きらめく睫毛の愁い


「帰ったで」

おかえりなさいと言おうとしたのに、驚きで声が出なかった。頭頂部で結ばれた金髪に、目がチカチカする濃いピンク色のドレス。大腿部まで露出した脚は網タイツで覆われていた。どこで調達したのか、玄関に揃えられたハイヒールは私が持っているどの靴よりも踵が高かった。胸から背中にかけて施された刺青を見なければ、同居人と判断できずに110番通報するところだった。

「はー、くたびれたわ」

言葉を失っている私を横目に廊下を通り過ぎて、リビングのソファにどすんと腰を下ろした。普段スラックスを履いている習慣からか、脚が大きく開かれてドレスと同じ色の下着が見えた。

「それ、どうなってるんですか?」
「ん?」
「その……はみ出ないのかなって」
「唯子ちゃんのためにはみ出させたろか?」
「いらないです!」
「ヒヒッ。素直やないのう」

もう一度ドレスと下着を盗み見て、それが蛇柄ということに気がついた。こんな格好の時までいつものジャケットとお揃いなんて、彼なりのこだわりがあるらしい。
古い友達である桐生さんが神室町に戻ってからというもの、真島さんはすごく活き活きしていて、組の活動に関しても以前より精力的になったように思えた。

「それで、また桐生さんに会ったんですか」
「おう」

今日は桐生さんとキャバクラでお酒を飲んだ後に一戦を交えてきたのだそうだ。友達なのに喧嘩する意味がわからないし、女装をする理由はもっとわからない。きっと、理屈ではない何かがあるのだと思う。確実に言えるのは、桐生さんの気を引くためなら彼は何でもやるということだった。

「少しは喧嘩控えましょうよ。ほらここ、血が出てるじゃないですか」
「俺は嬉しいで。こうして唯子ちゃんが介抱してくれるからなぁ」
「もう……」
「それに、桐生ちゃんも楽しんどるんや」
「本当ですか?」

真島さんの無茶な要求に付き合ってくれる桐生さんには頭が上がらない。それにしても、この格好で街を歩いて喧嘩までしたことが信じられなかった。次に桐生さんに会う時、彼は真島さんとの出来事をどんな風に話してくれるだろうと考えた。


「終わりました」
「おおきに」

介抱といっても、それは消毒液を染み込ませたガーゼで傷を拭くだけの簡単なものだ。道具を片付けて顔を上げると、明るいピンク色の唇が目に入った。

「なあ、ゴロ美はええ女やろ?」
「髭を剃ったらもっとかわいいですよ」
「それやったら本物の女になってしまうわ」
「186センチも身長がある女性は滅多にいないと思いますよ」
「あ?世の中の長身の女性に失礼やろが」
「真島さんの知り合いにいるんですか?」
「おるわけないやろ」
「……」

綺麗に整えられた髭。真島さんのトレードマークといえるそれを剃ってしまうことはアイデンティティの崩壊に繋がるそうだ。そのくせ、女装して出歩くことには抵抗がないという。今に始まった事ではないけど、彼の思考にはついて行けそうもなかった。

「これ、唯子ちゃんのか?」
「そうですよ」
「いかにも女の子って感じやな」

ドレッサーに置いたポーチの中身は化粧品だ。興味を示した理由はわからないけど、取り出した化粧品を一つ一つ観察する姿が面白いと思った。真島さんは台の上に並べたそれらを眺めて、イヴ・サンローランのリップを手にとった。

「このリップ、同じの持っとるわ」
「発色が素敵ですよね。って、メイク道具まで揃えたんですか!」
「やるからには徹底的にやらんとな」
「はあ……」

どうして、こうも細かいところまでこだわりがあるのだろう。馬鹿馬鹿しいと思うのに、彼のそういうところが好きなのだ。

「メイクも練習したんですか?」
「おう。唯子ちゃんにもやったるわ」
「遠慮しておきます」
「ええからこっち来い」

半ば強引にドレッサーの前に連れて行かれて、鏡ではなく真島さんの方を向いて座らされた。男の人にメイクをしてもらうなんて初めてのことだ。キラキラしたピンク色の爪がそっと頬に触れた。

「変な風にしないでくださいね」
「任せとき」

目を閉じて唇を半開きにして、無防備な状態でいるのが恥ずかしい。化粧そっちのけでそんなことを考えていると、瞼にブラシが当たった。アイシャドウが何回かに分けて塗られて、両方の瞼が終わると目尻に軽く指先が触れた。
ふざけていると思ったのに、薄目を開けて見た真島さんの表情は真剣そのもので、鼓動が早くなるのを感じた。ブラシで円を描くようにチークが塗られた後、真島さんがお気に入りだと言ったあのリップが唇に触れて、優しく左右に動いた。

「完成したで」

真島さん自身に施された派手なメイクを見て嫌な予感しかしなかったのに、鏡の中の私は別人のように大人びていた。

「凄い。真島さんって器用なんですね」

グラデーションになったブラウンのアイシャドウと、ヌーディピンクのリップがよく似合っていた。目尻に散りばめられたパウダーがまばたきをするたびに小さく光って、落ち着いた印象の中に華やかさが感じられた。

「唯子ちゃんにお墨付きもらったし、今度はお揃いの格好でデートしよか」
「それは絶対イヤです」
「つれないのう……」

真島さんと同じピンク色のドレスを着る勇気はないけど、女装した真島さんと街を歩くのは面白いかもしれない。そんな変わったデートの最中、桐生さんにばったり出くわす想像をしてしまって、頭の中に浮かんだイメージをそっとかき消した。


2018.11.11
タイトル:夜半

もどる



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -