4話 事情なんて大概は隠し事で
酒井知彦は思い出していた。
あれは6年前、酒井がまだ大学の学部3年生だったときのこと。

酒井は都内のカフェで兄とその彼女、あかりとコーヒーを飲んでいた。

「私の弟の祐磨ね、バカだけど勉強はできるから、東都大受けるんだって。知彦くんの後輩になるね、受かればだけど。そしたらよろしくね」
「まぁ、面倒見てやってよ、将来的には知彦の弟だから」

兄とあかりはそう笑いながら話していた。
あかりの弟の清川祐磨は当時高校3年の受験期。
彼女がほしい発作で何も手につかなくなるのは当時からで、それゆえに、あかりは自分に恋人がいることを、受験が終わるまではと弟に隠していた。

「世話の焼ける弟をつくっちゃうけどごめんね、知彦くん」
「もちろん、面倒みますよ。」

兄とあかり。2人が結婚して、東都大学に入学してくる清川祐磨が弟になる。
そんな未来が当然訪れるものだと思っていた。

ただ、現実はそうはいかなかった。
酒井の兄は交通事故で急死した。

「祐磨には言わないで。祐磨は何も知らなくていい」

酒井の兄の葬儀の日、酒井の前であかりは涙しながらそう言った。
季節は冬。大学入試の直前だった。

それから3年、酒井が兄と同い年になったころ、あかりから別の男性と結婚することになったと連絡がある。
あかりは律儀にも、その男性を酒井に紹介した。
兄とあかりと3人で話したあのカフェでのことだった。

「あかりさんのこと、兄のかわりに、絶対に幸せにしてください」

あかりがトイレに立ったとき、酒井はその男性に言った。
どの立場で言うのかわからないが、言わずにはいられなかった。


 ☆ ★ ☆ ★


「酒井さん」
「あ、ごめん。何、宮野さん」

酒井は気づけば止まっていた実験の手に気づく。
そして声をかけられた宮野志保に返事をする。

「清川さんに紹介してあげる人、今日の昼休みに話せるって。説明に付き合って。」
「わかった、ホントありがとう、宮野さん」

酒井は志保にお礼を言う。
志保は、まぁ引き受けてくれるかは知らないけれどね、と言い残して自分の実験台に戻っていった。

そしてその日の昼休み、志保の知り合いの女性と3人で会った。
酒井はてっきり、志保の学部同期の子だと思っていたが、相手は文学部2年、藤城雪乃の同級生だった。

「あれ、宮野さん、その人は?」

待ち合わせていた坂上律子は、宮野志保とともに現れた酒井に疑問の言葉を発する。
志保が1人で話があると思っていたのだろう。

「研究室の先輩の酒井さん。頼まれてほしいことってこの人からなの」

律子は、へぇ、と言ったあと、文学部心理学科の坂上律子です、と名乗った。
それから、酒井は律子に事情を説明した。
清川という男の生態、卒業論文のときの架空のメル友作戦、それらの話を律子は呆れつつも最後まで聞いてくれた。

「それで、清川に坂上さんを紹介させてほしいんだ。ホントに、メールだけでいいから。」

酒井は律子にそう言って頭を下げた。

「まぁ、いいですよ。ただ、その代わりというか、宮野さんにお願いがあって……」
「それなら宮野さんじゃなくて、俺が引き受けるよ、俺からのお願いだから。」

無茶をお願いしているんだ、交換条件を出されて当然だ、と酒井は思った。
そして、それを引き受けるのは自分の役割だとも思った。

「いや、そんな、大したことじゃなくて、というか、宮野さんだからお願いしたいことで、」

大きな交換条件を想像していた酒井は、え?と声を出した。

「宮野さんにバイク選びの相談に乗ってほしいんですよ。昨年免許取ったけどバイク決めかねてて。」
「それくらい、全然いいわよ」

志保は、律子の交換条件というにはあまりにささやかなお願いを引き受ける。
酒井はそれがささやかなお願いであったことに、安心する。

律子に清川のメールアドレスを教えて、酒井と志保は律子と別れる。

「いい人だね、坂上さん」
「ええ、雪乃の友達だもの」

そんな何気ない会話をしながら、酒井と志保は研究室へ戻る道を歩く。

「宮野さんもありがとう、紹介引き受けてくれて」
「ちょっと気が向いただけよ」
「ははは、そっか」

2人の会話はそこで途切れる。
けれども心地悪くはなかった。
そんな中、志保がぽつりと話し始める。

「雪乃の彼氏、私の死んだお姉ちゃんの元カレなのよ」

その言葉に酒井は目を見張る。
そしてそれから、なぜか笑いがこぼれる。

「ははははは……!!」
「なによ」

志保はそんな酒井を不機嫌そうに見る。

「いや、ごめん。そうじゃなくってさ。俺なんかよりずっと宮野さんの方が複雑だろうなと思ってさ」

酒井が笑ったのは志保に対してではない、自分自身に対してだ。
自分は複雑な事情を抱えている、そう思っている自分自身に対して。

「俺、清川の姉さんが結婚するとき、相手の男性に、兄のかわりに幸せにしてください、なんて言っちゃったけど、むこうからしたら訳わかんなかっただろうな……」

酒井は過去の自分を振り返るように言う。
そんな酒井に、志保は呟く。

「その気持ち、わからなくもないわ」

酒井は隣にいる志保の顔を見る。
その瞳がなにを思っているかはわからないが、きっと自分と同じような経験があったのだろうと、そんな気がした。


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