山間に沈む落日は、たなびく雲を朱に染めていく。太陽が地平の彼方へ潜る毎に広がる紺色は、一切の光を飲み込んで暗かった。そこに、点々と瞬く星が微かに見えども、よほど目を凝らさないと確かめるのは難しい。
直に月が中天へ坐せば、あの星々も活き活きと輝きだすのだろう。自らの役目を負えつつあるとはいえ、陽光が齎す光は絶対だった。
妖怪退治を終え、ようやく帰路についた克悠達は、それぞれ全く違う思いを抱きながら、同じ空の下を歩いている。周囲への警戒のためと、少し先を行く朔弥の凛とした背中は、広がりつつある闇の中にあっても頼もしい先導役であった。ほんの少し歩を緩め、その場で軽く背中の咲良を背負い直すと、僅かに息を呑むような音が耳を掠める。
らしくない、と言えばそれまでだ。
咲良は好戦的な性格とはいえ、何の考えもなしに飛び出す戦闘狂などではけしてない。無理を承知で踏み込む時は、必ずそこに勝機を見出しているからだ。
その点に関して言えば、今日の彼女には違和感が付き纏う。三人がかりでも手に余る数の敵勢であったものの、咲良の動きは初手から精彩を欠いていた。
それに気付いた克悠は自らの銃で着実に妖怪の数を減らしながら、彼女が常に視界の端へ入るよう立ち回っていたのである。
しかし、それが精一杯であった。何処から湧き出るのか、数はいっこうに減らなかった。恐らく、朔弥も姉貴分の異変を察していたのだろう。何とか加勢すべく猛然と合口を振るえど、雲霞の如き暴徒は中々振り切れなかった。
結果として勝利はしたが、受けた打撃はけして小さいものではない。
劣勢と見て、蜘蛛の子を散らすように山奥へと分け入った残党を追う事は出来なかった。それよりも克悠と朔弥は、未だ戦闘の爪痕が色濃い地面へ力なく膝を突く、咲良の介抱を先決としたのだ。
彼女の負傷自体は右足首の裂傷のみだったが、体力の消耗が酷い。普段なら気丈に振舞う咲良が、応急処置を受けている間、二人に何度も押し殺した声で謝罪を繰り返した。
大事を取ってあまり動かさない方が良いという克悠の判断で、彼が咲良を負ぶって進み、朔弥は残党が再度襲来した時のため周囲の警戒にあたる、と役割が振られる。当初は背負われる事に対して難色を示していた咲良も、二人がかりの説得で観念したようだった。元来、人の面倒を見る立場ゆえか、こうして誰かの手を借りるのに、過剰な自責を感じてしまうのだろう。帰途を辿る最中でさえも、咲良は押し黙ったままだった。
「……自分の不調には、出立の前から気付いていたのかい?」
静かに沈黙を破った克悠の問いに、少女は数拍の間を置いてから、僅かに体を縮こませる。
「……ごめん、今回のは本当に、私の落ち度だったよ。二人に迷惑をかけちゃって……」
「いや、私は別に責めている訳じゃないんだよ」
そう聞こえてしまったかな、と心優しい長は逆に咲良を慮った。これほど互いの距離が近いのに、顔が見えないとは実に不便なものだ。
不意に、彼の肩へ置かれていた掌が握り締められる。実際には想像の上でしかない。けれど何故か、克悠には彼女が涙を堪えているように思えてならなかった。
「嫌な予感がしたんだ。二人だけ行かせたら危ないって、だから――あはは、でも、それで私が足手まといになったら、何の意味も」
「だけど咲良が居てくれたから、こうして無事に帰る事ができた」
肩に掛かる手の重みが、ほんの少し重くなる。ほたり、背に落ちた一滴は幻聴だろうか。そうであって欲しかったし、そんな事はないという確信もある。
克悠は穏やかに目を細めると、話しかけている彼女が眼前に居る気持ちで囁いた。
「ありがとう。だから今度は私達が咲良を助ける番だろう?
救われた分だけ、救いたいと思うんだよ。折角その手を貸して貰ったんだから、とね」
私達ではなく、私が助ける番だ、と言いかけた言葉は無意識の内に胸中へと秘してしまった。篭めた気持ちに偽りはないが、本心のままを伝えられたかと言えばそれは嘘になる。
ふと、解かれる拳。謝り続けていた咲良の唇から漏れた響きが、小さな小さな有り難うを奏して、克悠へと届いた。
『 大丈夫だよ 』
(伝えたかった、伝えて欲しかった)
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