暖かい部屋/ブチャラティ その部屋は暖かくて。 私はうとうととまどろんでいたけど、カツカツという小気味よい音に耳は揺さぶられた。 「寝てるのか?」 別に待ちくたびれたわけじゃないのよ。 ただこの部屋があまりに気持ちよかっただけで。 無理に体を起こそうとしたら、ブチャラティはその骨ばった手を私の目を塞ぐように置いて「起きなくていい」と言った。なんて優しいんだろう。 いつの頃からか、彼を慕っていた。側にいたくて無茶をしたこともあったし、とても怒られたこともある。どれも懐かしい思い出で、この部屋に来てから、そんな微睡みの中をずっと彷徨いながら彼が来るのを待っていたんだ。 このベッドも、外の朝か夕方かもわからないオレンジの光もずっとずっと変わらなかった。ブチャラティがやって来て、はじめてこの部屋の空気が動きはじめたような気さえする。 私が寝ていたベッドの横にイスが置かれたようだった。ブチャラティが 長く使ってるブラウンの、椅子作家が作ったとても座り心地のよい椅子だろう。ガタンと控えめな音がした。 だんだんと脳が覚醒してきた気がして、私はやっと瞼を開けた。 オレンジ色の光の中でブチャラティはその椅子に腰をかけてこちらを見ていた。 「おはよう」 「よく寝てたな」 んん、と背伸びして上半身を伸ばす。 「待った?」 「イチの方こそ待ったろう?」 首を横に振ると、その骨張った手を伸ばして、私の頬に触れてきた。 「やっと会えたね」 「大分待たせたな」 「もういいの?」 「もう大丈夫だ」 逆光で表情はあまりよくわからないけど笑ったのはわかった。そのいつもと変わらない笑顔のはずが、何故かすごく晴れていたように思う。だから単純に良いことがあったのだろうな、と思った。 頬に触れていた手が、前髪をつまみ肩に掛かる髪を梳いていった。 「会いたかった」 そうか会いたかったか、恥かしげもなく恥かしい人! 穏やかに笑ったままでいるから、私の胸がドクンドクンと高鳴ったような錯覚を受けてしまった。そんな筈ないのに! 「…おなかすいた気がする」 「何か飲むか?」 「うん」 照れ隠しにいえば、彼は立ち上がってしまう。離れた手のあとが急に寂しくなって、私は暖かいベッドからやっと立ち上がった。拍子、窓の外にバスが見えた。 「ブチャラティが乗ってきたのは、あのバス?」 指差して言えば、顔を寄せて同じ方を覗く。 「いや、青かったような。‥どうだったかな」 少し困ったように首を傾げた。 まぁ、何色のバスでも構わないわ。 「まずはゆっくりとお茶をしましょ」 「そうだな」 「出来たら、その晴れやかな顔の理由も聞かせて」 すこしだけ驚いたように目を丸め、すぐに今度はいたずらっぽく「長くなるぞ」と言って笑った。 何れ程掛かっても構わないわ。 時間なんて気にせずに、飽く迄この暖かい部屋に居ましょうよ。 ※拍手お礼小説より再掲 |