25しまい込んでいたはずの何か
平助と斎藤がいなくなってしばらくたったころ。4月に差し掛かっていたその日、雨が降る中、なつめと二人、夜の京の町を歩いていた。
屯所を出るときはまだ雨が降っていなかったのだが、月も星も見えず、雨が降りそうだとは考えていた。ただ、慌てて出てきたこともあり、雨の対策は何もやっていなかった。
「ひでー雨だな、」
悪態をつくと、『もうずぶぬれ、』と返ってくる。
段々とひどくなる雨に、少しずつ体温が奪われていく。早く見つけなければ。
しかり焦りとは裏腹に、あたりは何の気配も感じない。
失敗した隊士が逃げた、とは土方さんから知らされた。夜の巡察が終わってすぐ、まだ玄関にいる頃に声をかけられ、そのまま屯所を飛び出した。
幸か不幸か、この雨で外に人影はなく、言い換えれば羅刹が血を求めても、その対象者がいない。おかげで羅刹を見つけるのに苦労している。
事情を知る幹部数名で捜索に当たっているのだが―――
『いた、左之さん』
羅刹に気づかれないよう、なつめが静かに告げる。
なつめの指さす方向に目を凝らすと、赤く光る眼が見えた。
「1人か?」
『確認できるのはそうみたい』
「よし、じゃあなつめは左から。俺が右から行く」
挟み撃ちを指示し、一度なつめと別れる。
気配を殺して近づき、同じく構えているなつめに目配せをする。行くぞ、と。
黙ってうなずくなつめの反応を待ってから、槍を持つ手に力を込めた。
羅刹の目前で槍を構え、刀を構える前に槍で心の蔵を一突きにした。
ズ、と音が鳴り、しばらく痙攣していたが、すぐにこと切れた。
見知った顔だ、同じ組ではなかったが。
『左之さん、後ろっ』
感傷にひたっていたところ、なつめの緊迫した声が聞こえたときには、なつめが2体目の羅刹と刀を交えていた。
『もう1体いると思、―――』
言い終わらないうちに、そのもう1体の羅刹が屋根の上から刀を真下に向けて飛び降りる―――その身軽な動きはまるで、風間たち鬼の姿のようだ―――。
まっすぐなつめを狙っていたため、なつめの胴を抱えて真後ろに倒れ込む。
『っ、』
なんとか羅刹の必殺の一撃は免れたようで、しかし次の攻撃を防げるようにとすぐに立ち上がる。なつめも同じくだ。
しかしそこで、予想外の声がする。しかも真後ろから。
「まだそんなまがい物、作ってんのかよ」
「不知火……?」
隣でびくり、となつめが跳ねたのがわかる。
「懲りねーやつらだな、お前ら」
いつものように、軽い調子で近づいてきて、右手には拳銃がある。しかしその表情は、どこか苛立っているようにも見える。
「俺様は、今虫の居所が悪いんだよ、相手しろよ」
「ちっ、」
まだ羅刹は2体残っている。
「なつめ、後ろ、任せていいか?」
羅刹2体を相手するのか、不知火匡という鬼と対峙するのか。どちらも一筋縄ではいかない。
しかし、なつめが後ろにいるということはとても心強かった。妙に落ち着いている自分がいる。
『大丈夫。でも帰ったら、またお酒飲ませてね、』
それだけ言い残し、なつめが刀を握りなおす音がした。
俺も対峙している不知火を見た。こいつに負ければなつめもやられる。
「行くぞ、」
そして、激しい戦闘が始まった。
どれくらい経っただろうか。後ろでは左之さんと不知火が激しく戦っている斬撃音がする。
こちらも激しい攻防戦で、斬りつけることはできているのだが―――人間であれば致命傷となるような深い傷を何度もつけているのだが―――羅刹の回復力のせいで、しかも2体同時に相手をしなければならず、なかなかとどめがさせない。
ちらりと左之さんをうかがうと、だいぶ消耗しているように見える。
しかしその一瞬羅刹から目を離しただけでも、こちらも命取りだ。
―――ギィン
ひと際重い一太刀をくらい、どうにか受け止めるも片膝をついてしまう。なかなか膝を上げられない。
そのすきにもう一体の羅刹が近づいてくる。赤い目がぎらりと光る。
このままだと殺される。
一瞬のはずなのに、頭はやけに鮮明で。
死んだらダメな理由があったはずだと記憶をさかのぼると、思い出されたのは左之さんの悲しそうな顔。
―――なつめをみすみす死なせた、自分の不甲斐なさに、腹立たしくなるんだろうよ
ああこれだ。
