34油小路の変
朝から屯所が騒がしい。
幕府が天皇へ大政奉還を行ったとか、坂本龍馬が殺されたとか、今後の行く末が変わる大きな出来事が重なり、ざわざわとしているのだ。
加えて、坂本龍馬を殺した犯人が左之さんではないか、と疑われているらしい。
でも、近藤さんから坂本龍馬とは接触をしないと厳しく言われていたから、そんなはずはないのだけど。
広間へ行くと、左之さんと新八さんが既に来ていたので、その隣に腰かける。
そこへ、土方さんや近藤さんも集まり、その後ろには一君の姿があった。
「斎藤さん!?」
「斎藤!?」
その場にいた幹部隊士はじめ、千鶴ちゃんも驚いた様子で一君を見る。
みんなには、一君は尊王攘夷派を掲げる御陵衛士へ加入したと認識されているから、それもしょうがないことだ。
「斎藤は、本日付けで新選組に復帰する。斎藤には、間者として御陵衛士に潜入してもらっていた」
土方さんの説明に、みんな納得したようだ。
「なんだ、そういうことかよ、」
「ったく、俺たちにも秘密とは、よほど機密だったみてーだな」
再びガヤガヤと始まった広間で、今度は一君が口を開いた。
「御陵衛士は、羅刹の存在を公表して、幕府を貶めるつもりだ」
「……また、羅刹か、」
左之さんが誰にも聞こえないような声でそう呟く。
おそらく私以外の人には届いていないだろう。
「そして、近藤局長の暗殺計画も企てている」
ここしばらく土方さんの眉間のしわが取れなかったのはそのせいか、と納得する。
土方さんが一君を間者として潜入させた時から、こうなるのだろな、とは思っていたからあまり驚きはしないけど。
「……伊東さんを始末する。御陵衛士の奴らもだ」
ついにこの時が来てしまった。
土方さんと近藤さんが作戦を淡々と説明し、皆が覚悟を決めて黙りこくったところで。
「平助君は、どうなるんですか?」
千鶴ちゃんの心配そうな声がした。
みんながあえて口にしなかった、覚悟の正体に、千鶴ちゃんが触れてくれた。
「……抵抗するようなら、斬れ」
土方さんはそれだけ言って広間を後にする。
その返答に動揺を隠せない千鶴ちゃんに、『大丈夫だよ』と告げた。
『なんとか平助を説得するから』
「……私も、何か手伝いたいです」
突然の決意に、少し慌てた。
『今回はやめた方がいいんじゃない? きつい戦いになるから』
「そうだぜ。無理に嫌な役目を追わなくたって、」
「いざとなったら平助だって斬らないとならねーかもしれねーんだ」
伊東さんのことは騙し討ちしなければならない。それを餌に御陵衛士の人たちをおびき出してさらに切り捨てる。怒り狂った御陵衛士たちの憎しみは計り知れない。
「こんな時だけ仕事を皆さんに任せっきりにはしたくありません!」
しかし千鶴ちゃんの決意は固いようだった。
それを見た近藤さんが、根負けして、近藤さんと土方さんと一緒に、伊東さんの接待をすることとなる。
「平助君のこと、よろしくお願いします」
左之さんと新八さん、私に向かって千鶴ちゃんが頭を下げた。
その頭を、左之さんが優しく撫でる。
大丈夫だ、と言っていたけど、それは自分自身に言い聞かせているようでもあって、少し、胸が痛くなった。
まず、酒に酔った伊東さんを音もなく切り捨てた。これは私が役目を追った。
その遺体を通りに捨て置き、御陵衛士の人たちが回収に来るのを待つ。
「兄貴!?」
作戦通りやってきた三木と御陵衛士の隊士数名。その中には平助もいた。
声を上げたのは三木で、すぐに彼らを取り囲む。
「左之さんに、新八さん。それになつめも、か」
平助が力の抜けた声でつぶやいた。
どこか覇気がなくて、これから私たちと刀を交えることに、悩んでいるような、そんな様子だ。
「よくも兄貴を殺してくれたなっ!!」
そんな平助の葛藤を他所に、隣の三木は怒鳴り、腰の刀を抜いた。
こちらも応戦の構えをとる。
一触即発の空気の中、ザ、ザ、と人の歩く音がした。そこまで遠くない。
『左之さん、誰か近づいてくる。おそらく、こっちよりも多いよ』
「なんだって?」
今日の一件を知るのは、私たち以外いはいないはずだ。だとしたら、この足音は誰なのか。
―――ドン
