26「部下として」ではない感情
屯所に帰る間も雨は止まず。
背中におぶさっているなつめの体温がじわじわとあがっていることがわかる。
なつめが鬼なのかもしれないと考えてはいたのだが、実際にその姿を見るとやはり驚きはする。今まで何年も一緒にいたが、あんな姿は見たことがなかった。
不知火が言うには、鬼の血が薄いとあの姿にはなれないらしいから、なつめは鬼の血を色濃く継いでいるのだろうか。
今まで、そんな素振りはまったく見せなかった。おそらく、今後も見せるつもりはなかったのではないか。今日の様子では、本人も鬼の姿になったことを気づいていなかったと思う。
でも、鬼の姿で戦ったのは―――俺が不知火の銃口をよけなかったからなのだと、そう感じてしまうのは、自分勝手な考えなのだろうか。
そんなことを考えながら、どうにか屯所に着いた時には、なつめの息は荒くなっていて、それを見た千鶴がひどく慌てていたのを覚えている。
丸1日ほど寝込んだだろうか。
夕暮れ頃からようやく熱が下がり、穏やかに寝ていたなつめの顔を眺めていたら、ゆっくりと目を開ける。
「気が付いたか、」
『左之さん、』
いつもと変わらない調子の声色で、ほっと胸をなでおろす。
怪我はしていないとはわかっていたのだが、目を覚まして声を聞かないことにはどうにも心配が収まらなかった。
額に手を当て、熱が下がっていることを再度確認する。
「具合はどうだ? 熱は下がったようだが、」
『大丈夫』
「腹は減ってないか? 晩飯取ってあるんだが」
これは千鶴がなつめの為にと残しておいてくれたものだ。先ほどまで一緒に看病していた。
『左之さん、何も聞かないの?』
俺の質問には答えずに、そう聞き返すなつめの顔は、何かに怯えるような不安な表情だ。
ずっと昔に―――試衛館で会って間もない頃に―――そんな顔をしていたなあ、と思い出し、あの時もこうして、自分が鬼であることがばれないようにと怯えていたのだろうか、と。
だから、その時と同じように、そっと頭を撫でた。
「大丈夫だ。俺はお前の味方だよ」
誰が敵なのかはよくわからないが。敵ではなくて味方なのだと伝えたくて。
「話してほしいのはやまやまだが、話したくなるまで何も聞かねーよ」
しばらく頭をなでていると、少しずつ不安の色が消えていく。
何やらを思案した後に、ゆっくりと起き上がった。背中手を当てて支えてやると、『話すよ、左之さんになら』と、今度は真っすぐにこちらを見た。
甲斐の国の山奥に、鬼の一族である久我一族の里があったが、ある日突然に滅ぼされてしまったこと。
なつめは使いに出ていて、帰ったときには里の者全員が死んでいた。
頼る者もおらず、訳も分からぬまま幾日も歩き続け、気づいたら近藤さんと土方さんが声をかけてくれて、そのまま流れるように壬生浪士組、新選組へと名を連ねた。
里の掟で、人間とはかかわりを持たないという決まりがあり、それを守る為に鬼の力を隠していたこと。人間の世界で生きていくと決めたとき――試衛館を出て、壬生浪士組に名を連ねると決めたとき―――、人間として生きると決めた。
と、なつめはゆっくりと口にした。
「そうか。……話したくなかったこと、話してくれてありがとな」
『……前に、言ったよね。「生きたい」っていう気持ちがないって』
山南さんが変若水を飲んだときに、殺すくらいなら殺される方が後悔がない、となつめが言っていた。その理由が、「生きたい」という気持ちが自分にはないからだ、と。
『私にはもう、帰る場所がない。でも、鬼の血を引く者として、人間と関わってはいけないっていう掟も、いまだに鎖みたいにあって。だから、人間として生きるって考えてはいるけど、でも人間にはなれないし、掟を破ったのに鬼として生きるのもできなくて。何がしたいのかもわからなくて』
一つ、二つ、と頬を涙が伝う。
私って、何なのかな。と。
それはきっと、なつめがずっと抱えてきた悩みで、誰にも話せなかったことで。
ずっと一人で抱えてきたなつめに、一人ではないことを伝えたい。
そっと胸に引き寄せると、何の抵抗もなくおさまった。
いつも何事もないように刀を構えて、敵を斬って。
それをこんな小さな体でやっていたのだと思うと、抱きしめる力も少し強くなる。
いつからか、「部下として」ではない感情の方が大きくなってきたことを、なつめは気づいているのだろうか。
『左之さん、』
「俺はなつめってヤツを知ってる。なつめはなつめだ。鬼だろうと人間だろうと関係ねーよ」
だから泣き止めよ。
そう耳元でささやくと、少しだけ硬かった肩から力が抜けて、しかし涙は一向に止まらない。
止まるまでしばらくそのまま背中を叩いていると、再び名前を呼ばれた。
「ん?」
『私ね、この前、左之さんのおかげで力が出せた』
前に、左之さんと死なないって約束したから。そう続けられる。
俺の言葉は、お前の死なない理由になり得たんだな。
それがどうにも嬉しくて、そのまま押し倒しそうになる自分を御するようになつめを胸から解放する。
『左之さん?』
「あんまりかわいいこと言うな。襲いたくなっちまうだろ」
首を傾げそうな顔からして、伝えたい真意は伝わらなかったらしい。まあ、伝わらなくていいのだが。
「なつめが生きてて良かったよ」
『こんな私でも?』
「そんなお前だから、じゃねーか」
『……そっか、』
嬉しそうに笑うなつめに、ざわざわと自分の心が騒がしくなる。
いつからか、「部下として」ではない感情―――女として見てしまっている自分がいた。その思いを確信しないようにと接してきた。
この思いが晒される日が来るのか来ないのか。
それは自分でもよくわからなくて、ただ今は、なつめの心の閊えが取れて、本心から笑っているような表情を見れた。それだけで良かった。
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