どうせばいいの

(檜佐木→砕蜂)






貴方の姿をはっきりと見たのは、あの酷い雨の日だった。


任務帰り、ちらりと見えただけの貴方の背中が酷く扇情的で、酷く儚げで、それでいて淋しそうで。
思わず足を止めて魅入ってしまった。


傘も差さず、刑戦装束のまま雨に打たれる貴方が見上げていた空は異常な程暗く濁っていたのに、それを見つめる貴方の目が、悲しげであったにも関わらずどこか穏やかな霊圧を放っていたような気がして、あの日から気になって仕方がなかった。


貴方はいつも、
何を見ておられるのですか。


その目の先にあるのは、一体――


浮かんだ疑問は言えぬままに、彼女は音もなくその場から消えた。


本当に、消えた。



余りに一瞬の出来事だったために、幻だったのかと、初めから何もなかったのではないかとも思った。
それが瞬歩だと解ったのは暫く経ってからだ。

自分が居ることに気付いて去ったのではない、とは何となくだが解った。
無意識の内、彼女の霊圧の名残が未だ微かに残るその場所に足を運び、そこから同じように、彼女が見ていた空を見上げる。

何も、ない。
ただ薄暗く、冷たい空。

彼女がこれを見上げ何を想っていたのか、檜佐木には解らなかった。


「――……」


降りしきる雨音、冷たい雨の感触。
彼女はこれを一心に受けて。


泣いて、いたのだろうか。


そんな事を思ったのは隊舎へ戻り、雨に濡れた死覇装を脱ぎ捨て湯浴びも済ませ、一息ついた頃だった。

今や九番隊隊長であるあの人が居なくなったそんな静かな隊首室で、頭から離れなかったのはやはり彼女の事だった。


しかし、何となくだが、あの背中に秘められた悶々とした暗い何かに、安易に触れてはならない、そんな気がして。

だからこそ、話し掛けることも当たり前だが記事にするようなことも出来ずにいた。


「――…何なんだ…」


あのでっぷりとした二番隊副官の先輩死神にでも聞いてみようか、いやしかし、何を聞くんだ?


お元気ですか?
仕事はどうですか?

泣いては、いませんか?


何か、違う。
どれも対して面識のない自分が言える言葉ではない気がして戸惑われた。


二番隊隊長及び隠密機動総司令官、並びに同第一部隊刑軍の統括軍団長を勤める彼女の事は当然知っている。
小さな体躯で良くあんな肩書きを背負えるものだと感心はしていたが、一度彼女の霊圧やあの切れ長の瞳を目の当たりにしたなら、あぁなるほどと思えるほどの威厳と強さを秘めていることに否応なく気付く。

また寡黙でクール、それでいて常時無表情な彼女の事は、気にはなるがどうも近寄りがたく感じたため、あれから暫く経った今でも何の進展もなかった。


「……はぁ」


自分はこんなにも女々しい性格だっただろうか、と誰もいない執務室で檜佐木は深いため息を吐いた。


時刻は夕刻、天気は暗雲に降りしきる雨。

思い出されるのはあの時の彼女の背中。
何故彼女はあんな表情で、あんな冷たい雨の中で、一体何を見ていたのか。


ガタッと音を立てて椅子から立ち上がると傘も持たずに外へと足を進めた。

考えるよりも先に、体が動いていた。



もしかしたら――



小高い丘、少しぬかるんだ地面。
気付けばあの時と同じ場所に来ていた。



目に飛び込んできたのは、純白の羽織。

彼女もまた、傘も差さずにそこに佇んでいた。
小さな背中に刻まれた二という数字は堂々と、しかしあの時と同じように寂しげで、儚げで。


こんな事を思うのは自分だけだろうか。


暫く、雨音がやたらと大きく耳に響いていた。



「――…そこで、何をしている」

「!!」



後ろで束ねられた長い髪と髪飾りが音も立てずにゆらりと揺れた。
次いであの切れ長の強い瞳と目があった。

話し掛けられるとは思っていなかったため目があったまま立ち尽くしている自分に向かって、彼女はほんの少し語尾を強めた。


「何をしているのかと、聞いている」


はっとしたように肩を震わせた檜佐木を砕蜂はそのまま容赦なく睨み付ける。
「ぇ、と…」と言葉を詰まらせ挙動不審な檜佐木に砕蜂は静かに息を吐いた。


「……この間も、この場にいたであろう」

「…っ!え、気付いてたんスか!?」

「当たり前だ」


考えてみれば仮にも隊長格である自分の霊圧に、同じく隊長格であり隠密を担う彼女が気付かないはずはないと頭が理解した。
自分はこんなごく当たり前の事にも気付けないほど深く考え込んでいたのかと思うと何やら恥ずかしい。

