「頭領っ」
誰かがその名を呼んだ。
下で見ていた全員が息をのんだ。
真っ黒な刀が、頭領の体を貫いていた。
頭領の絶界で防ぐことができなかったのは、左腕に副長を抱えていたから。
刀を抜かれ、頭領が落ちてくるのがわかった。抱えられている副長も瀕死の状態のため、彼らの落ちる軌道がどうにかなることはない。
「落ちる、」
見かねて目を閉じた。周りも同じことをしたのか、一瞬静寂に包まれたようだった。しかし誰かが落ちる音も悲鳴も聞こえてこない。恐る恐る目を開けると、頭領が施したであろう結界の上に、頭領と副長が倒れていた。
「医療班っ!」
言うがはやいか、走り寄るが早いか、巻緒さんが指示というよりはただ叫んでいた。
夜行の司令塔が落ちた―――俺たちは負けるのだ、と頭の片隅でそんなことを思った。
やはり周りも同じことを思っているのだろう、誰も動かず何も発さず、ただその場に立ち尽くした。
「覚悟のあるものだけ前線へ。ほかは怪我人を連れて逃げろ」
聞きなれない指示に、ああやはり負けるのだ、と。
しかし不思議と恐くはなかった。
俺は戦闘班ではないけど。夜行が散るなら俺もここで―――
『通して』
凛とした声が俺の覚悟を遮る。
それは自信に満ち溢れていて、「負ける」なんて微塵も感じさせない。
「リン!」
「リン、」
「リン」
「リン」というのが多分その人の名前だろう。
名前だけは聞いたことがある。夜行創設メンバーの1人で、みんなが慕う人物。
遠方での任務が多いためか、まだ一度もあったことがなかった。
しかしリンはそれにこたえるでもなく、救護班に託されていた頭領と副長を見下ろしていた。
『巻緒、1分稼げる?』
「ああ、朝飯前だ」
『おっけー、助かる。……正守は私が預かる。医療班は美希の治療に専念して。気を抜くと死ぬわ』
「だが、頭領も―――」
「リン、か」
苦しそうに返事をする頭領だったが、うっすらと目を開けた。
『何死にそうな顔してんのよ』
「俺だって、たまには死にそうな顔するよ」
『これだけの部下を放っておけるわけないでしょ。頭領の責任を全うして』
具体的に何をするのか、俺にはまったくわからなかったが、2人の間ではそれで会話が成り立っているようで、頭領はリンになされるがままだ。
『1分しかないから、手荒に行くわよ』
その言葉どおり、一瞬にしてリンの妖気が跳ね上がり、気が付くと頭領の傷口が―――凍っていた。
「くっ―――。久々にそれ食らった」
『あら嬉しいの?』
「まあね」
さっきまで負けるのだと思っていたのに、このリンって人が来てから、夜行内が一気に盛り上がっているのが、ひしひしと感じられた。
「リン、」
『あら蒼士、久しぶり』
「……巻緒さんに言われて。俺が必要だろうって」
『よくご存じで。助かるわ』
そして戦況は変わった―――。
『ようやく起きた?』
「……あれ、」
『うわあ、その反応いいね』
うっすらと目を開けた正守は、どこかぼーっとしている。なぜ自分が床に伏していて、私が目の前にいるのか分からない、そう言いたげだ。
『どこから話す? 私が知ってるのは少ししかないんだけど』
そう前置きしてから、美希をかばって怪我をしたこと、人手が足りなかったから傷を応急処置?して再度戦ったこと、敵を倒すや否や意識を失ったこと、を事細かに説明してさしあげた。
「ああ、そういえばそんな記憶もある」
『よかった思い出してくれたようで』
「刃鳥は?」
『意識はまだないけど、一命はとりとめたわ』
「……なんか怒ってる?」
『別に』
怒っているわけではない。
正守に会うのは実に1年ぶりくらいだったが、それは任務だったのだからしょうがないこと。
1年もの間、2人の間には仕事の話だけ。浮ついた話のひとつもなかったって、仕事が忙しかったのだからしょうがないこと。
そう割り切ろうとは思っているのだけれど。
「リン、」
『じゃ、美希の所も行かないといけないから』
それだけ言って正守の部屋を出た。
―――怒っているわけでは決してない。
「ねえ、リン」
『ん?』
美希が意識を取り戻してすぐは、仕事をしないように看病兼見張り役を私が買って出た。そうすれば正守とも顔を合わさずにすむし。
「何かあったの?」
正守とのことを言っている。
『別になにも?』
「……そう、何もないからいじけてるのね」
『……いじけてるのかな、私』
怒っているわけではなかった。でも自分の感情がなんなのか、うまく説明ができなかった。
「来る日も来る日も仕事の内容しかないからね、」
『そうなの。しかもあんなことしてすぐに長期任務で放っぽりだすあたり、よくわからないヤツよね』
あんなこととはあれだ。夜行の飲み会のほぼ真ん中でみんなに見せつけるようなキス。
別に長期任務を任せられたから文句を言っているわけではない。
こと恋愛になると、正守が何を考えているのかまったくわからなくて。
『ああ、わかった』
「何?」
『恋愛絡みだと、正守が何を考えているのかわからなくて、不安なんだ、私』
「へえ」
ああ、そういうことか。
しばらくモヤモヤしていた気持ちがすーっと晴れたようで、なんだかすがすがしい気持ちになる。
「やっぱりリンって、変よね」
『え、どこが?』
「だって根本的な解決にはなってないじゃない?」
根本的な解決?
首をかしげると、困ったように美希が笑った。
「だって、頭領が何を考えているのかわからないのが不安なんでしょ?」
『うん』
「その自分の気持ちがわかったところで、頭領の考えがわかるの?」
『……確かに』
相変わらずね。
そう苦笑するその人に、しかし相変わらずと言われる筋合いはないような気がするのだけれど。まあ美希が笑っているからいいか。
こと恋愛になると……01
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