短編集 | ナノ
今日は幕府の任務で芸子の姿をしている。しかし幕府の任務の内容というのが、長州の動向を探るというものであるため、新選組に関係がないというわけでもない。


『君菊姐さん、今日はよろしゅうお願いいたします』


頭を下げれば、すっとしていた彼女の瞳が少し柔らかくなった。
菊月さんは朝廷に仕えているが、私が幕府に仕えるようになってすぐに会いに来てくれた。鬼の一族同士ということもあり、何かと面倒を見てくれる「お姉さん」である。


「あんまり目立つことはよしとくれよ。この前も“まめ鈴はいねーのか”ってお客さんが来て大変だったんだから、」
『ははは、すみません』


不意にその人の細い腕が私の頭へとのび、ずれていたのであろう髪飾りを付け直した。


『ありがとうございます、』


お姉さんがいたらこんな感じなのかな、なんて。素直に感謝の意を伝えれば、しばし行動が停止する菊月さん。


「あんたそれ、誰でもかれでも見せるもんじゃないよ」
『へ?』
「大切な人に、大事な時に―――」


「姐さーん、お客さんですよ」


しかし途中で芸子に呼ばれ、菊月さんは最後まで言葉を紡ぐことなく行ってしまった。


彼女は、同じ鬼ということもあるが、立場的に見ても私にもっとも近い人だと思う。こうやって芸子に身をやつして情報を集める。主君―――菊月さんにとっては千姫、私のとっては千鶴ちゃん―――のために戦う。それよりなにより、自分のために生きることはできない。


大事な人というのはつまり、愛する人のことという意味で、一人の人間を愛するということで。それは私たちには縁のないことだと思っていた。


『一人の人を愛するということはつまり、自ら危険をつくるということ。命をかける一瞬の場面で、迷いが生じるということ』


その場にいない菊月さんにむけてつぶやいてみる。いや、もしかすると、自分自身に言い聞かせたいのかもしれない。誰かを愛するなんて、一度もしたことはないのに。「愛する」という気持ちがどんなものか、知るはずもないのに。


『ふ、』


自嘲的な笑みが漏れた。
そろそろ長州の武士が来るだろうか。よい情報が得られればいいのだが。











『イヤです』


もう三度目となる拒否の言葉をしかし、菊月さんは意に介した風もなく、「喜ぶと思うわよ、原田さん」と続けた。


『イヤですムリです帰ります』
「ちょっと、」


長州の侍たちは違う店に入ったのか、はたまた大事な会議でもしているのか、今夜この店には来なかった。そして、その代わりなのか何なのか、左之さんと新八さんが客としてやってきていたのだ。いつかはこんな日が来るとは思っていたが、芸子として彼らとかかわりたくない。それがなぜなのかはわからないのだが。
しかし、肩を落とした私のことなんてお構いなしに、菊月さんは帰ろうとしている私の腕をつかむ。振り返れば、悪戯っ子のような笑みを浮かべるその人、彼女にしては珍しい顔である。


『帰ります』


もう一度繰り返した。
彼女はやはり意に介した風もなく、見習いの舞子が持ってきた徳利を私に手渡し、そのまま違う座敷に呼ばれてその場を去った。


くそう、菊月さんの意地悪ケチばか。
悪態を考えてはみたが、結局は言葉にすることはできず。しぶしぶ言われた座敷へとむかった。









できるだけ顔を見られないように部屋に入った。左之さんさえどうにかしておけば、新八さんにはまずばれないだろう。どこからわいたのかわからない自信である。
しかし、やはり左之さん。入ったときからずっと見られている。私が何を隠しているのか、何か企んでいるのか、突き留めてやる。そんな感じの瞳だ。


「お前、見ない顔だな」
『へえ、最近江戸からここへ移らせてもらいまして』


さすがに不自然だろうと、少しだけ顔を上げて、ニコリと笑った。目が合う。左之さんがあやしく笑った。ばれた。


「へぇ。俺も江戸から京に来たんだ。江戸もいいが、京の町もいいだろ?」


大きな暖かい手が顎に触れ、そのままグイと無理やり左之さんと見つめあう形となる。
ばれたのならしょうがない。別に、芸子姿を見られて恥ずかしいというわけではない。なるようになれ、だ。


『みなはん優しくしてくれはるから、ええ夢が見れます』


何を考えるでもなく自然と返した言葉に、左之さんは目を細めた。口元は優しい曲線を描いていて、酒が入っているせいか、頬はほんのり赤い。着物から見えている肌を、なぜか今日はうまく見ることができない。


ただ、きれいだと思った。
女の人と接するとき、彼はこんな顔をするのだと。こんな雰囲気をまとうのだと。
彼は女の人をどう抱くのだろう。


脳裏をよぎった疑問を深く考える前に左之さんが口を開いた。それとともにその疑問もどこかへ行った。


「そうか、あんたとは話が合いそうだ。……指名してもいいか? まめ鈴、だったな」
「おい左之、何口説いてんだよ、」
『お兄はん、えらい女馴れしてはりますなあ、』


高くつきますからね。
そっと耳打ちをする。


「失礼します」


そこへ、違う客のお座敷に入っていた菊月さんが入ってきた。まったく、ほかのところ行かずにここでちゃんと酌をしなさいよ、なんて言えないけれど。


酒を注ぎ、舞を披露し、左之さんの優しい瞳と目が合う。
楽しくて短い夜が終わった。





縁は異なもの味なもの



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