「そういやさ、」
烏森を完全封印してからしばらくして、良守がよく夜行に遊びに来るようになった。
「リンが教育担当になったんだろ、氷浦の」
中学3年生といえば、俗に言う受験生というやつだ。高校までエスカレーター制ゆえの余裕だろうか、烏森の封印以降は家でケーキを作るか雪村とデートをするか、こうして夜行に遊びに来るか、勉強なんてどこ吹く風、といった様子だ。
「しぶしぶな」
「正守からもなんとなく聞いたんだけどさ、なんでしぶしぶなんだ?」
唐突に出た問いに、しかし明確な答えは出てこない。
「さあ? 教えるの嫌いなんじゃない?」
「つってもなあ、面倒見良さそうなのに」
「面倒見はいいよ。夜行では人気者だし」
確かに、そういえばなんでリンは教育担当を嫌がるのだろうか。そもそもは教育班だったようだし。
「……そういえば昔、教育班の時になんか事件があったような気がする、」
「事件?」
「でも俺も入ったばっかでうろ覚え。文弥君なら知ってるんじゃない?」
「僕になんか用?」
「宿題をする」という名目で来ているため、一応机の上に数学やら英語やらの教材がならんでいるのだが。相手は良守だ、進むはずもない。そのたいして広げられている意味もない教材をよけて、文弥君が麦茶を出してくれていた。
「あー、リンが教育班抜けたときの、」
「ああ、カイト?」
「そう、その人、そういやあれから見ないですよね?」
そこまで話したところで、文弥君が周囲を軽く見まわした。こんな昼間から大っぴらにしたい話でもないからさ、と彼は俺の隣に腰掛けた。
「そっか、閃はもう覚えてないんだ?」
「まだ入って間もない頃でしたし、大人たちだけで解決したみたいですし」
「悪いことでもあったのか?」
良守の問いに、どこから話そうかな、と彼は少し困ったように考え込んだ。
「リン、昔は教育班と戦闘班と掛け持ちしてたんだよね。僕もリンについてもらってた。あの人面倒見がよくてさ。下の子たちには慕われるんだけど」
そうして少し昔の話が始まった。
裏会総本部から夜行へ、カイトという男の子が来ることになった。そうした移籍のようなことはたまにあることなので、たいして珍しくはなかったのだが。諜報班の仕入れた情報によると、どこかの密偵かもしれない、とのこと。当時はまだ頭領が十二人会に入っているわけでもなかったため、扇家の密偵ということはなかったのだろうけど。どこの密偵かまでは僕も覚えていない。
「リン、教育担当、頼めるか?」
頭領が教育担当という名の監視役に選んだのはリンだった。そうした、少し難しい案件はリンへ任せるのが、その時の夜行の流れだったように思う―――今でも遠征任務とか長期任務とかそういった小難しい類はリンへ流しているけど。
『そう来るだろうと思ってたわ。何とかする』
「子供だっていうし、そこまで気負う必要はないと思うんだけどね。白黒はっきりするまでは気を抜くなよ」
『はいはい』
当時から、というか僕の知る限りずっと、頭領とリンの間には絆のような何かがあって、互いを信頼しきっている感じはあった。
『戦闘班?』
「ああ、戦闘班。妖混じりだ。ある程度力は抑えられるようだから、そんなに手はかからないと思う」
『了解』
そんな会話がされた数日後、カイトと呼ばれた少年はやってきた。
最初は緊張していたのだが、すぐに打ち解けた。危惧していたような、どこぞの密偵かもしれない、といった疑念もすぐに解けたようだった。
「どう、カイトの様子は」
『あら文弥。なかなかセンスのいい子じゃない? 素直だし』
「それならよかった、」
『あら嫉妬してるの? まだ私に教えてほしかった? まじない班主任さん』
「そんなこと言ってない」
しかし少しだけ声のトーンを落として、リンは続けた。
『でも気を付けたほうがいいかも。何か嫌な感じがするの』
「え?」
『何の確証もないけどね。勘よ、勘』
こういう時の勘は、大事にしてるの。結構当たっちゃうからさ。そう言って悲しそうに笑うリンの顔が、今でも忘れられない。
