※大学生設定










『じゃあ‥うちでも来る?』


台詞だけ切り取れば、色っぽい誘い文句にでもなるのかもしれない。でも、それは時と場合と、その他色々な要因によって生み出される雰囲気があって初めて成り立つものであって、少なくとも今の台詞に至るまでにそういう脈絡は一切なかった。

そう、そんな脈絡もへったくれもない、ただの一言だったから、いつものように軽くツッコまれて流されるだけだと思っていた。それなのに、今、帰路につく私の隣には忍足が居て、その足もまた私と同じ行き先を目指している。


『‥一応確認だけど、ほんとに来るの?』
「自分が誘うたんやろ、おすすめの映画ある言うて」
『いや、まぁ‥そうなんだけど』


念のための質問だったのだけれど、そう言われてしまえば本当にその通りなので、もはやぐうの音も出ない。ついさっきまで、サークルの活動終わりにみんなでご飯を食べていた時には、こんな展開が待っているだなんて想像してもみなかった。

たまたま席が隣だった忍足と、たまたま好きな映画の話で盛り上がって、気付いたらこうなっていた。もう一つ予想外だったのは、私と忍足が話に夢中になっている間に、サークルのみんなが私達と代金を置いて退店してしまっていたことなのだけれど、それは明日にでも友達に真意を確認しておこうと思う。


「おぉ、結構綺麗にしとるんやなぁ」
『たまたま昨日片付け頑張ったからね〜』


そんなに広くもないワンルームを見渡す忍足を、とりあえずラグに座るよう促す。あまりスペースがないからソファなんてお洒落な物は置けないけれど、一人暮らしの生活には何ら支障はない。

そう、これも本当にたまたまで、部屋のインテリアの配置を変えがてら、部屋の掃除を念入りにしたばかりだった。いつもの自分の部屋の壁に、見慣れない忍足のジャケットが掛けてあるだけで、全く別の部屋になったような気分になるから本当に不思議。


『あ、さっき言ってた映画、これ』
「へぇ‥これは観たことあらへんわ」
『雰囲気も似てるし、多分忍足も気に入ると思うよ』


家にあったお菓子たちと帰り道のコンビニで買った飲み物たちをテーブルに並べたら、忍足の手が早速ミニボトルのビールに伸びる。家で映画を観るときは少し感覚を酔わせるのが没入するポイントや、とコンビニのお酒コーナーで力説していたのが可笑しかった。

リモコンの再生ボタンを押すと、途端に部屋がしんと静まり返る。照明を落とした方がより映画に集中できるかとも考えたけれど、流石にそこまで本格的にする必要もないという結論に私の中で至った。ベッドに腰掛けたら、それを背もたれに座っていた忍足の肩が少し揺れる。


「自分、こんなんようするん?」
『え?映画は良く観るけど、』
「ちゃうちゃう‥部屋に男上げて二人きり、とか」


映画が始まって間もなく、画面から目を離さないまま忍足が言う。その言葉の真意は掴みきれないけれど、何となく軽蔑の色が見えたような気がした。だから確認したじゃん、なんて言ったところで、押し掛けてきた忍足に責任転嫁するだけで何の弁解にもならないのは分かってる。

そうかと言って、そんなのしないよと言ったって、現にこうなっている場面では何も説得力がない。上手く返せる言葉が見つからなくて下唇を噛んだまま、両膝を抱えて座る。


「‥あぁ、すまん。責めたわけちゃうで」


私の返事がないことで、ようやく忍足がこちらを振り向いた。私の顔がよほど酷かったのか、少しだけ眉尻を下げて困ったような顔をして。別に気にしてない、と咄嗟に言えたらよかったのかもしれないけれど、生憎そんな機転は利かせられない。

なおも無言を貫く私の隣に忍足が腰掛けて、ベッドが軋んで小さく揺れる。次の瞬間、後頭部に温かいものが乗ったことはすぐ分かったけれど、それが忍足の掌だということに気付くのには少し時間がかかった。私の髪を撫ぜるように、その指先が優しく動く。


「最初はな、なんや積極的な子ぉやなぁ思てん」
『‥‥‥』
「うち来る?なんて簡単に言いよるし」
『‥‥‥』
「しかも昨日片付けしたばっかりや言うて」


私の頭を撫でながら、忍足がぽつり、ぽつりと呟く。いつの間にか映画は一時停止されていて、忍足の声しか響かない。その指摘だけ聞けば、確かに無節操で思わせぶりな台詞を言ってしまっていたのだと少しだけ反省しつつも、前後の脈絡からは明らかにそんな流れでなかったことは反論させてもらいたい。

今、口を開けば、きっと、みっともないほどに反論の言葉が溢れ出てくる。そんな姿は見られたくないから、忍足に何と言われようともただじっと耐えていようと、そう思っていたのに。


「けど、それが俺だけやったらええなぁ思て」
『‥‥‥は?』
「名前がこうやって誘う奴が、俺だけなんやったらええな、て」


思いがけず降ってくる言葉の意味が理解できなくて、その真意を探そうと顔を上げると、忍足と私の視線が重なる。ねえ、どうして忍足はそんなに苦しそうな顔をしているの。口許はかろうじて笑っているのに、どうして、どこか切なさの混じった瞳で私を見ているの。

私の後頭部を撫でていた手が、耳元から頬へ滑り降りてくる。その掌が温かいのは、さっき口にしたアルコールのせいなのか、それとも。ああ、でも確かに、無意識にこんな状況にしたのも、こんなことされても嫌に思わないのも、相手が忍足だからなのかもしれない。そう思ったら、忍足の手の甲に自分の手を添えて握っていて、それに反応するように忍足の指が僅かに震えた。


『‥これは、おそらく、なんだけど、』
「ん?」
『忍足だけ、‥だと思う』


眼鏡の奥の目が見開かれたのを見たら、自分の想像よりも遥かに軽々しい言葉を発してしまったかもしれないことを少し後悔した。でも、確かにそう思ったのだから仕方ない。それに、絡めていた指先と、その黒い瞳の奥に明らかに熱を帯びたから、軽蔑はされてないと信じたい。

気付けば、視界はぐらりと傾いて、背中にはベッドの柔らかさを感じていた。私、いつからこんなに積極的になったんだっけ。目の前の眼鏡に映る自分の姿を見て、そんなことをぼんやりと思った。










うつる誘惑



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中編にしようとして断念して供養。南無。


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