「おはようさん、名前」
『ああ、おはよう侑士』


2人が転がりこんできてから3日。順応性があるのか、もうすっかりここでの暮らしにも慣れたらしい。敬称も敬語も堅苦しいから止めさせたお陰で、私も当の本人達も少しは肩の力を抜けた。


『謙也は?まだ寝てる?』
「今日は朝から大学のオリエンテーションや言うてダッシュで出てったわ」
『なるほど‥、侑士はないの?』


俺は明日、とカップにコーヒーを注ぎながら侑士が言う。きっと世の中の新入生達は今、新しい環境に不安と期待が入り交じってるんだろうな。なんだか数年前の自分の時が懐かしい。っておばさんみたいだからやめよう。でもソファに座るときに声が出ちゃうのは仕方ない。


『大学、楽しみ?』
「せやなぁ‥ま、新しい出会いっちゅう点ではな」
『‥女連れ込むの禁止だからね』
「はは、そない野暮なことせぇへんて」


2つのコーヒーをローテーブルに置く侑士。私、頼んでないのに気が利くんだから。こうやって、やることがいちいちスマートな侑士はルックスもいいから大学でも人気者になるはず。これで彼女が居ないと言うんだから世の中不思議で仕方ない。

ありがとう、と隣に座った侑士に告げてコーヒーを啜るといい香りとほどよい苦味が口の中に広がった。


「名前こそ、彼氏は大丈夫なん?」
『え、何が』
「男と暮らしとる、なんて知れたら大変やろ」
『ああ、それなら平気』


どうせ彼氏居ないから、と続けると眼鏡の向こうの目が真ん丸くなる。何その反応、大学生だからって皆がみんな恋人いるわけじゃないんだからね。そりゃ大学入る前は私だって少しくらい期待したけど、現実そう上手くはいかないんです。

内心ひねくれてる私に侑士が発したのは、意外な言葉。


「名前には居ると思とったわ」
『えー、まさかぁ』
「マジマジ。昨日ケンヤと話しててん」


どんな話されてたのか少し気になるけど、彼氏持ちと思われてたってことは私もまだまだ捨てたもんじゃないってこと?うわ、なんだかソレすっごく嬉しい。色々頑張れる気がしてきた!


「名前、スッピンでも可愛えし優しいし品もええし‥何で彼氏居らんのか不思議やわ」
『‥誉めても何も出ないよ』
「俺は思うたことを素直に言うてるだけや」


照れることを真顔で飄々と言ってのける侑士は絶対に女たらしだ間違いない。そんな台詞、つい最近まで高校生だった奴が言うわけないもん。私の周りにだってそんな男は居ない。

だから当然そんな台詞には免疫なんてないわけで自然と顔が熱くなる。ヤバい、赤くなってないかな。


「どないしたん、名前?」
『や、何、でもない!』
「顔赤なってるで、熱でもあるん?」
『‥‥っ、!』


私の顔を覗き込む侑士の顔が、極めて近い。途端に初めて会った日の頬へのキスを思い出して更に顔が熱い。侑士にとっては挨拶でも、私にとっては刺激が強すぎた。

例え唇が触れてなくても、20センチとない距離に異性の顔があるなんて考えられない。


『だ、だだ大丈夫だから‥は、離れて!』
「‥ふぅん、分かった名前アレやろ」
『な、何‥』
「まだ男を知らんやろ」
『‥‥!』


ああもう私の反応で図星だったことは、きっと侑士にはバレてる。侑士の口の端が少し上がったのはその証拠。

どうして年下にこんなに振り回されなきゃいけないの。ていうか今の軽くセクハラじゃない?確かに高校まで女子校だったし恋愛経験なんて全くないけど!


「ええこと知ったわ、ケンヤにも教えたろ」
『こ、の‥変態!』
「真っ赤っかになってもうて‥名前は可愛えなぁホンマ」


今はただ、目の前でニヤリと笑う眼鏡が猛烈に腹立たしい。


『侑士ごはん抜き』
「なんや、強権振るうなぁ」
『もう知らない!』
「あらま‥」











(ただいまー‥て、ユーシどないしたん)(アカン‥腹減って死ぬ‥)(生まれ変わってくればいいと思う)(え、ちょ、名前!?)



―――

最高権力者を怒らせたら怖い。


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