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朝一の空気に冷やされたドアノブを回すと、軋んだ音をたててドアがゆっくりと開いた。

ドアに鍵はかけていない。
住人のほとんどが顔見知りという小さな里。
こんな辺鄙な土地で泥棒に転職しようなどと考える奇特な奴はおらん。
盗み出して稼ぎになる貴重品もないしな。
鍵の開閉は、無駄な一手間を増やす結果にしかならないのだ。
だいたいどこの家でも同じような状態だ。
ドアは風避けの為に機能してさえあればいい。あとは着替えを覗かれん為か。
そんなんだからこのドアに元から備わってる鍵はただの飾りと化している。
こうした機能も役目を終えて衰退していってるといえよう。

軋んだ音で開いたドアは、折り返しの行程も耳障りな音を響かせた。
どこか悲鳴に似ていて頭に突き刺さる。
眠気覚ましだとしてももう少しやさしくして欲しいものだ。
たっぷりと数秒をかけて元の位置に戻ったドア。そろそろ油が必要かもしれんな。

築年数不明。
かなりボロが来てる建物だが比較的マシな部屋を事務所として利用している。
それでも長い年月を働き続けたのに変わりはなく、その分のダメージを蓄積させている。
このドアも何回開かなくなったことか。
そのたびに修理し、誤魔化しながらここまで持ちこたえてきた。
あと何年、耐えて働いていてくれるだろうか。
せめて私が隠居する日まで、この事務所には現役でいてもらいたいものだ。


無人の事務所は外とほぼ変わらない冷たさで満たされていた。
まだまだ雪が残るこの季節。
風雪を遮断した建物の中にいても吐いた息が白くなる。春はまだ遠いようだ。

このままでは凍えてしまう。
防寒着を着たままで本日最初の仕事に取りかかるとしよう。

その日一番に出勤してきた者の役目なのだが、ほぼ私の日課となっている。
冬季限定の大仕事、ストーブに火を入れ部屋を暖める。
部下である若者たちが出勤してくるのは、この厚手のコートを脱いでも平気なほど暖まった頃だ。

「……つめたい」

道の途中で出会って、ここまで一緒に来た妖精さんがストーブの天板に乗って小さな手を触れさせた。
絶対に真似してはいけない方法で温度を確認している。
これが人間の子供だったら慌てて止めていたところだ。
今は火がついてないから大丈夫だが、いつでも大丈夫とはいかない。
用心して慎重な行動を心がけるべきだ。
しかし、そんなことを妖精さんに言っても効果が薄い。
彼らは私たち人間の予想の斜め上を行く自由さでもって行動する。
いつもハラハラさせられる。
心配で目が離せなくなるのだ。
あちこちぺたぺた触れているが、どこを触っても変わらんだろうに。
触れると痛く感じるくらいに全体が冷えきっているはずだ。
さて、妖精さんの為にも早く暖かくしてやろうか。

「これから火をつけるからな。焼けてしまわんように気を付けて」
「こんがりやけたら、おいしくいただかれるです?」
「そうだな。お茶請けに良さそうだ」
「はううううっ」

全身をぷるぷると震わせる。
それに合わせてマフラーの先についたぽんぽんが左右に揺れた。
冬服を着込んでいつもよりまるくなった体で震える様子は、新種のおもちゃのようにも見える。
このくらいの大きさで揺れ動く人形を売り出せば子供が喜びそうだ。

ちょっとしたことでも盛大に震える。
この反応にもだいぶ慣れてきた。
寒さや恐怖からくる震えではなく、悦びに似た感情の現れなのだとわかってからは
たまにからかって遊ばせてもらってる。
子供ではなくても楽しいものは楽しい。
それすら喜んでいるようだから許してくれるだろう。

毛糸の帽子に指先を乗せるとくすぐったい振動が伝わってきた。
厚手の生地を通しての刺激だから通じにくいかもしれない。
妖精さんの震えに負けじと指先を細かく動かす。

「はうっはううっ」

喜ぶ位置を探りながらのイタズラ。
マフラーで防備された首もと、次いでわき腹と順に責めていく。
心配などいらなかったな。
首もとを触れば手足をバタつかせ、わき腹は腰をくねらせる。
こちらが与える刺激以上の、何倍もの反応を返してくれた。

