18芽生えかけた何やらの感情
どれくらいそうしていただろうか。
まだ頭痛はするのだが、目眩はだいぶ収まってきた。
ようやく顔を上げると、すぐ隣に左之さんが腕を組んで座っている。
『左之さん、だいぶ良くなった』
声をかけると、心配そうにこちらを見て。
「まだ青いじゃねーか。……今戻ったって、どうせやることはねーんだ。もう少しゆっくりしてようぜ」
しかし言葉とは裏腹に立ち上がるその人。何事かとみていると、ふわりと左之さんの匂いがした。左之さんが着ていた隊服を、私の肩にかけてくれたようだ。今まで左之さんが着ていてぬくもりも残っていて、匂いも相まってとても―――安心した。
もしかすると、先ほどまでの鬼の襲撃で、私の正体をいつばらされるやもしれないという恐怖のせいかもしれない。左之さんが隣にいることに、左之さんの匂いやぬくもりに、“安心する”なんて。
『ありがとう、左之さん』
「ん? ああ、別に大したことじゃねーよ」
そうしてしばらく無言のまま。
何も聞かれないということに、さらにほっとしていた。きっと左之さんは、私が話すまでは聞かないでいてくれる。
『左之さん?』
「どうした?」
『何か話してほしい』
「なんだ、藪から棒に」
しかし、言葉とは裏腹に、ポツポツと話をしてくれた。
土方さんが酒に弱くて、飲むと面白いとか。総司がネギを嫌いになった話とか。一君が石田散薬のことになると熱く話し出す話とか。山南さんが初めて腹黒い人だとわかったときとか。ほかにもいろいろ話したけど。
『左之さん、それ全部知ってるよ、』
「そうか?」
知らないのかと思った、と左之さんは不思議なことを言った。
『なんで?』
「お前、俺たちと長くいることを、忘れちまってるんじゃねーかと思ってな」
『、』
返答に詰まる。
「別に、困らせたいわけじゃないんだが、」
そうして優しく頭を撫でられる。
「お前が、山南さんを斬りたくないのと同じように、俺は、お前が死ぬのをみたくない」
続けられる言葉で、左之さんが何を言わんとしているのかを理解する。
先日の山南さんとの一件のことだ。
『左之さんは、私が死んだら悲しい?』
私の問いに、少しだけ間があった。
「悲しい気持ちもあるが―――腹立たしいかもな、」
『腹立たしい? 私が?』
死んでしまうほどの実力しか持ち合わせていない隊士に対して、腹立たしいということ?
それに対しては、左之さんは優しそうに笑って否定した。
「お前にじゃねーよ。なつめをみすみす死なせた、自分の不甲斐なさに、腹立たしくなるんだろうよ」
『……そっか、私が死ぬと、左之さんはそういう気持ちになるのか』
知らなかった。
私の死は、私だけの自由だと思っていた。
『左之さんをそういう気持ちにはさせたくない』
今まで、散々、左之さんには助けられた。恩こそあれど、私が死ぬことで左之さんが自分のことを責めるなど、あってはならないことだ。
「それなら、これからは死にたいなんて、言ってくれるなよ、」
『……わかった、死なない』
そう言ってから、逆もまた然りだと思ったので慌てて付け加える。
『左之さんも、死んだらダメだよ』
少し驚いたようだったが、「わかった」と返ってきた。
気づくと、先ほどまで警鐘のようになっていた頭痛の音が、ほとんどなくなっていた。
今度こそ立ち上がり、左之さんとみんなのもとへと戻るのだった。
『左之さんをそういう気持ちにはさせたくない』
意外な言葉が返ってきて、しかも思いのほか力強い声だったので、内心驚いていた。
俺が、俺自身のことを腹立たしく思うことをさせたくないらしい。
どこまでも自分ではなく人のことなんだな、とも思ったが。でも。
「それなら、これからは死にたいなんて、言ってくれるなよ、」
『……わかった、死なない』
死なないと、そう約束したのだから。
生きる理由がない彼女に、「死なない」と思わせたのは大きな成長だ。
……死なない理由が俺にあるというのが、嬉しいと言ったらおこがましいだろうか。
『左之さんも、死んだらダメだよ』
そんな気持ちを知ってか知らずか、続けられたなつめの言葉に、また少し心が跳ねる。
「わかった」
その気持ちを悟られないように、短く答えると―――なつめが、にっと笑った。
ああこれは、初めて見る顔だ。
だいぶ顔色がよくなったなつめがゆっくりと腰を上げる。
芽生えかけた何やらの感情を奥に押しやり、なつめの―――部下の後ろを追った。
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