09話 何気ない平穏に不穏の気配がしたからには、
志保さんの研究室を出たあとに、私と志保さんは行きつけのカフェを訪れた。
目的はもちろん、今食べている、この限定ケーキです。

「志保さんが研究室でやってる研究って、薬の研究だったんですね…。」
「えぇ、そうよ。」

何気ない会話をしながら、ケーキをフォークで一口分取って、口に運ぶ。
甘さの中に甘酸っぱい果物の香りが広がる。

「薬といっても病気の治療薬。前みたいなとんでもない薬じゃないわ。」

そう言って志保さんはケーキとセットの紅茶を一口飲む。
志保さんが病気の治療薬の研究ですか…。
そう思うと、なんだかうれしくて笑みがこぼれる。

「何、にやついてんのよ。」
「だって、志保さんの頭脳が正当な目的で使われていると思うと、嬉しくて…!」

志保さんは、先ほど研究室の先輩の酒井さんが言っていたように、とても優秀な人です。
その頭脳をあの組織にいたとき、APTX4869という薬の研究開発のために使っていた。
私や新一、志保さん自身の体を縮めたことも、毒薬として用いられたこともある、恐ろしい薬の開発のために。
それが今や、治療薬の開発という、病気の人を救い、人から感謝されることに使われている。
それが、嬉しくないはずがないじゃないですか。

志保さんは、勝手に言ってなさいよ、と言ってケーキを口にする。
それに、じゃあ勝手に言ってますー、と笑って答える。
志保さんはそんな私に、フッと軽く笑った。

「そういえば、その治療薬の研究で気になることがあって…」
「え?なんですか?」

私がケーキを食べていると志保さんがポツリと話し出す。
私は最後の一口を運んだフォークを口に入れたまま顔を上げる。

「今、研究してる薬と別の薬の間に、薬の効き目を弱める相互作用があることがわかったのよ。」
「それって、そんなに気になることなんですか?」

少し深刻な表情で話し始める志保さんに首をかしげる。
薬の飲み合わせとか、お薬手帳の必要性とかで、わりとよく聞く話だ。
それほど珍しい話ではないように思うのですが…。

「その薬に関してはそれほど気になることじゃないんだけど、同じことがあの薬の解毒剤でも言えるかもしれないと思って。」
「あの薬って、APTX4869ですか?!」
「そう。まだもしかしたらってだけだから心配しないで。これから研究して確認してみるつもり。」

何かわかったら改めて連絡するわ。
志保さんはそう言って、再び紅茶を口にする。
確かに白乾児で一時的に元の体に戻ったりしたことを考えると素人目に見ても考えられる。
しかし、この体に戻ってから1年以上経ちますが、また体が縮むなんてことはなかった。
ならば日常的に摂取しているものは大丈夫なのでしょう。

ソーサからティーカップを持ち上げて、紅茶を飲む。
ケーキと同様に、これも最後の一口でした。
志保さんのお皿とティーカップを見ると、私と同様に空になっている。

「そろそろ、お暇しますか?」
「えぇ、そうね。」

そう言って、いつものカフェを後にした。


  ☆  ★  ☆  ★


「そういえば雪乃、来月の第二火曜日って開いてる?」
「来月の第二火曜日ですか?」

私と志保さんはカフェから互いの家の方に歩く。
志保さんの住む博士の家も私のマンションも米花町にあってわりと近所だ。

「火曜日なら、授業は午後からなので午前中は空いてますが…」
「じゃあ、空けておいてくれる?」

そう言いながら私は鞄から取り出した手帳を開く。
そして、その日付を見て、志保さんの目的に気付く。

「去年と同じように、博士のビートルで行く予定だから。」
「はい!じゃあ私も去年みたいに博士の家に行きますね。」

私は手帳に予定をメモして、ゆっくりと手帳を閉じる。
この予定に私を誘ってくれることは、とても光栄なことなんです。
しばらく歩くと、いつもの交差点にたどり着く。

「じゃあ、志保さんはあっちですよね。」

私は自分の家と逆の道を指差して言う。
ここが志保さんの家と私の家に向かう道との分岐点で、よく立ち話をしたりする。

「最近は物騒な事件がありましたから、気を付けてくださいね。」
「それは雪乃の方でしょ。ただでさえ事件に遭いやすいんだから。」

志保さんに気を付けてと言ったのに、逆に注意されてしまう。
最近あった物騒な事件とは、連続誘拐殺人事件で、被害者は若い女性だという。
私も志保さんも、それに含まれる年齢です。

「それではまた明日ー」
「えぇ、またね。」

そう言って軽く手を振って、互いの家の方に向かって歩き出す。
しばらく1人で歩くと、先ほどした約束を思い出す。

「来月の第二火曜日、ですか。」

それは2年前のあの事件から、もう2年が経つということ。
来月の第二火曜日の日付、あの日付は、志保さんのお姉さん、宮野明美さんの命日だ。
その日の大切なお墓参りに、志保さんとともに行くことが許されるというのは、とても光栄なことなんです。
そう思うと、歩きながら少し笑みがこぼれる。

私が家に向かう道には、同じように家路につく人がたくさんいて、すれ違う人の会話が聞こえてくる。

「それだけのウデがあって、なんでそんな地味なことやってんだよ。」
「僕の趣味に文句言わないでくれる?」

2人の男性の会話がすれ違いざまに耳に入る。
1人は比較的小柄で、大きな長い鞄を背負っていた。

すれ違ってからふと気になって私は足を止める。
あの縦に長い形状の鞄って……、ライフルバッグでは?

いや、気のせいですよね。
きっと最近「銃の分類と歴史」のライフル関係のページを読んだからですよね。
縦に長いものを運ぼうと思えば、だいたいあの形状の鞄になりますよね。

そう思って、私は再び足を進める。

「ねぇ、君、」

しかし、それは肩に置かれた手によって阻止される。

「君は、勘が良いの?運が悪いの?」

肩に置かれた手の方にゆっくりと振り返ると、先ほどの大きな鞄を背負った、小柄な男性がいた。

「それとも、僕の運がいいの?」

ふわりと鼻に広がった香りは、嗅ぎ慣れた甘い麻酔の香りだった。


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