『うわ、ひっど‥』


急いで玄関に駆け込んで、溜め息一つ。扉の向こうからは激しい雨音。

マンションのエントランスまであと数十メートルってとこでゲリラ豪雨に遭遇だなんて、運がいいんだか悪いんだか。たった数十メートルだけでこんなにずぶ濡れになれるなんて、ある意味スゴい。


「おう、名前、おかえりー」
『ただいま、‥っ!?』


玄関で水滴を落としていると、先に帰っていたらしい謙也の声が聞こえた。反射的に声の方へ目をやった、ら‥


『ちょ、ふ、服っ、服は!』
「え?ああ、今取りにいくとこやけど」


目の前には腰にバスタオル一枚だけを纏った謙也の姿。きっと謙也も雨に降られて急いでシャワー浴びたんだろうけど、それにしてもその格好でのお出迎えはちょっと心臓に悪いって‥!

こっちの気持ちも知らないで、当の本人はけろっとした顔で髪を拭いてる。いいから早く服を着なさいってば。


「あれ?‥名前、」
『なっ、何‥』
「ちょお顔赤いで、熱あるんちゃう?」


こっちの気も知らないで、服を着るどころか人の顔を覗き込んでくる。目のやり場に困るって、こういうことなのかな。そりゃ赤くもなります、こんな近くで男の人の裸見たことなんてないし。

でも照れてるなんてバレたら、からかわれるのは目に見えてる。濡れた前髪を手ぐしで整えるふりをして、咄嗟に謙也から顔を隠した。


「ケンヤ、まだそない格好しとんのか‥て、名前やん、おかえり」


どうやって謙也から逃げようか考えてたら、脱衣所から侑士の登場。横目でチラ見した侑士は、ちゃんとシャツとジーンズを着てくれてるみたいで一安心。

‥かと思ったけど良く見たらシャツ全開だし、その格好も逆に目によくない。貴方こそそんな格好してないでちゃんとボタン閉めて、お願いだから。


「ユーシ、なんや名前が風邪ひきかけとるみたいやねん」
「ホンマか、早う風呂入って暖まってきぃや」
『あ、うん‥じゃ、そうする‥』


侑士の一言で何とかその場を逃げ出して、自分の部屋に駆け込んでドアを背に一呼吸。落ち着け、私の心臓。


(‥男の人、なんだなぁ)


今までほとんど何も考えずに一緒に暮らしてたけど、ああも目の前に突き付けられると意識せずにはいられない。

侑士も謙也も、ただの年下の可愛い男の子だって思ってた。3ヶ月近く一緒に暮らして、赤の他人なのに本当の家族みたいに毎日が楽しくて。


(顔、‥見れるかな)


でも、気付かされてしまった。私とは比べ物にならないほど逞しい体つきをして、私なんて足元にも及ばないくらいの力を持ってるに違いない2人。彼等は立派な男性で、それは時に恐れるべき存在だということ。

今思えば、同居に関して蔵ノ介があんなに心配してくれてたのも当然なことで。それを、一時の感情だけで押し通してしまった自分に少し反省。


(とりあえずお風呂、入ろ‥)


ふと背筋に寒気が走って、自分がずぶ濡れだったことを思い出す。着替えとタオルを持って部屋を出ると、リビングに2人の姿はなくて少し安心。

手早くシャワーを浴びて、湯船に浸かる。静かな空間のおかげで、混沌とした胸中も少しは穏やかになれた気がした。


「お前、見てて危なかっしいわ‥包丁貸し、俺がやったる」
「大丈夫やっちゅうねん、俺かてこんくらい出来るわ!」


着替えを済ませて廊下を出ると、騒がしい声がキッチンから聞こえてきた。恐る恐る覗いてみたら、仲良く調理台に向かって並ぶ2人の背中。

‥でも流石に、包丁の取り合いは危ないから止めて。


『‥2人とも、何してるの?』
「おっ、名前!具合大丈夫かー?」
「今、風邪ひきの名前にええモン用意しとるからソファ座っとき」


見かねて声を掛けたら、動きを止めて一斉にこっちを見る2人。次の瞬間には謙也に両肩をぐいぐい押されて、無理矢理ソファに着席させられてた。

また台所に戻った謙也と侑士が再び喧嘩を始める。それを聞いたら、さっきまで2人にあれだけ身構えちゃってた自分が不思議なくらいに落ち着けてきた気がする。


(‥ああ、やっぱり、)


賑やかな侑士と謙也の声を聴きながら、ソファにもたれ掛かってゆっくり目を閉じる。

大学に入学してからずっと静かだったこの部屋が、2人のお陰で賑やかになって。その分面倒なことも増えたけど、それ以上に助けられたことの方が多くて。


(大事、だなぁ‥)


本当なら私だって、見ず知らずの男性2人を家に住まわすなんてことはしない。

でも不思議とあの瞬間、この2人なら信じても大丈夫って思えたんだ。‥まぁ、初日から色々危ない存在ではあったけど。


「名前、出来たで」
「俺ら特製の卵おじやとリンゴのウサギちゃんや、これ食べて元気になるんやで!」
『わぁ‥すごい、ありがとう』


目の前のローテーブルに置かれたトレイに載る、湯気の立つおじやとちょっと不格好なウサギ達。見た瞬間、自分の口許が緩んだのが分かる。

私の体調が悪そうってだけで、こんなに必死になってくれてる侑士と謙也。その姿を見たら、2人が男性だって他人だってそんなことはもう関係ない。


(この2人なら、)


大丈夫、あの時の私の直感は間違ってないって思える。侑士と謙也と、私。3人で居るときの居心地の良さを、私は信じてる。

窓の外は、相変わらず土砂降りの雨。そんな鬱陶しさを吹き飛ばすように、顔の前で両手を大きく鳴らしてみせた。心配そうな顔の2人への、ありがとうの気持ちを込めて。


『いただきますっ』











(わ、美味しい!)(せやろ、俺らのばあちゃんの味やで)(‥ユーシ、自分そんなんよう覚えとったな)



―――

風邪は引き始めが肝心!


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