でも、そんな疑いを周囲には微塵も感じさせないまま、そしてカイトも何の違和感もなく過ごし、1年が過ぎようとしていた頃、事件は起きた。
「子供たちを連れて建物から離れろ」
頭領の怒号のような指示が夜行内に響く。どこかで火が上がっているらしく、パチパチという音とともに熱気が流れ込んできていた。
「巻緒、何人か連れて消化に当たってくれ」
戦闘班を中心に消化が行われ、そのほかのメンバーは副長の指示のもと子供たちを避難させる。
一体なぜこんな騒ぎになっているのか。作業を続けながら考えて、ふとよみがえったリンの横顔。
―――こういう時の勘は、大事にしてるの。結構当たっちゃうからさ。
思い出した瞬間に、嫌な感覚が全身を駆け巡った。そう言えばこの騒ぎの中、リンを見ていない。それにカイトも。
「頭領! リンがいない、カイトも」慌てて頭領の下へ駆けつけて、それだけ伝えると、彼も何かを察したのか、すぐに黒姫を広げた。
リンとカイトはやはり同じ場所にいた。炎が周りに比べて強かったから、たぶん火元なのだろう。そこで、2人は対峙していた。カイトは完全変化をしている。いつの間に会得したのだろうか。それとも、暴走している?
「リン!」
頭領が読んだのと、カイトが動き始めたのはほぼ同時で。完全変化をしたカイトを、リンが食い止めている。どうやら暴走ではなく、完全変化を会得しているようだった。そんな素振りは今まで見せなかったというのに。
「文弥、あいつの動き封じられるか?」
「大丈夫、」
「リン、―――」
『わかってる、早くやって!』
リンが相手をしている間に、僕の呪いでカイトの動きを止め、頭領の結界で閉じ込める。その指示を聞かずとも、リンには伝わったようで、しかし早くやってということは、彼女の体力の限界が来ているのだろう。リンはとても強いが、持久力はないタイプだ。
地面に龍の文様を刻んだ。
力を込めて、龍を具現化すると、すぐにカイトの行動を抑えるべく動き始めた。それに気が付いたリンが、具現化した龍の方へとカイトを誘導する。さらに頭領の援護も加わり、カイトはすんなりと龍に捕まる形となった。すかさず頭領の結界で身柄が拘束された。
『ふう、』
「大丈夫、リン」
『ありがと、2人来てくれて助かった』
「どういうことだ」
リンへのねぎらいの言葉は、頭領の鋭い声で立ち消えた。カイトに向けられている。
『火を放ったのはこの子よ、ごめん私が見ていながら』
「なんでそんなことをしたんだ」
頭領の問いにカイトが答えることはない。
『文弥、あの子縛れる? このまま滅するわけにもいかないから』
その様子を見かねてか、今度はリンから指示が出た。軽く頷き、新たな文様を刻み始めたところで。
「ぅううぅううううううううう」
唸り声と共に、今までとは比べ物にならないくらいの妖気があたりを埋め尽くした。
「くそ、持たない、」
『だめよ、滅しちゃ。まだ子供よ』
どうにか抑えようとする頭領をよそに、カイトは結界の中で完全変化からさらに大きくなろうとしていた。―――暴走だ。
「結」
再度張られた結界はしかし、中にだれも入っていなかった。カイトが結界を破り脱走したのだ。
『たぶん、誰かに操られている』
「なんだって?」
『今日は目がうつろなの、あの子。様子が変』
そう言い残し、リンがカイトを追いかける。
「文弥、結界残しとく、」
後を追ってこい、と言っている。それに返事をして、先へ行く二人を追いかけた。こんな戦闘班じみたことは久々だ。
しばらく空中に張られた結界をたどっていくと―――。
「リン!?」
目を疑った。
カイトがリンを刺している。
そしてゆっくりと、何かに逆らうようにリンも刀を動かし―――カイトを刺した。
『いやあああああああ』
リンの悲鳴が、どこまでもこだましているような気がした。
閃の知らない少し昔の話01
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