妖精さん自身の意思を離れて体が勝手に動いているようだった。
おもしろい。彼の悦びは私をも喜ばせてくれる。

手のひらに少し余る程度の体格。
数秒の間に全身をくまなく触りきってしまった。
だが、時間が短くて満足いかないということもなさそうだ。
悦びの頂点を迎えたと思われるところでぷっつりと。手足を投げ出し倒れこんでしまった。
まるで電池切れ。
暴れて疲れたのだろうか。体力も見た目相応なのかもな。
しかし彼の表情からツラさは感じられない。
むしろ、幸福の状態にある。
天井に向けた目は閉じて余韻に浸っているようでもあった。


寝転んで動かない妖精さんの横に小さなヤカンを置いた。
火を焚き続ける部屋は湿度が下がる。このヤカンには乾燥を防ぐ効果がある。
それに、熱いお茶を飲んで体を温めよう。
長い勤務時間にお茶は欠かせないものなのだ。

好奇心旺盛な彼はこれにも興味を示す。

しばらくは休んでいるだろうと思ったのだが元気を取り戻して起きてきた。
水分摂取は必要ないはずなのに一応中身を見てみないと気が済まないらしい。
つま先立ちになって蓋をはずした穴から覗き込む。
何に感心したのか「おおー」などと声をあげている。
中には水しか入ってない。おもしろいものなどないはずなのだが。
水面に映る自分の顔でも発見したのだろうか。
数秒覗いて満足したらしい彼は次に側面をまわって移動する。

妖精さんが止まったのは注ぎ口の前だ。
なんと注ぎ口に右の手を突っ込んだ。
妖精さんの細い腕だから通る小さな注ぎ口。私だったら指一本が限界だろう。
この行動に何の意味があるのか、妖精さんのひとり遊びは謎だらけだ。
探るように手先を動かしているのが見て取れる。
腕を抜いた時に何か掴めているのかな。

一応そちらに意識を向けながら薪ストーブに火を入れる準備を始める。
薪を何本か詰めて燃やすだけ。
簡単なように見えて易々とはいかない。
薪の機嫌が悪い日は何十分もの長期戦を強いられることもある。
今日はどうだろうか。
長年の経験で体が記憶した感覚を頼りに薪の積み方や本数を調節する。

ヤカンの取っ手にぶら下がって退屈そうにしていた妖精さんに短く折った小枝を渡すと、喜んで遊び始めた。
もう少しで終わるから待っててくれよ。

この小枝は薪よりは燃えやすく炎を育てる役目を果たす。
積んだ薪の隙間を埋めるように配置した小枝に向けて、火をつけた紙ゴミを放り込んだ。
白い煙が薄く立ち上る。
小さな火と小枝の勝負だ。
「めら!ぎら!いおなずん?」
小枝を振り上げた妖精さんが何やら呪文めいたことを叫んだ。
それの効果というわけではないだろうが、いいタイミングで炎が姿を現した。本当に魔法のようだな。
うまいこと火がまわってくれたのを確認してとりあえずの作業終了とする。

空いた手で妖精さんを回収してコートのポケットに入っていてもらう。
体温をあまり感じない妖精さんだが、右のポケットがほんのりあたたかくなったような気がした。
顔だけ出しておとなしく納まった妖精さんも私の体温を感じていてくれるだろうか。


とりあえずまあ掃除でもして時間を潰すとしようか。
部屋が暖まるまで少々の時間を必要とする。
じっとしていても体が冷えるだけだからな。

羽箒を手に、崩れなければいいと種類もバラバラに積み上げた書籍の埃を払う。
一番上にあるのは昨日読み終えたばかりの小説本。
若い娘さんが主人公の小説は私には向かなかった。
ひとりの男に人生を捧げ、貢ぐ為に夜の世界へ堕ちていくという内容だった。
ぼろぼろになりながらも好きな人が幸せならいいのと笑う姿は痛ましくもあり
同じ年頃の女性なら共感できるのだろうかと頭を悩ませる羽目になった。
とても私には真似できん。
誰かに物を贈ることさえ最近はなくなった。
そのような情熱はどこかに置き忘れてきてしまったようだ。

この小説本は隣の倉庫部屋に収納でいいだろう。
他にも数点、脇に避ける。
この部屋に残すものと移動させるものとで選り分け小山が築き上げられた。あとは部下の仕事だ。
あいつが出てきたら作業を引き継ごう。

裏面が再利用可能な書類はそれ用のストック箱に放り込む。
ゴミはゴミ箱へ。

「ん?」
だいぶすっきりした机の上に、見慣れない物があることに気がついた。
羽箒を置き、代わりにそれを手に取る。


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