『は〜あ‥‥』


放課後の図書室に、たった今吐いた溜め息が溶けて消えていく。この中学校生活でほぼお世話にならへんかったこの部屋は、私の居場所なんてあらへん気ぃして居心地がすこぶる悪い。

そんな場所にわざわざ来んとアカンかった理由は、今日担任に言い渡された一言。


「自分、この課題未提出やで。今日中なら減点なしで済ましたる」


俺ってなんて優しいんやろ、なんて笑いながら言う担任の顔は、今思い返してもただただ腹立たしい。っちゅうか、そない課題の話、友達も誰も教えてくれへんかってんけど、ホンマに出てたんかな。こないだ風邪ひいて数日休んでもうたから、その間に出とったんかもしれへん。どっちにしろ誰も教えてくれへんからひどい。


『せや、この本どこにあるんやろ‥』


友達に助けを求めたら、図書室に参考文献がある言うて教えてくれたことを、ふと思い出す。みんな部活やらで忙しい言うて手伝うてはくれへんかってんけど、やっぱ持つべきものは友達や。ありがたや、ありがたや。

友達。その単語をきっかけにふと頭に浮かんできたのは、最近チラついて離れへんあの顔。


『ちょお待ち、今は謙也くんどころちゃうねん‥』
「ん、呼んだか?」
『せやから今は置いとい‥‥、えっ?!』
「ちょ、名前、しー!」


ぽつりと独り言で呟いた名前に、まさか返事が返ってくるとは思わんかった。声の方を振り向いたら、返事した人物がすぐそこに立っとるもんやから、驚きすぎて目ん玉飛び出るかと思た。

思わず大きい声が出てもうた私の口を、謙也くんの掌が慌てて押さえる。いや、誰のせいやねん、誰の。まぁ、おかげで図書委員の注意受けんと済んだけども。


『え、謙也くん何してん、部活は?』
「今日は自主練やってん、もう終わったで」
『あ‥、そ、そうなんや』


ひそひそ声での会話やと思わず距離が近付いてまうことに気付いた途端、謙也くんのことめっちゃ意識してもうて、会話が続けられへんようになってまう。あ〜、いろいろタイミングが悪いねん、謙也くんのアホ。

私が悶々としとるうちに、気付いたら私が探しとった本が謙也くんの手の中にあった。あれ、もしや謙也くんも私と同じ課題未提出者なんやろか。


「名前、これの課題終わってへんねやろ?」
『あー‥うん、せやねん』
「手伝うたるわ」


俺のクラスこれもう習ったし、と得意げに言う謙也くんが、今の私にはスーパーヒーローみたいにめっちゃキラキラ輝いとる。ありがとう、神様仏様謙也様!

私が課題終わってへんこと、多分石田くんあたりから聞いたんやろう。それにしても、友達でさえ手伝うてくれへんかった課題を、自ら手伝うてくれるなんて謙也くんはホンマ優しい人や。


『へ〜、謙也くん英語できるんやねぇ』
「まぁな、ちなみに数学も得意やで」
『ホンマに?今度教えてほしいわぁ』
「ええで、任しとき〜」


スーパーヒーローの登場により、さっきまでほぼ真っ白やった私のノートはみるみるうちに文字で埋められていく。そしてついに最後の一文を訳し終わったら、目の前の謙也くんがただただ神々しく見えてきたから、私も大概単純やなぁと思う。


『ホンマおおきに、謙也くん』
「お疲れさん、課題終わってよかったな」
『あ、せや‥これ今日中に出さなアカンねやった』
「ホンマか!急がなアカンやつやん」


荷物見といたるし行ってき、と机の上に広げたまんまの勉強道具たちを横目に、謙也くんが私の背中を押してくれる。ああもう、ホンマめっちゃええ人やん。本人に言うたら怒られるやろうから言わへんけど。

手を振って送り出してくれる謙也くんにお礼を一つ置いて、足早に図書室を出る。無事に課題が提出し終わったら、手伝うてくれたお礼にジュースでもごちそうしよかな。謙也くん喜んでくれるとええな。そんなことを思うたら、職員室に向かう足が軽くなった気がした。










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