「そこのおねーさん、ちょおお尋ねしたいんやけど」



不意に掛けられた声に、歩みを止める

振り向いたそこには、眼鏡をかけた長髪の少年

目が合うと、少年はにこっと愛想良く微笑んだ



『‥‥私、ですか?』

「せや、」



短く言うと、少年は手に持っていた白い紙をおもむろに広げる

どうやら、それは目的地への地図のようだ

少年はこちらにもそれが見えるように、少し体を寄せてきた



「ここ、行きたいんやけど」

『ここ、って‥‥氷帝??』

「お、おねーさん知っとるん?俺、今日そこの入学式やねん」


そう言われてふと見れば、少年の胸元には「帝」と書かれたエンブレム

氷帝といえば、かなり名の知れたお金持ちの私立校

上着の色と今の話からすると、彼は中学1年生のようだ

一般的な中学1年生より若干背丈が高いからか、もう少し年上にも見える



「なぁ、ここまで案内してくれへん?」

『いいよ、ちょうど私も氷帝に用事あったし』

「ホンマに?助かったわぁ」



安心したのか、ほっと胸を撫で下ろした少年は年相応に笑う

笑顔が、とても印象的

じゃあこっち、と歩き始めた途端にそれは阻まれた



「ちょお待って、」

『ど、どうかした?』

「せっかくやし、お茶でもどや?お礼に奢ったるし」



少年の手が、私の腕を掴む

いきなりの少年の行動に、驚きを隠せないでいると

少年はまた、穏やかに笑って言った

こんな風に異性に誘われることなんて滅多にないからか、鼓動がいつもより早くなる

掴まれた腕も、少しだけ熱を帯びた気がした



「ほい、ご注文のカフェオレ」

『あ、ありがとう』



少年に連れられるがままに入ったカフェ

年下に奢らせるなんて、と思って『払うよ』と言ってみたけど

「お礼やからええねん、座っとき」

と軽く一蹴されてしまった

ありがたく、奢ってもらったカフェオレを一口啜る



「せや、俺、忍足侑士言うねん」

『忍足、くん?』

「そ、おねーさんは?」

『名字名前、です』

「名前さんかぁ、ええ名前やな」



いきなり下の名前で呼ばれたのには多少驚いたけど、不快感は感じなかった

忍足くんは飲み物を一口飲んだ後、ふぅ、と小さな溜め息をついた

そのとき、ふと、彼の横の席に置かれた大きい荷物に目がいく



「ああ、これな、俺テニスやってんねん」



私の視線の行方に気付いたのか、忍足くんが口を開く

見せてもらった荷物の中は、数本のテニスラケット

グリップを見る限り、どれも使い込まれているようだ



『氷帝ってテニス部強いよね、それで入ったの?』

「せやで 俺、関西で結構有名やってん」



面倒やったから大会はあんま出えへんかったけどな、と忍足くんは続ける

彼は、結構マイペースな性格の持ち主のようだ

彼の雰囲気に合っているような気もする

そのうち、お互いドリンクを飲み干して一息ついたあと、やっと氷帝に向かうことになった

カフェを出る瞬間の眩しい陽の光に、一瞬目がくらむ



「なぁ、そういや名前さんて、歳いくつ?」

『忍足くんの、1こ上』

「学校は氷帝?‥やない、か」

『うん、青春学園、ってとこ』



うちの学校も、男子テニス部は結構強かったはず

最近はともかく、数年前には全国大会出場を果たしたこともあるらしい

しかし忍足くんには聞き覚えがないのか、薄いリアクションだけが返ってくる

関西までは知られていないようで、少し残念



「あ、もしやあれ‥」

『そうそう、あれが氷帝学園』

「なんや、ごっついなぁ」

『あはは、確かに』



歩くこと数十分

ようやく、目的地の氷帝に到着した

結構な距離と時間を歩いてきたけど退屈にならなかったのは、忍足くんの話術のおかげ

関西弁の人は、ことごとくノリがいいと言うことを今日学んだ



『体育館はあっちだけど、‥もう入学式終わってるみたい』

「せやなぁ、もう2時過ぎやし」



忍足くんの言葉に、自分の時計に目をやると確かに2時を回っていた

大きい校門から入ってすぐにある広場では、式を終えた新入生たちが会話に花を咲かせている



「ほな、俺、テニスコート行ってみるわ」

『うん、じゃあ気を付けて』

「名前さん、おおきに!」

『いえいえ、頑張ってね!』



片手を上げる忍足くんの笑顔につられて、笑顔で手を振る

そして、忍足くんはテニスコートの方へ歩みを進めていく

その背中をしばらく見送っていると、急に忍足くんの足が止まった

どうしたんだろう、と見ていると、彼はおもむろに振り返ってこちらを見た後、少し早歩きで引き返してきた



「あ〜‥、ひとつ、忘れとってんけど‥」

『なに?』



目の前に戻ってきたかと思えば、先程までとは違う歯切れの悪い忍足くんの言葉

何か言いにくそうに視線を彷徨わせている彼の姿が、ちょっと面白い



「‥あ、‥アドレス、教えてもらえへん、やろか」



照れたように口許を手で隠しながら、忍足くんが言う

なんだか、それがすごく愛しく感じて、思わず笑いが込み上げた

忍足くんは、顔を少し赤くしながらバツが悪そうに頭をかいている



『ぷ、あははっ』

「笑わんといてぇな、必死に言うたんやで?」

『そんな必死にならなくても、ハイ』



赤外線通信で、お互いに連絡先を交換する

ボタンひとつで出来るこの動作に、必死になれる忍足くんが可愛らしい

見た目は大人っぽいけど、やっぱり中身は年相応

改めて、そんなことを思った



「今度、メールしてもええ?」

『いいよ、いつでも』

「ホンマに?」

『うん』

「ほな、後でメールする!」



嬉しそうにそう言ってくれる忍足くん

今日の偶然がなければ出会えなかった、この関係

これからも繋がっていく確信が、少しできた気がした



「ほな、またな、名前さん」

『うん、忍足くん、またね』


その「またね」が、意味のあるものになっていくのは

まだ、もうちょっと先の話





















(偶然に、ありがとう)



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