『加藤くん、どうぞ上がって』
「ありがとう、お邪魔します」


平日の昼下がり。玄関にスリッパを並べて、久しぶりの来客を出迎える。

侑士と謙也がうちに来てからというもの、友達を家に呼ぶのはどうにも気が引けてたから、我が家に来客があるのは本当に久しぶり。


『今お茶淹れるから、その辺りで楽にしてて』
「あ、お構いなく、名字さん」
『構わないわけないでしょー』
「あはは、それじゃありがたく」


加藤くんが笑いながら、リビングにあるソファに静かに腰を下ろす。いつもならテレビのお笑い番組を見る謙也が座るその席に、他の人が座っているのも何だか不思議な光景。

私のゼミの同期である加藤くんが今日うちに来ることになったのは、先日の合宿の時に交わした本当に些細な会話がきっかけだった。


「名字さんって、男と暮らしてるって本当?」
『あ、うん、まぁ色々あって、そう』
「それって、彼氏‥とかだったりするの?」
『いやいや全然!何なら二人いるし!』
「えっ‥そんなに名字さんの部屋って広いんだ?」
『そんな広くはないけど‥』
「ねぇ、今度名字さんち遊びに行かせてよ」
『うん、別にいいよ』


加藤くんとは今年卒論のゼミで初めて知り合ったけれど、これまであまり会話をしたことはなかったから、いきなり話しかけられた内容が内容だけにインパクトがあった。

大学でもゼミでしか会うことはないけど、今時な爽やかイケメンなのに気取ってなくて、いつも気さくな雰囲気。こないだ傷心していた友達は何故、侑士や謙也よりも先に加藤くんにロックオンしないのか正直不思議なくらい。


「ここで3人で暮らしてるんだね」
『そう、そんなに広くもないでしょ?』
「そうかな、ワンルーム住まいの俺からしたら十分だよ」


ソファの前のローテーブルに緑茶とお煎餅を並べると、加藤くんは爽やかな笑顔でお礼を返してくれた。ああ、侑士や謙也と違って新鮮な反応。

加藤くんの隣に腰を下ろし、淹れたての緑茶を一口啜る。侑士と謙也以外の人が家にいるって思うだけで、何だかソワソワしちゃう。‥そういえば、友達は友達でも、男の子を家に呼んだのは初めてかもしれない。


「‥ちなみに、名字さんは、さ」
『ん?何?』
「一緒に暮らしてる奴らのどっちか、好きだったりするの?」
『ぶ?!えっ、いやいや、ないない!』
「そっか‥、よかった」


突発的な加藤くんの問いかけに、口に含んでたお茶を危うく吹き出すところだった。侑士と謙也を好きかと言われれば好きだけど、きっと加藤くんが言うような好きとは違う。

当の加藤くんは私の言葉を聞くなり、何かホッとしたような気の抜けたような様子で微笑んだ。と思ったら、お煎餅に伸ばした私の手を、その大きな掌で優しく捕まえた。な、何事‥?!


「ねぇ、名字さん、聞いて」
『なななな何でしょう加藤くん?!』
「俺、名字さんのことが好き」


さりげなく解こうとしても、逃げることを許さない加藤くんの手。繋がれた手にすっかり気を取られていたけれど、ふと顔を上げたら加藤くんとの距離もだいぶ詰められていた。

というか、加藤くんの顔は止まることなくどんどん近付いてきて、このままだと我々の顔同士ぶつかるんじゃないかな?!あれ?!


『ちょ、ちょっと加藤くん、ストップ‥!』
「嫌だ、‥って言ったら?」
『わ、私も嫌、なんだ、けど‥っ』


加藤くんとの距離をとろうと後ろに下がっても、このソファの幅じゃすぐに身動きが取れなくなって、半ば押し倒されたような体勢になる。

ああ、なんか前に酔っ払った侑士ともこんな体勢になったなぁ、なんて悠長なこと考えてる場合じゃない。片手は塞がれて、逃げ場もなくなって、あの時と同じように反射的に目をぎゅっと閉じるしかできない。


「名前ただいま‥って誰か来てんか?」
『っ、侑士‥っ!』


もうだめだって思った瞬間、玄関のドアが開く音と聞き慣れた声に、思わずその声の主の名前を呼んだ。目の前の加藤くんも突然のことに驚いたのか、身体の動きが止まったようだった。

私の声は届いたようで、玄関から急ぎ目の足音が聞こえたと思った途端にリビングのドアが勢いよく開かれる。侑士の姿を確認したのも束の間、気付くと侑士は加藤くんの胸元を掴んでいた。


「何しとんねん、自分」
「何もしてないよ、まだ‥ね」
「まだもクソも、女にこない顔させとるような男にロクな奴居らへんわ。ええから早よこっから出ていき」
「はいはい、分かったからこの手を離してくれるかな」


目の前で交わされる加藤くんと侑士のやりとりを、私はただ呆然と見ていることしかできなかった。表情までは見えないけれど、侑士が珍しく感情を露わにしているのは声色だけでもひしひしと伝わってくる。

そんな侑士にも臆せず、加藤くんは足元に置いていた鞄を拾い上げて、何事もなかったかのように玄関へと向かう。お茶ご馳走様、なんて彼がどんな顔で言ったのか、俯くしかできない私には知る術もなかった。


「名前、大丈夫か?」
『だ、大丈夫、ありがと‥』
「怖かったやんな、‥もう大丈夫やから」


玄関のドアが閉まり加藤くんが出ていったのを確認してから、侑士が私に駆け寄る。

力が抜けた途端に感情不明な涙が溢れてきたけれど、それを拭うほどの力も残っていなかった。それを見かねた侑士が、優しい手つきで涙を拭ってくれる。


「前に謙也が言うてたことも、あながち外れてへんかったわけやな」
『‥‥、へ?』
「気ぃつけな、名前は可愛え女の子なんやから」
『う、うん‥ありがとう、侑士』


涙を拭っていた侑士の手が私の頬に添えられて、その温もりがじんわりと伝わってくる。いつもよりも柔らかいその声色は、さっきの侑士とは丸っきり違ってただただ優しい。

静かに目を閉じて頬に与えられる温もりを味わっていたら、不意に反対側の頬に柔らかい感触があって思わず目を開ける。


「あ、すまん、つい‥嫌やったよな」
『ううん、‥大丈夫、侑士なら』
「よかった、‥っちゅーか今のは反則、アカンわ」


頬に触れたのが侑士の唇だったと分かっても、ちっとも嫌じゃないのが不思議。思えば、侑士とキスしそうになったあの時も、加藤くんとの時とは全然心持ちが違かった気がする。何が違うのかは、よく分からないけれど。

目の前の侑士と言えば、口許を手で覆って溜息を一つ。私は今、そんなに溜息を吐かれるようなことを言っちゃったのかな。もう何も分からないや。


「とにかく、名前が無事でよかったわ」
『ありがと、‥あ、あと、おかえりなさい侑士』
「せやな‥ただいま、名前」











((もう俺ら以外の男入れんの禁止))(私の家なのに‥?)



ーーー

加藤くん≠カチローくん。笑


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