残るし、良いところなんかない。

 パッケージを軽く振ると、一本。最後の一本だろう煙草が手元に転がった。

「この一本に、15円の価値は本当にあるの?」

 何気なく、くわえたこともないそれを坂崎さんみたいにくわえてみる。

「……」

 なんだか、近づけたような気がした。

 ふわりと鼻をかすめる匂いに、煙草も悪くないかもと思う。

 偶然指先に触れたライターを手に取り、不慣れに先端を燃やしてみることにした。

 それでも火は点かず、恐る恐る吸ってみると途端に煙が口の中に広がり、目眩を起こした。

「ゲッホ!! 何これ……」

 本当にクラクラする。脳が渦巻いてるようだ。匂いも燃える前と全然違う。けむいだけだ。

 それでもキスするように唇を付けては、少しずつ吸って煙草を燃やした。

 クラクラと、世界が小さく揺れる。

「おいジョニー、人の煙草勝手に吸ってんじゃねーよ!」

「きゃっ!」

 音もなく現れて、くわえていた煙草を後ろから引き抜かれた。

 視界に煙が踊るのが見える。

「最後の一本だったのによーっ」

 そう言って、あたしが少しだけ燃やした煙草を坂崎さんがくわえた。

 そんな純粋なわけでもないけど、なんとなく照れて目を反らす。

「そんな体に悪いもの……」

「だったら吸うなよ、不良娘。いつから人の煙草盗ってまで吸うヤンキーになったんだ? お前は」

 いつも、なんでいつも子供扱いするの。

「別にあたしが煙草吸おうが何しようが、坂崎さんには関係ないじゃないですか」

「関係あるよ」

 ……心臓が、奥から鳴り響いた。胸が痛い。

「最後の一本だったんだぞ!? うちの嫁うるせーから煙草だって節約してんだよ! ったくよー」

「……そりゃ、すいませんでしたねっ!!」

「逆切れか!?」

 だって、思い知らされる。

 行動の中に、言葉の中にあたしが越えられない存在があること。

 合コン相手の女の子の前では指輪も外すくせに、あたしの前では普通に奥さんや子供の自慢話だってする。

 なんでそんな扱いが違うの? なれるなら、その合コン相手になりたかった。

「坂崎さーん、またジョニーと喧嘩ですかぁ?」

「外にまで聞こえてきましたよ〜」

 せっかくあたしが作り出した煙も、いつの間にか宙に消えていた。

 潜水士さん達がトレーニングを終えて集まり、騒がしくなる。

「喧嘩じゃねーよ、説教だ、説教。こいつ、俺の最後の煙草勝手に吸いやがってよー」

「いいじゃないっすか、煙草の一本くらい」

「よくねーよ!」

「だから謝ってるじゃないですか!」

「それが謝る態度か!?」

「はははっ、また口喧嘩始まった」

「でも何でまた煙草なんて? ジョニー、吸ったことないって言ってたじゃん」

 ……ただの子供のように、悪戯心だけならよかった。ただ、その匂いが欲しかった。

 なんて言えない。

「吸ってくれと言わんばかりに一本出てきたから」

「だからって吸うかぁ!? 最後の一本を!」

「ちゃんと買って返しますよ!」

「ほんっと、お前生意気になったよなぁ。船に乗りたてのときはあーんなに可愛かったのに」

 だからっ、なんでそういうことを言うのか。皮肉だとしても舞い上がりそうになる。

「っていうか、船長から何か発表あったんじゃないんですかっ」

 ドキドキすると同時に落ち込む気持ちを隠しながら、真横をすれ違って制服に染み付いた苦い匂いを吸い込んだ。

「あ、そうだ!! おい、みんな。兵悟がトッキューに行くぞ! 電話電話!」

 あたしが初めて吸った煙草の匂いは、あの人と同じ匂いがした。



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