一発の銃声が闇夜に鳴り響く。
「一体どこの馬鹿が撃ちやがった!?」
「どこの馬鹿とは、つれねえなあ」
聞き覚えのある声が後ろの方から聞こえた。不知火だ。隣には天霧の姿も見える。
そして、薩摩藩の兵士が回りを囲んでいた。
『何しに来たの?』
「お前らと遊びに来てやったんだろ」
さらにもう一発銃弾が放たれ、私の目の前に飛んできた。抜刀して銃弾をはじき返す。
「いいね〜、久我家の生き残りは。もっと本気を出せよ、」
再度不知火が銃を構えたところで、目の前に大きな背中が立った。左之さんだ。
「俺の部下に手を出してんじゃねーよ」
別に、不知火の銃弾は防げるのに。
私の前の大きな背中は無言なのに、私を守ると言ってくれているようで。
今まで、自分の身は自分で守ってきた。だから、守られるというのは、なんだか不思議な感じがした。
「それに、なんでここにお前らが来たんだ?」
「仕事だよ、仕事。人間の言いなりになるのは面倒くせーが、お前らと遊べるっつーから来てやったんだ」
どうやら、私たち新選組が御陵衛士を討つという情報を得て、さらに待ち伏せをしていたらしい。御陵衛士も新選組もどちらも片付ける予定のようだ。
「お前のことも気に入ってんだ、別にどっちが相手でも構わねーぜ。どっちが先に死ぬかの違いだからな」
言い終わるやいなや、不敵な笑みを浮かべて左之さんと不知火の激しい攻防戦が始まる。
「平助! お前も手伝え! いつまで突っ立ってんだ!」
新八さんの有無を言わさない言い方に、平助もあきれたように笑った。
「ったく、しょうがねーな! やってやるよ!」
あちこちで刀の交差する音がした。
不知火の相手は左之さんがやってくれているので、左之さんが背中を向けている方からの敵をかたっぱしから斬った。
左之さんの背中を守れることは、心地よい気持ちだった。
そうして斬って、斬って、斬って。そろそろ敵が減ってきただろうか、と思ったときに。
ものすごい音がした。振り返ると、平助が口から血を吐いて崩れ落ちるところだった。
『平助!?』
敵はあらかた斬り終えている。
左之さんから離れて平助の方へ近づく。
「おい、平助しっかりしろ!」
新八さんが平助を抱え上げていて、しかしひどい怪我だ。
『天霧、』
きっと睨むが、臆した様子もなくただただ私を見下ろす。
握っていた刀を構えたところで、しかし薩摩藩の誰かが退却を指示する。
「残念ですね。君との手合わせはまた今度です」
さして残念そうな感じには見えなかったが、そう言い残し天霧がいなくなった。不知火も退却したらしい。左之さんもすぐに近寄ってきた。
『平助!? しっかりして』
「この傷、やべえぞ。内臓がやられてるかもしれねー、」
薩摩藩が撤退したことで、御陵衛士の残党もその場にはいない。
「もうちょっと、みんなと、」
『平助しゃべんないで』
「一緒に、いたかった―――」
ゴボ、という音とともに、大量の血が吐き出される。
『左之さんどうしよ、平助が死んじゃう、』
「とにかく急いで戻るしかねーだろ。なつめ、お前は先に行って治療の体勢を整えておいてくれ」
左之さんの指示に頷き、屯所までの道のりを走った。
屯所は屯所で、風間が攻めてきていたらしい。
羅刹隊がどうにか応戦したらしいが、受けた傷は大きかった。
平助が運び込まれたときには、平助はもうかすかに息をしているだけで、呼びかけにうっすら反応があるだけだった。
死に向かっている平助に、変若水を飲むか否かを誰かが確認した。誰が確認したのかはよく覚えていない。
ただ、今まで変若水の研究には反対だったのに、その時は平助に生きていて欲しいという気持ちの方が大きくて、そんな自分を愚かだと思った。
変若水を飲んで羅刹となっても、何もいいことなどないはずなのに。口には出さなかったが、平助に生きていて欲しい、と願ってしまっていた。
その願いが届いたのか、平助は自分で変若水を飲むことを選んだ。
隊士たちには死んだこととして知らされ、羅刹隊に名を連ねることとなったのだった。
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