見慣れたマンションのエントランス前。促されるまま乗った黒塗りの高級車から、体を滑らせるように降りる。送ってくれた運転手さんにお辞儀を返すと、それを合図に車は来た道を帰っていった。


(何だったの、一体‥)


エントランスの窓に映る私は、服装も髪型も朝に家を出てきた時と同じなのに、首元にあるネックレスだけは違う。まるで、さっきの出来事を忘れるなと言わんばかりに、キラキラと輝きを放っている。

あの景吾のプロポーズの真意が、私には未だに理解できてなかった。幼馴染みとは言っても、今年のガーデンパーティーで本当に久々に会ったくらいの間柄なのに。景吾くらいの人なら、数多くの女性が放っておかないはずなのに、何故。


「お、名前おかえりー」


自宅に帰ると、リビングでは侑士と謙也が二人で夕飯を食べている最中だった。今日のメニューはお好み焼きのようで、部屋中にお好みソースの香ばしい匂いが立ち込めている。

2人の顔を見たら、それまで張り詰めていた何かが一気に緩んだ気になって、思わずその場に座り込んでしまった。


「だ、大丈夫か?名前、どないしたん?」
『だいじょぶ‥ちょっと疲れただけ』
「とりあえず着替えてきぃや、何なら手伝ったろか?」
『結構です、お気持ちだけ貰っとく』


私の様子を心配そうにうかがってくれる謙也も、気遣いつつ軽口をたたく侑士も、いつも通りの情景のはずなのに、今日はやけに優しく、温かく感じる。安心するな、やっぱり。


「あれ、そのネックレス買うたん?」


似合うとるわ、と付け足して言う謙也は、おそらく何気なく褒めてくれたんだろうと思う。自分で買ったものだったら喜んだだろうけど、これにはその言葉は必要なかった。

謙也の言葉には口先だけでありがとうと返して、足早に自分の部屋に向かう。ダメ、このネックレスがある限り、私はさっきの出来事に縛られてしまう。早く、外さなきゃ。


(‥これ、返さなきゃな)


やっと解放された首元を押さえて、ため息を一つ。手にしたネックレスは、トップに小ぶりながら立派なダイヤモンドが輝いていて、シンプルなデザインの中に高級感を纏っていた。

これを持っていたら、景吾のプロポーズを受けたことになってしまう。私が持っているべきものじゃない。目についた小さな紙箱にネックレスをしまって、今度返しに行こうと決めた。


「名前、コーヒー淹れたけど飲むか?」
『あー‥うん、いただこうかな』


部屋着に着替えてリビングに戻ったら、侑士から私の愛用のマグカップを渡される。淹れたてのコーヒーの香りのおかげか、身体の力が抜けたみたいにソファに深く沈み込む。

侑士もカップを片手に、ソファの私の隣に静かに腰を下ろす。謙也は、夕飯が終わって早々にお風呂に入っているみたいだった。


「‥‥‥」
『‥‥‥』


ずず、とコーヒーを啜る音がリビングに響く。沈黙の時間が続いても、侑士となら特に苦には感じないから気が楽。


『‥‥聞かないの?』
「名前が聞いて欲しいんやったら、いくらでも」


それでも今日ばかりは、何も詮索してこない侑士の優しさが少しツラくて、思わず自分から口火を切った。それでもなお、私のペースに任せてくれるから、侑士ったら本当に人間ができてる。

侑士のお言葉に甘えて、今日の出来事をぽつりぽつりと話す。景吾の家に強制連行されたこと、そこで綺麗なドレスを着せられてディナーをご馳走になったこと、そしてプロポーズされてネックレスをつけられたこと。侑士は、私の言葉に反応を返すことはなく、ただ静かに聞いてくれていた。


「‥名前、プロポーズ受けるん?」
『まさか、景吾とはそういう関係じゃないし‥』
「さよか‥それ聞いて安心したわ」


空になったカップをローテーブルに置いて、侑士が微笑む。安心という言葉の意味を尋ねようとした瞬間、優しく肩を引き寄せられて、私は背中越しに侑士の腕の中に閉じ込められた。‥コーヒー、溢さなくてよかった。

私の耳元に唇を寄せて、侑士が言う。あのガーデンパーティーの時から、景吾が私を好きなことは気付いていて、そして、その気持ちに応じるかは私次第だから何も言えなかったけれど、どうか応じてくれるなと願っていた、と。


「‥名前、」
『な、に‥』


侑士の吐息が耳に掛かってくすぐったかったのも束の間、後ろから侑士に顔を覗き込まれて、その距離の近さに思わず視線が泳ぐ。

侑士がそんなことを考えていたなんて今まで知らなくて、でも今聞かされて知って、私の思考と感情が追いつかない。この態勢だって、傍から見たらカップルのそれのようなもので、一言で言えば‥落ち着かない。


「ユーシー、風呂あいたでー」
「‥ホンマ空気読めへんやっちゃな、アイツは」


脱衣所から聞こえる謙也の声で、苦笑する侑士の腕の中から解放される。いつもの距離感に戻っても、侑士の顔をまともに見られないでいたら、侑士の大きな掌に頭を優しく撫でられて心臓がぎゅっと締め付けられた。

侑士がリビングを後にする。手の中ですっかり冷め切ったコーヒーを口に含めば酸味が口内に広がって、そして苦味が微かに残った。











(泣きそうになるのは、何でなんだろう)



−−−

侑士は策士であれ。


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