そうだ思い出した、私が死んだら左之さんが自分に腹を立ててしまうのだ。
じゃあ死ぬわけには行かないかな。
目の前の2体の羅刹をどうにかする算段を―――怪我は追うけど、死にはしないだろうという方法しか思いつかないが―――見繕っていたところに、その声が響く。
「やはりたかが人間、か」
不知火の銃口が左之さんを捉えている。左之さんは、肩で息をしていて、しかし避ける素振りはない。なんで、避けられるはずなのに―――後ろに私がいるからだ。
左之さんが避ければ、私が撃たれると思って、左之さんは動かないのだと気づく。
不知火が引き金の指に力をこめている―――このままでは左之さんが殺される。
そう思った瞬間に、私の中の何かがプツリと切れた気がした。
急に力が湧いてきて、刀を交えていた方の羅刹を振り払い、そのまま首を刎ねた―――いつもは刎ねることができないはずなのに、なんだか調子が良い。
そのまま持っていた刀を向かってきていた羅刹の方へ投げつけ、それは心臓を貫通するはずだ。
投げた刀の行く末を確認しないまま、左之さんに向けられた拳銃のすぐ近くまで跳ぶ。
脇差を抜き、居合斬りのように、左之さんに向けられた拳銃を上へ切り上げる。
ドオン―――銃声が鳴った。
その一連の出来事は一瞬のことで、自分でも状況をあまり理解できていないが、左之さんを見ると撃たれてはいない。撃たれてはいないが―――
「なつめ、それ、」
驚きを隠せない様子だ。
「ついに本性を出したか、久我一族の生き残り」
そこに、不知火が、先ほどまでの機嫌の悪さとは打って変わって、楽しいとでも言いたげな表情でそう告げる。
何を言っているのかよくわからないままだったが、不知火は持っている拳銃で発砲を続けるので、それをすべて脇差で防ぐ。
先ほどからどうにも調子が良い。体が軽くて、相手の攻撃が鮮明に見える。銃弾もしっかりと目で追える。
「なんだ。今までその姿にならねーから、鬼の血は薄いと思っていたが。戦えるんじゃねーか」
その言葉でようやく、調子が良い理由に思い当たる。
先ほど何かがプツリと切れた音がしたのは。今後使うはずがないとしまい込んでいた鬼の力を解放した音だったようだ。
遠くで足音が聞こえる。この足音は土方さんに新八さんか。
おそらく不知火の銃声が届いて、こちらに向かっているのだろう。
それに気づいたのか、不知火も構えを解く。
「まだ楽しめそうだな、新選組。また相手してやるよ」
そう言って闇夜に姿をくらました。
不知火の姿が見えなくなったところで、私の記憶も途絶えた。
不知火が消えるや否や、なつめが気を失ったようで、その場に崩れ落ちそうになる。慌てて受け止めると、青白い顔をしていた。
先ほどの戦闘で変わった姿は―――白髪に金色の瞳、2対の角―――、気を失ったときに元の姿に戻っていた。
「原田か、何があった」
そこへ土方さんと新八が到着する。
二人が見ている方には、首が刎ねられた死体と、なつめの刀が心臓に刺さったままの死体があり、そして先ほどの銃声もおそらく聞こえていたはずだ。加えてなつめが気を失ってる。
土方さんの顔が険しくなるのも無理はない。
「羅刹と対峙してるときに、長州藩にいた不知火ってやつと出くわしちまって」
「なつめちゃん、どっか怪我したのか?」
「いや、それは大丈夫だ。……激しい戦闘だったせいか、不知火が引いた途端に気を失っちまった」
そう告げると、ひとまずは安堵したらしい。
「羅刹の方は?」
「全員、殺した」
「わかった。……あとは俺たちで片付ける」
なつめの顔を覗きながら、こいつを連れて先に戻っておいてくれ、とその人が続ける。
去り際、「こいつは、なつめがやったのか?」と言う土方さんの視線の先に、なつめが首を刎ねた羅刹の死体があった。
その通りなのだが、それがばれてしまうと、先ほどの姿―――おそらくあれが風間たちのいう「鬼」なのだろう―――についても報告しないといけなくなり、それをなつめは嫌がるだろうなと。
「首を刎ねたのは俺だよ」
部下の手柄を横取りするのは気が進まないので、最初に心臓を貫いた1体はなつめが斬ったこととした。
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