何の変哲も無い午後三時の児童公園。優しく揺れる木漏れ日は、その異空間を許容していた。
最初は何かの見間違いか、それともテレビの撮影でもしているのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
一番奥まった場所、つまりベンチと砂場の狭間、5メートルほどのスペースに、鮮やかな緋毛氈が敷かれている。そこで薄桃色の和服を着た女性が正座をし、お茶を点てていた。
真昼間だというのに人っ子一人居やしない。休日の午後といえば、何時もならば子供達の遊ぶ声で賑わっているはずなのだが。
俺はコンビニ袋の中でキンキンに冷えた缶ビールが温くなっていくのを想像しながらも、公園の入り口から動けずにいる。と、一通りの準備が終わったらしく、視線を持ち上げた着物美人と、偶さか目が合ってしまった。しまった、というのが素直な感想である。凝視していた気まずさは、その雅やかな雰囲気からすると明らかに場違いな自分の存在への羞恥から来るものか。いや、冷静に分析している場合ではないのだが。
しかし、彼女は此方の如何にも不審そうな視線も意に介さず、それどころかニッコリと微笑みかけてきた。色白の肌に、紅色の唇が緩やかな弧を描く。この距離だというのに、目尻に寄った小さな皺まで分かってしまう。距離感が掴めない。全ては夢のように曖昧だった。
そうか。これは、夢なのかもしれない。
「考え事ですか」
かさり、と和紙を擦ったような囁き声である。気づけば毛氈の上で女性と向き合っていた。目の前には深い緑を湛えた茶碗があり、彼女は細い指先で袖を押さえ、どうぞと勧めてくる。
先の質問への返答をしなければと思うのだが、果たして茶を頂くのとどちらを先にしたら良いのか。結局分からなかったので取りあえず、両手で碗を取ると、おぼろげな知識を頼りに何度か回し、一口啜る。口内に広がった苦味と、それが過ぎ去った後の仄かな甘みまで、飲み込む度に鼻へと立ち上り、遂には目の前にまで緑色になってしまいそうだ。居場所の無い舌は散々歯列をなぞった後に、ようやく、結構なオテマエで、と決まり文句を発する。多分、口はひん曲がっていた。
そんな此方の無作法にも寛容な相手は笑みを崩さぬまま、膝の上で両手を重ねて姿勢を正す。
「考え事をなさっていたでしょう」
断定される。今度は問いかけではなかった。この瞬間にも、俺は何て返したものかを悩んでいるのだから、その指摘に間違いはない。まったくその通りだとは言い難かったが、此処まできっぱりと言われては否定もし辛かった。
いや、本当に何も考えて居なかったら迷いも無く、否と言えるだろうか。どの道、そんな“もしも”にも容易く思考を絡め取られてしまう俺には縁のない境地である。そんな思案の着地を見透かしたように、彼女はほんの少し首を反らして、空を仰いだ。
「考えた末に答えが出るその瞬間は、忘れていたものを思い出した時と同じ感覚でしょう」
「――」
「ですから、人は考えて答えを出す生き物などではないのです。熟考の果てに出した答えは、本当はずっと昔に組みあがっていて、たまたまそれを忘れてしまっているだけなのです。答えはずっとずっと昔から、既にあるのですよ」
物忘れが激しい生き物ですから、とまるで息子の短所を語るように、照れ臭そうな呟きを挟んで、彼女の話は続く。
「それでも、人間は“考える事”をやめようとはしません。誰かがそれを愚かと言いましたが、私はそうは思いませんよ。
どちらにせよ、知る事ができればそれで良いのです。行き着く結果が同じならば、手段など、それぞれが納得できるものを選べば良いでしょう」
「……結果が全てですか?」
「そうです。結果は後々まで長く批評される。だからこそ、過程くらいは自らが喜べるものにしなければ。そうでないと、寂しいですよ」
話はそこで途切れた。茶碗も既に空で、一緒に出された和菓子も全て平らげてしまっている。
辞す前に代金をと思ったが、財布を取り出した所で首を横に振られた。
「もしもまたお会いできたら、寄って下さいましな。それで十分です」
「はあ、しかし」
「貴方がたのお金を頂いても、私達には使えませんから」
最後は苦笑いとも、悪戯めいたような笑顔を残し、女性を中心にして風景が渦を巻く。
その口角の上がり方は宛ら、絵本の中で見た狐のようだ。狐、きつね――。
手元からコンビニの袋が滑り落ちた。その衝撃でようやく、我に返る。
気づけば児童公園の入り口で、阿呆のように突っ立っていた。背後の車道を通る自転車の音、はしゃぎまわる子供の足音。全てが、何時もどおりの昼下がりに戻っている。ただ、あの女だけが見当たらない。ありふれた白昼夢だろう、だがその些細な不可思議は俺の気分を幾らか明るいものにさせた。
自覚のない幻想は現実とイコールである。夢は夢だと分かっていてこそ、心行くまで楽しめるのだから。
『 一服一銭。 』
(さあ、まだもう暫くは、頑張る事が出来そうだ)
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