じっと強い瞳に見つめられ体が強張る。
答えろ、と目で訴えられて檜佐木は諦めたようにゆっくり息を吐くとぽつりぽつりと話し出した。


「……気に、なっていたんです」

「………」

「貴方の事が」

「!!」


そう言ってはにかんで見せると彼女は一瞬だけ目を見開いた。
が、次の瞬間にはまた無表情に戻っていた。

きっと今の自分は酷い顔をしているだろう。


「…どういう、意味だ」


目を逸らさずにこちらを見上げてくる強い瞳を、檜佐木もまた見つめ返す。


「あれから、ずっと考えていました」

「……」

「…あの時、この場所で砕蜂隊長を見てから、一体貴方は…何を見ていたんだろうと」


この薄暗い空に、


「どうしてあんなに、悲しそうな顔をしていたのだろう、と」

「っ!!」


瞳が、揺らいだ。
初めて彼女が自分から目を剃らした。
それでも檜佐木は言葉を紡いだ。


「俺は、隊長の、…砕蜂隊長の」


自分でも何故こんな事を言ったのか解らない。
ただ口が、勝手に動いていた。


「笑顔が――、見たいと…思ったんです」


剃らされた目が再び合わせられ、且つその目は大きく見開かれた。
先ほどまでの無表情とは違い、しっかりとした感情を持った彼女のその表情に、心なしか檜佐木は何故か少しだけ安心した。

雨が少し、勢いを緩めたその時彼女がふっと気のせいかと思うほど、本当に僅かに、笑った気がした。
沈黙を破ったのは、砕蜂だった。


「……貴様、檜佐木といったか」

「え、あ、はいっ」


先ほどの砕蜂の表情が気になり、食い入るように彼女の整った顔を見つめていたため檜佐木は一瞬だけびくりと肩を震わせた。
と、言うより名前を覚えられていた事に少しだけ驚いた。

けれどそれより、彼女の口から次いで出た言葉にもまた驚いた。



「――…此処へは、もう来るな」

「っ!!」



何故ですか、とは聞けなかった。

そう言った彼女の顔が、余りにも穏やかで、それでいて悲しげで。
あの時、遠くの空を見つめていたあの顔と全く同じで。

暫し言葉が見つからなかった。


「私には、関わるな」

「―……っ、なぜ…っ」


貴方は、と続きを発する前に胸の奥に何かが詰まって言葉にすることは叶わなかった。

いつもの無表情でも、強い瞳を放つあの凛とした顔でもなく、檜佐木は彼女のこんな穏やかな表情を始めて目にしたのだった。


彼女の瞳はまた、何もない空に向けられる。


こちら側へは来るな、と。
自分に近付くな、と。

こちら側とは何処なのか、誰なのか、何なのか。

混乱と緊張で働かない頭を叱咤して檜佐木はぐるぐると彼女の言葉の真意を探した。


けれど明確な答えなど見つかるはずもなく、ただあの時、同じようにずぶ濡れで、同じように冷たい雨に打たれているのに、埋まらない距離を痛感させられた、今はまだ、それだけだった。





気付けば雨は上がっていた。

辺りには湿っぽい空気と雨によって出来た水たまり。


彼女は此処にはもう居なかった。


けれど未だ忘れられない。
頭に残るのはあの時の言葉。


『――…貴様は、そのままでいろ』


去り際に言われた言葉に、檜佐木は気付いてしまった。

あれが、彼女なりの――不器用な優しさなのだと。

冷徹とも言われていたあの二番隊隊長の言葉に初めこそ意味が解らなかったが、こうして落ち着いてみてやっと解った。


彼女もまた、人間であり、ひとりの女なのだと。


なら、尚更。


「…放っておけねえじゃねぇか」


曇り空、雨は止んだ。


しかし彼女の心は未だ冷たく降り止まない雨に晒されているのだろうと、心に言い知れぬ痛みを感じたとき、やっと、この感情の名に気付くことができた。


いつか、彼女に――
手を伸ばせる時を願って。








END.


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