★★★ それから数日してフロントに承太郎さんが姿を現した。 「いつが暇か」 朴訥にそう聞かれ「大抵は暇ですけど」、そう答えると、噴出した笑いをまるで声を整えるように誤魔化された。 「酷いですね!」 「いや、いい年したオンナが大抵暇ってのも酷いが」 「いい年って!まだ20代前半なのに!」 フロントで言い合っていたら、裏から同僚に不思議な顔で覗かれてしまった。 「なら、今日のアガリは何時だ」 「いつもどおり10時ですよ?」 「それなら、昼食を頼みたい」 ピンと来た。あぁ約束をそのまま受け取ってくれていたんだ!少し赤くなりそうだった顔を素知らぬ風に誤魔化して、私は「ええ、じゃあ、上がったらお部屋に向かえに行きます」そう告げた。 :::::::::: 「ちょっと!どういうこと!」 「本当なんでもないって!お客さんじゃない!」 同僚に詰め寄られて、着替えをしながらロッカーに肘をぶつけてしまった!ああ痛い!痣にならなければいいけれど!擦りながらも顔を同僚に向けたら不審な顔をしている。 「あんまりさー、得体の知れない男にくっついていかないほうがいいよー?」 「得体知れないって、承太郎さん酷い人でないよ」 「そんなのわかんないじゃない」 「っていうか!そういうんじゃないってば!おいしいお店を紹介しようってだけ!じゃね!」 飛び出すようにロッカールームを出て、そして私は数階上の承太郎さんの部屋に向かった。 :::::::::: ノックをするとややあってから承太郎さんが姿を現した。ゴム手袋をしてる。 「あぁ、すまない。あと少し待っていろ」 ハァイと答えてズカズカと部屋に入った。ずっとルームメイクは断ってるようだけれど、さほど乱れた様子もないベッドに腰を下ろす。 見れば間接照明だらけのこの部屋にどこから引っ張り込んだのか、煌々と光る大きなライトが据付られて、そしてその足元にはビニールの上に数個のバケツが並べられている。 「何してるか聞いていいですか?」 「…もうしばらく待て」 「ハイ」 何かをサラサラと書き付けているような音と、時折そのヒトデをいじくるのか磯の匂いがする。 私は手持ち無沙汰になってキョロキョロと辺りを見渡した。初日にもってきた大きな手持ちカバンが開いていて、そこから着替えや貴重品の類が見え隠れしている。その中で。 「(…写真)」 あぁこれはいけないパターンだな!自分で思いながらもついつい好奇心に負けて手を伸ばしてしまった。少しだけ見え隠れするそれをチラリと見たときに 「勝手に人の荷物を漁るんじゃねぇ」 「っ!」 声にならない悲鳴をあげて、手がはじかれたみたく止まってしまった! 「ご!ごめんなさい!」 一拍置いてから頭を下げる。けれど、「見たければ見ればいい」、長身を屈ませて写真をとり私にほうり投げてきた! 「え、いや!いいですよ!」 「みてぇんだろ」 「あー、いやー、えぇ?だって…」 しどろもどろになりながら、私は結局興味の方が勝ってしまった。裏返して、ちいさなパスケースのようなものに入れられたそれをめくると。 「…、?」 柔らかく笑う承太郎さんと、それにくっつく小さな女の子。 「え、と?」 「首を傾げるな」 「いや、だって、え?この子は?」 「オレの娘だ」 少し自慢するように言った。 「へ?」 私は間抜けな声を出してしまった。 しばらく承太郎さんをみてから、また写真に視線を落す。うええ?娘ええ? 「え、っと、えええと」 混乱する頭をしかりつけるように言葉を発するけれどやっぱりついていかない!もう1回写真を見ようとしたけれど、さすがに取り上げられてしまった! しばらくの沈黙のあと、私はようやく声をあげることが出来た。 「お子さん、いらしたんですか!?」 「おかしいか?」 「え、だって、えええ!?何歳!?」 「今年で28になる」 28!?つい顔を見てしまった。28、全然見えない「いっても25くらいだとおもってた!」。 「…」 「えー!お子さん何歳ですか!?」 「6つ」 「ええええ!」 矢継ぎ早に聞き少し不快そうだったけど、私はそんなの気にしている暇はない。奥さんはあちらの方ですか?とかどうやって知り合ったの?なんて聞きながら 「もういいだろう」 声を荒げるように承太郎さんが言うまで詰め寄ってしまった。 「だって、承太郎さん何もいわないから!」 「いうようなことじゃねぇ」 「いや、言うような事だとおもう!」 ついはしゃいでしまったわ!お子さんがいるっていうよりも、承太郎さんのことが少し知れたってことに。それに気がついたのは少し先だったけれど、ついはしゃいでしまった。 フゥと溜息に似た息を吐かれて、「やれやれだぜ」なんて言われて。 「腹が減った」 「あぁ!」 もうそんな時間か! 私は腕時計を見て、承太郎さんと一緒に部屋を出ることにした。 :::::::::: 自転車を押しながら、春の陽気を全身に浴びながら、長身の承太郎さんの横を歩く。お子さんがいるとわかってから、なんとなくカドが取れた気がする。まぁ勝手な解釈だけれど。 「街の中心まで、結構歩きますよ?」 ホテルを出る時にタクシーを呼ぼうか悩んだけれど、「歩けばいい」と承太郎さんは言うから私は自転車を押しながら歩くことにした。 「えっと、ここは郊外になるんです。お店はイタリア料理なんでけど、駅からちょっと離れてて」 駅を中心とするようにこの街は都市計画されてるから、指で駅のある方角をさしながら説明をしていると承太郎さんは少しだけ頷きながら聞いてくれていた。 「この街に来たの、お仕事ですか?」 