花鳥風月

 こんな時間にこんな場所へ女子を呼び出すなんて、ワシはろくでもない男じゃと思った。

 孤独に波音だけが響き、一人ボーッと見つめていると真っ黒な空と海に飲み込まれてしまいそうになる。

 どうせなら迎えに行けば良かった。波乗りも、こんな時間に海まで一人で来るなんて怖いじゃろう。

 場所も、もっと明るいところにしておけばよかった。あいにく空は今しがた月を雲で隠してしまって、辺りは真っ暗だ。

 立ち上がり踵を返すと、息を切らせた波乗りが砂浜へ下りてきているところだった。暗闇に、おそらく、としか言えないが。

「波乗り?」

「大羽! どうしたの? こんな遅くに」

 上の道路から転げそうになりながら必死でワシの隣に来ると、湿気を帯びている髪から風呂上がりの匂いがした。

 顔も見えないこの暗がりのせいで、ええ匂いじゃと、抱きしめて髪に顔を埋めてしまいたくなる。

 じゃがワシらはやっぱそういう関係ではなくて、ふっと途切れそうになる理性を、口を動かすことで保とうとしていた。

「悪いな、こんな時間に呼び出して。やっぱ迎えに行けばよかったのう」

「平気平気! お父さんもお母さんも寝ちゃってたから。起きる前までに帰れば大丈夫」

 その割には息を切らせる全力疾走をしてきたのは、ワシと同じ気持ちだったからなんじゃろうか。そんな勘違いをしてしまいそうになる。

 さっきまで広く暗い世界に孤独を感じていたくせに、波乗りが来ただけで一面が明るくなったように思えた。真っ黒な世界も恐ろしくはない。

 さっきまでワシが腰掛けていた流木に波乗りを座らせると、何となくワシは立ったままでいた。

 海風で心地ええのに、熱くて堪らない。

「で? なんか話あったんじゃないの?」

「あぁ……」

 声を出しかけて、口を閉じた。言うんだ、今日こそ。ゴクリと喉がなる。

 言えずにずっと、今日まで来てしまった。これを逃したらきっと、もう二度と言うこともないだろう。そんなのは嫌だし、今までの波乗りとの思い出が後悔で染められてしまうことは堪えられなかった。

 スッと息を吸うと、海を見据えたまま声を出した。

「ワシ、上京することになった。競技会で優勝して、トッキューに行けることになったんじゃ」

「……」

 数秒の沈黙に不安になって波乗りを見下ろすと、その不安はいらぬ心配だったと思わせるほどの笑顔。

「おめでとう!」

 立ち上がってワシの手を強く握り、興奮したように「良かったね」と「すごいね」を繰り返された。

「あぁ」

 波乗りはワシの努力を知っている。だからだろうか、自分のことのように心から喜んでいるようだった。

 でも違う。ワシはこんなことを伝えたくて、波乗りを呼び出したわけじゃない。

「上京はいつ頃なの?」

「……もう、明後日には発つ」

 空と海は真っ暗で、でも月にかかった雲が晴れていったおかげで、波乗りの目から涙がこぼれるのが分かった。

 それを見てほっとしたのは、悪いことだろうか。

 必要とされてるなんて感じるのは、ただの思い上がりなんだろうか。

「急すぎて、目の前が真っ暗になっちゃった」

 「嬉しいはずなのに」と、波乗りはそれ以上語ろうとしなかった。だから一個ずつ、聞いてみる。

「寂しいのか」

 こくん、と小さく頷く。

「ワシがおらんくなるから」

 また波乗りが頷く。

「泣くほど嫌か?」

「もう、うるさいっ。勝手に東京でもどこでも行っちゃえばいいじゃん!」

 「意地悪ばっかり」と泣きべそをかきながら波乗りらしい反応に、不謹慎にも笑みがこぼれて……。

「一緒に行こう」

 全部ワシの勝手で、きっとこれからもワシの勝手でしかないんじゃろうけど。ずっと言いたかった言葉が溢れ出した。

「ワシはお前が好きじゃし、きっとお前もワシが好きじゃろう? 同じ気持ちだったら、一緒に行こう」

 追いついていないだろう波乗りの感情を置き去りに、今まで何年も言えなかった想いを腕に込め、小さな波乗りの体を抱きしめた。

 それは不思議な感覚で、さっきまでそんな関係にはまだなっていないとためらっていたことさえ、今やってのけている。

 思ったとおりに波乗りの髪は湿っていて風に晒され冷たくなり、それでもシャンプーの、リンスのええ匂いがワシの顔を包んだようだった。

「お、大羽」

 戸惑う波乗りの耳元で「返事を聞くまで離したりなんかせんから」とつぶやくと、ためらいがちにその手は背中に回された。

 幸せじゃった。好きな女と抱き合っている、この瞬間が。泣くかと思ったくらいに。

「大羽」

「ん?」

「好き」

「あぁ」

「一緒に、行っていいの?」

「一緒じゃなきゃ、ワシが頑張る意味なんかないんじゃ。帰って来る場所があるから、生きて帰って来られる」

 そうだ。いつか訓練で落ちてしてしまったときさえ、一個の光りの中にはお前がいた。

「そんな風に言ってくれて嬉しい」

 見つめ合ったあと、ワシらは子供みたいな小さいキスをして、手を繋いで街頭がポツポツ光る道路脇を歩いて行った。

 ジョニーをどうやってさらっていこうかなんて、計画を立てながら。




花鳥風月

明日も君と過ごせたらいいな。


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