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先ほどからずっと八千代の視線の先にいるのは佐藤潤だ。相馬くんに蹴りを入れる佐藤君。からかいながらぽぷらちゃんの髪を弄る佐藤君。杏子さんに注意するその横顔も、葵ちゃんに説教する背中も、全部いつも通りの光景のはずなのにその姿は鮮明に目に写った。仕事中なのに自然と目で追ってしまう。微笑ましいと見ていたはずがいつのまにか羨ましいに変わって、なんだかコーヒーのようにほろ苦く胸に残る。最近ずっとこんな調子で、仕事に身が入らない。杏子さん専用のパフェすら盛るのに手元が狂って失敗していた。地に足がつかないかのようにふわふわとして、思考の迷路に捕らわれて出口がみつからない。杏子さんにも今日はもういいから休憩してこい、なんて言われてしまった。休憩室に入ると自然と溜息が洩れる。次の瞬間ぽんと肩に乗せられた手と聞こえた声に八千代は飛び跳ねた。

「どうした八千代。入口にぼけっと突っ立って」
「ひゃあ!さ、さとーくん。佐藤君も休憩?」
「ああ、まあな。…お前がぼうっとしてるのはいつものことか」
「もう、ひどい!そんなことないわ」
「で、俺に何か言いたいことでもあったのか?」
「え?ど、どうして?ないわよ、なにも…!ただ、なんとなく佐藤君のこと気になっちゃって」

訝しげな表情をしていた佐藤君が突然噎せかえる。私変なこと言ったかしら。気になったのは本当のこと。最近佐藤君のことばかり考えている。私の話を長い時間聞いてくれる佐藤君。頼み事をきいてくれる佐藤君。ぎゅうとしてくれた佐藤君。それはただ彼が優しいから?友達だから?考えれば考えるほど佐藤君のことも、そして自分の感情もわからなくなる。佐藤君がいずれは店を辞めると聞いて、寂しい、嫌だ、と怯えたのは友達だから?佐藤君の言葉に、動作に心臓がきゅうとなるのも、わからない。杏子さんに聞けば友情だと言われ、しゅんと悲しい気分になる。佐藤君に真意を問こうとしても何故だかはぐらかされてしまう。きっとこれは私が自分で答えに辿りつかなければいけないことなのだろう。けれども、やっぱり、ぐるぐると胸で渦巻く感情がわからない。

「さとーくん。私たち友達よね…?」
「……ああ。そーですね」
「そう、…よね…」

ともだち。自分で言った言葉に、佐藤君が肯定したその言葉に、胸が締め付けられるようにくるしいのはどうして。

「さ、佐藤君わたし、やっぱりともだち、いやかも…」
「……轟さん。それじゃ、ぜっ」
「待って!ちがっ、違うの!!だからそうじゃなくて、」

佐藤君の言葉を遮って、休憩室を出ようと一歩退いた彼の服を掴んで引きとめる。前みたいに絶交、だとか誤解されたくない。ぴたりと動きを止めた佐藤君の表情は見えない。またいきなり変なこと言ったから、嫌われたかもしれない。佐藤君に嫌われる。そう考えると怖くて悲しくて、考えてることを伝えようと慌てて言葉を紡ごうとするがうまく出てこない。

佐藤君に好きな女性がいると考えるのが嫌。
佐藤君が他の人と仲良くしてるのが嫌。
佐藤君と離れるのが嫌。
只のともだち、が嫌。
他人でいるのも嫌。

自分でもわけがわからないままぽつりぽつりと口にした言葉の羅列に涙が零れる。声も震えてちゃんと伝わったかもわからない。
ああ、私いやな子ね。こんな我が儘な子佐藤君だって迷惑よ。わかっているのに、離したくないとばかりに彼の服を握りしめる手に勝手に力が篭る。佐藤君のことを考えると心が陽だまりに触れたように温かくなるのも、まるで溺れて息ができなくなるかのように苦しくなるのも。初めての感情だ。互いに両極端なものがないまぜになって、うまく名前をつけ位置づけることができない。それがまた苦しいと必死にもがき喘いでいるのだ。

「わかったから、泣くな」

そう言って指で涙を拭う佐藤君はやっぱり優しくて、いつもの無表情もどこかやさしくて。大きな手に安心する一方で鼓動が知らずに早くなる。頬に添えられた手はそのままで、佐藤君は何か決心したようにこちらを見据えた。それから近づいた顔、唇を掠めた温かい感触に一瞬にして頭がまっしろになる。

「…え?あ、あの、さ、さ、佐藤君、今のって」
「いい加減気づけ、ばか」

額を指で弾かれてあう、と変な声が出た。戸惑って額を抑える私を佐藤君が抱き締める。一連の佐藤君の行動に頭がついていかない。恥ずかしいのと嬉しいのでもういっぱいいっぱい。さとーくん。絞り出した声は緊張で震えた。佐藤君の声もどこか緊張しているような気がした。その声で、告げられた言葉にずっと探していた答えがあった。



「八千代、   」




end