「いや」 「じゃあ本当にヒトデをみつけに来たの?」 「今いる理由の一つはそれでもあるが」 「あぁそうそう、この道を下っていくと北の入り江にも出られるんです。そっちは遊泳禁止になってて砂利の浜だけれど、たまに釣り人が行くくらいだから荒らされてなくって」 「それにね、この街、小さいけれど魚も取れるしお野菜も美味しいんです。駅から向こうの西のほうは殆ど畑で、ほら、遠くに山が見えるでしょう?雪解け水が川に入り込んで流れてきて、それを引っ張ってて」 「そうそう!本当遠いけど、山のフモトまでいけば湧水もあって!」 おなかが減っていたからなのかずっと食べ物の話をしていたら「フッ」と笑った声を聞いた。 「…何かおかしかったですか?」 「いや」 「だって笑った!」 「随分とこの街が好きなんだな」 え、と言われて私は足を止めてしまった。 「どうした」 「いや、えーっと、そう、見えました?」 「あぁ、確実にそうみえるぜ」 そうかなぁと頭をかいてみて、ううんと唸って、そうかもな、なんておもったりして。 「それが、なぜ外に出たいのか、こっちが悩むな」 と、薄く笑いながら言われてしまった。 そんなこと、こっちだって悩む。別にこの街が嫌いなんじゃない。すきかと言われれば悩むけれど、嫌いじゃあない。けれど。私はこの街じゃないところに行きたい。そう思ってる。 「んー、なんででしょうねぇ」 のんびりというと、段々と道に人影が見えてきて、そして車の通行量も増えてきて 「最終的には、ここに戻るんでしょうけどね」 呟くみたく言ったら 「何か言ったか?」 「いえ、何も」 「そうか。ところでまだ着かないのか」 「あ、もうすぐですよ!本当にそのお店、美味しいですからね!期待してくださいよ!」 言うとまたフっと笑っていた。 :::::::::: お店の前に自転車を止めると、こちらがドアを開ける前に店主がドアを開いてくれた。 「ようこそ林檎サン!今日はデートデスカ?」 「違いますよー!トニオさんの料理美味しいから、連れてきたんです!」 二つしかないテーブルに通してもらい、私と承太郎さんは席について料理を待った。 「メニューは?」 「ないんです、トニオさんが作ってくれるの」 私も最初驚いたけど、それが正解なんですよ!と力説すると、水を持ってきながらニコニコとするトニオさんが承太郎さんに説明をはじめ、そしてあるときから言語が変わった。英語の会話になった! あぁやっぱりあこがれる。カタコトに近いトニオさんがペラペラと何かを告げて、それを承太郎さんも受け取って。言語の壁って大きいなとか思ってしまった。 しばらく話をしてから、トニオさんは厨房にご機嫌に戻り、承太郎さんは帽子を脱いだ。黒髪がツヤツヤとしてる。 「何話していたんですか?」 「…あー、…、いや、料理についてだ」 その間は何かしら?なんて思いながら居ると 「不服か?」 見透かしたように告げられた。 「いいええ」 「変なオンナ」 「承太郎さんに言われたくないんですけど!」 ムキになって答えてみたら、やっぱり小馬鹿にしたように笑われて、でもそれが嫌じゃなくて余計にムキになってしまった。のめりこんではいけない、そんな警鐘もなってる。けれど。 「海外に、遊びにくる程度だったら、美味い店に連れてってやるよ」 そういわれて、不覚にも動揺してしまった。 な!なんだよ!この男は!ヨメも子供いるのに! そうちょっとだけ逆恨みのように目を細めてジトっと見やる。気にしないように彼は水を飲んでいただけだった。 落ち着いて。 落ち着いて返すんだ。 フゥと息を吐いてから 「絶対ですよ!」 そういった。 ニヤリと笑われた。 「林檎はこの街から、きっと出ないだろうな」 「そんなことないです!」 「ババアになっても同じこと言ってる気がするぜ」 そんなことないわよ!行動力、案外あるんだから!そう言い返そうとしたときに。 「まずは前菜デス」 カタンとお皿が目の前に置かれ、料理の説明をトニオさんがしてくれる。一口運ぶとやっぱり美味しい!どうよ、とばかりに承太郎さんを見ると無感情に口を動かしているようだったけど、しだいに表情が柔らかくなったのがわかった。 「ドウゾ、楽しくお話しながら、召し上がってクダサイ」 ニコリと笑ってトニオさんはまた厨房に消えていく。 見計らってから、美味しくて止まらなくなりそうな料理をちょっとだけ休んで 「1回くらい、承太郎さんトコ、遊びに行きますよ!」 娘さんに挨拶くらいしてやるわよ!そう言った。この若い父親はまたニヒルに笑っただけだったけど。 「だから、連絡先、ください」 「今は料理が先だ」 フォークを止めずに言ったから、 「絶対ですよ!」 繰り返し言ったらまたフっと笑った。 椅子に座っているけれど、視線を少し上げないと承太郎さんと目があわない。あわせるようにじっと見ていたら、やっと気がついたようにこちらをみた。 「とりあえずドコの国いったことがあるか教えてください」 「…」 「あ、お料理食べてからでもいいですよ!私今日暇ですから!」 押し付けるように言ったけれど、はじめの頃の怖いような印象はもうなくなっていた。もっと知りたいんだ世界のことも、承太郎さんのことも。 「やれやれだぜ」 そう呟いて。 彼は料理と交互にポツポツと話だしてくれた。どうやら世界は大概素晴しいらしい。けれど私が知っている世界も大概素晴しかったらしい。 至福というんだろうな、こういうの。初めて知ること改めて気づくこと。私はソレを聞きながら、ゆるやかな午後を満喫していくことにした。 終 |