鬼教官といっしょ
『大吾さんっ?今、ちょっと忙しくて。後でかけ直すね』
唯子に電話をかけたところ、なぜか終始慌てた様子だった。しかも屋外にいるようで、風が吹くような音の他に何かの雑音が混じっている。
「ふうん。別に急ぎじゃないから、落ち着いたらでいいぞ」
『うん、ごめんね!じゃあまた』
そう言ったものの、電話はいっこうに切れる気配がない。繋がったままの状態に気がつかないとは、相当焦っているに違いない。
電話の向こうで何が行われているのか気になった俺は、このまま様子を伺うことにした。
すると、数秒後に聞こえてきた声は、よく知った人物のものだった。
『唯子、このままじゃ終われないぞ』
『だって…』
峯と一緒にいたなら、正直にそう言えばいいものを。唯子と峯が二人でいることが気に食わないわけじゃないが、隠し事をされたようでなんとなく面白くない。
『だめ…!やっぱり怖い…』
『いや、できる。教えた通りにやるんだ』
『無理だよ、こんな大きいの入れたことない!』
『初めは怖いかもしれないが、慣れれば問題ない』
怖い…大きい…慣れれば…
どことなく不穏なワードが、脳内を繰り返し流れる。明らかに野外と思われる場所にいるのに、これは一体どういうことなのか。
「お前ら何やってんだっ!」
『えっ大吾さん!?』
ようやく、携帯電話が通話状態であることに気付いたらしい。一瞬沈黙が流れて、唯子が恐々とした様子で声を発した。
『バック駐車の練習だけど』
「はあ?」
『今、駐車場にいるの。大吾さんも来て!』
『おい、大吾さんに助けてもらおうって腹じゃないだろうな』
『そっそんなんじゃないもん!』
その後もわめきながら、突然電話が切れた。駐車場というのはどの場所を言ってるのか。今、俺がいる場所は東城会本部の一室だが、まさかこの建物の駐車場ということなのか。
普段は使われていない、広々とした駐車場に足を運ぶと、外国製の大きな車が停まっているのが見えた。車の周りには赤色のパイロンがいくつも設置されていた。練習のために持ち込んだようで、相当気合が入っているらしい。
窓から顔を出した唯子が、こちらに向かって手を振った。
「あのなぁ。本部で練習するなよ…」
「だって、ここなら広くて練習にぴったりでしょ。それに峯さんがいいって言ったから」
「……」
東城会の一員であっても、敷地を私物化するんじゃない。そう言おうとして、唯子の右側の助手席に座る峯を覗き込む。
「ペーパードライバー講習ですよ」
「…見りゃあわかる。まあ、頑張れよ」
峯が予想以上に開き直った表情をしていたので、文句を言う気力もなくなった。唯子の運転技術を向上させるという大義名分がある以上、無下に否定することもできない。
「そもそも、いきなり左ハンドルなんて無茶だよ」
「この車が格好いいと言っただろう」
「確かにそう言ったけど、運転しやすいかどうかはまた別の話でしょ」
唯子と峯のやりとりを見て、ふうと息を吐いた。そのため息の正体が、自由すぎる二人に対する呆れなのか、あの会話が淫らなものでなかったことに対する安堵なのか、自分でもわからなかった。
2018.6.10
もどる