「随分と唐突な振り方やんなぁ‥」


バケツをひっくり返したような、とはよく言ったものだと思う。地面を打ち付ける雨粒の音が酷くて、今の忍足君の呟きも微かにしか聞き取れなかったくらい。とりあえず持っていた鞄からタオルを取り出して、忍足君に差し出してみる。


「ええって、俺部活用のタオルあるし」
『え、でも‥髪すごい濡れてる』
「そんなん先生かて同じやん、ええから自分で使い?」


にぃ、と綺麗な顔で笑う忍足君は、私が教育実習をしているクラスの生徒の一人。クラスの中でも一際カッコよくて、校内の女の子に人気があるということはこれまでの実習生活の中でしっかり学習済み。

今日だって、クラスの女の子たちに誘われて男子テニス部の練習を見学にきていたところだった。女の子たちは塾だといって先に帰っちゃったけど、することもないからと眺めていたら練習後の忍足君に声をかけられた。そうしたら、この有様。たまたま近くに彼の部室があって助かった。


「ほら、風邪ひくで?名前センセ」
『えっ!?‥あ‥、うん』
「ははっ、何驚いてんねん」


クラスの女子かてそう呼んでるやろ?って言うけど、今の今までそう呼んでなかったじゃない。不意打ちっていう高度なテクニックをその歳で身につけてるなんて末恐ろしい。


「先生、傘持っとる?」
『‥残念ながら』
「俺もや‥あーあ、せっかく先生と相合傘できるチャンスやったんに」


頭からスポーツタオルを被っているから、忍足君がどんな顔をしてそんなことを言っているのかは分からない。だけど彼のことだから、きっと表情ひとつ変えてないんだろうと思う。いつだってそう、彼の言葉は本心とそれ以外の境界が分からなくて、こちらからは距離が取り難い。たかが中学生の言葉にこんなに揺さぶられるなんて、我ながら情けない。


『‥またまたぁ、忍足君なら相合傘できる彼女くらい居るでしょ?』
「嬉しいお言葉やけどな、残念ながら」
『よく告白されてるって聞いたけど』
「否定はせぇへん、けどそんなん俺の意思ちゃうし」


まぁ確かにそれだけのルックスだったら、告白してくる子といちいち付き合ってたんじゃ身がもたないとは思うけど。さらりとそんなこと言えるようになってみたい、ちょっとだけ。


「そーゆー先生はどうなん?」
『え?』
「自分は彼氏、居るん?」


がしがし、と乱暴な動作で髪を拭く忍足君と目が合う。いつの間に外していたのか、眼鏡のレンズを通さない忍足君の瞳はまっすぐで吸い込まれそうなほど。その雰囲気に飲まれないように、髪の毛先を拭く振りをして目を逸らした。飲まれたら最後、逃げられないような気がした。


『居ません、残念ながら』
「へぇ‥意外やな」
『そう?別に大学生だからって居るとは限らないよ』
「ちゃうちゃう、先生可愛えから」


全く、どんな顔してそんなこと言うんだか。そう思って再び忍足君に視線を戻そうとしたら、ピントが合わなかった。いつの間にか忍足君が私の目の前まで来て顔を覗き込んできていて、その距離が近過ぎたから。うわ、急に何なの、びっくりするじゃない。


『ちょ、っと‥お、したりくん』
「‥なぁ、名前センセ」
『も、ちょっと、離れ、て‥っ』
「俺、先生のこと好きやねん、アカン?」


額同士がくっついてしまいそうなくらいの距離で、これだけ近いんだから聞こえているはずなのに、忍足君に私の言葉はまるで通用しない。どうしてこんなに彼は、私の作った境界をいとも簡単に越えてきてしまうんだろう。自分は越えさせないくせに、私ばっかりズルい。どうして、どうして。


『だめ、そんなの‥っ』
「それ、先生の本音?」
『だって、生徒と、せんせい‥だし‥」
「‥そんだけ?」
『え‥‥?』
「そんなん、あと数週間やん‥俺、待ってまうで?」


俯きがちになる顔を両手で持ち上げられて、至近距離で忍足君と目が合う。確かに、あと数週間もすれば私の教育実習は終わるし、それで彼との関係は一切なくなる。でも、それ以外拒む理由が思いつけない。年齢の差だとか、そんな上っ面なものは彼には通じないように思えたから。

ああ、それって結局、私は忍足君を受け入れる他ないってことなのかな。


『‥‥好きにしなさい、もう』
「はは、名前先生、顔真っ赤っかやで」
『誰のせいよ、全く‥』
「俺のせい、やろ?‥好きや、名前」


雨に濡れた冷たい唇が額に落ちてくる。その温度がやけに心地よかったのは、私の顔がこれ以上ないくらい火照っていたからなんだと思う。

でも、悔しいから実習終わるまで『好き』だなんて言ってあげないんだから。










もし、彼が実習先の生徒だったら
(コラ‥先生、でしょ)(2人のときくらいええやん)



―――


侑士が、生徒だったら。

そりゃもう手に余る生徒なこと間違いなし(色んな意味で)全てを知ってるかのように飄々と振舞う感じ。こちとら実習で忙しいっていうのに余計な手出し口出しで振り回さないでーってなってる教育実習の先生が書きたかったんですが‥げふんげふん。とりあえず、今回のキーワードは『雨』です。うん。

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