一日一膳いちご一粒::P1/2


暦は六月。
肌寒く感じる日がなくなり、ほどよくあたたかい幸せの季節です。
毎日いくらでも寝られてしまう。

ですが、今日のわたしは早起きさんです。
おじいさんと一緒に朝食をいただけるほどに早起き。
出来立てのスクランブルエッグはふわふわのとろとろ。
おいしい卵を産んでくれた鶏さんに感謝ですね。それと調理してくれたおじいさんにも。
食後の紅茶も飲み終えて、手早く後片づけ。
昨日のうちに準備していた手荷物を持って玄関へ向かいます。

「それでは、いってきます」

今日のわたしはやる気にみなぎっています。

今が旬の食物といえば
そうっ!苺の季節です。
農家さんちの苺が豊作だそうで苺狩りに招待されたのです。

自分の手で摘んで食べる。最高じゃないですか。
食べ放題なんですよ。最高ッじゃないですか!?
思わずスキップしてしまうほど気分は浮かれています。
ついでに鼻歌も飛び出します。
楽しみでたまらんのです。
不審者を見るような通行人の視線も気にならずにいられました。


「みなさん、ごきげんよう」
先に集まっていた参加者にご挨拶。
行事の内容だけあって十代の女の子が目立つようでした。
顔見知りの子も何人か。輪になって世間話に華を咲かせております。

ここの農家さんは苺の他にも野菜を作っているおうちです。
住宅の裏側にある畑に目を向けると、生長途中の緑と並んで苺畑が広がっていました。
数列分のスペースを使ってたっぷりと実っています。
食べ頃を迎えた赤色がここからでもよく見えます。

生鮮食品を運べるキャラバンは限られますからね。
こうした農家さんは貴重な存在なのです。
去年は夏野菜をわけていただいてたいへんお世話になりました。
今年も密かに期待しております。

そんな考えを巡らせていたところへ農家の奥様がやってきました。
丁寧に苺の採り方をレクチャーしてくれます。
さぁ、苺狩りの開始です。


細い茎にぶら下がるように生った大ぶりの実をそっと指先で摘み取り口へ運びます。
真っ赤に色づいた実からほのかな甘い香り。
果汁が口いっぱいに広がります。う〜ん、甘酸っぱい。

あちらこちらからも苺を堪能する声が聞こえてきます。

これならいくらでも食べられそうです。
ふたつめを口へ運びながら次のターゲットを物色します。
まだ白さが残る実は手をつけてはダメ。
数日後の完熟を待ってから収穫予定だそうです。
――これなんて良さそうですね。
この歪な苺は鶏のトサカに似ている……いただきます。

家を出る前に朝食をいただいたばかりだということを忘れてしまいそう。
美味しいものは別腹と言いますし、この畑をぺろりと食べ尽くしてしまうのも可能かもです。



まぁ、食べられるはずはありませんね。
別腹と思われた胃袋にも限界は来るものです。
五十個ほどいただきました。
朝ごはんをしっかり食べたあとのデザートとしてはよくやった方ではないでしょうか。
満腹。満足。
窮屈になったお腹から息をひと吐きして周囲を確認すると、わたしが確保したエリアだけでもまだまだ残っています。
予想以上に豊作のようです。

ですが、心配はご無用。
食べきれないことは想定の範囲内です。

ここからは苺狩りの代価として収穫作業のお手伝いが待ってます。
さすがにタダで食べさせてくれるほど甘くはない。
一度集合したのちに再び畑へ散っていきます。
収穫籠を片手に働きますよ。



初夏の日差しはやわらかで、ひなたぼっこをするのにうってつけ。
しかしそれは行動が制限されない自由の身である条件が前提で、ですね。
「ふぅ」
顔を上げてハンカチで汗を拭います。ついでにギシギシと凝り固まった腰を伸ばし空を仰ぎます。
額の上にかざした手を透かして、元気な太陽が見えました。

植物の育成に日光は必要不可欠なもの。たっぷりと日差しを浴びせる為に、辺り一面障害物は皆無なのでした。
日陰ゼロ。
太陽エネルギー直射でした。
まだ午前なのにすでに暑い。
インドア派にはまぶしすぎる世界です。
じりじりと弱火で炙られているお肉の気分。
ひなたぼっこに最適な日差しも、こう強制的に浴びせられ続けますとね……。
しかも苺は若干低い位置にあるのです。胸から下あたりに。
台座を組んで地面から浮かせてあるとはいえ身を屈めた作業を強いられます。
たまにこうして腰を伸ばしますが、気休めにもなりゃしません。
人より高い身長を持つわたしは苦労も人より多いではと思えてきました。
明日以降にも残りそうな肉体的ダメージを蓄積させています。
食べてる間は気にならなかったのになぁ。

「……あついわ」

おっと。
無意識に声が出てしまったのかと思いました。
わたしの心の声を代弁してくれたのは、隣の列で収穫作業をしていた赤いリボンのお嬢さんのようです。同じように手を休め束の間の休息をとっていらっしゃいました。
呟かれた本音に釣られたのでしょう。近くで作業をしていた少女たちの視線が彼女へ集中します。
ちょっと非難がましい視線が。
そう、誰もが辟易していたのです。
はじめは弾んでいた声も苦痛を訴える声に変わり、うめき声、そして無言に……。
いつしか暑いと声に出すことが禁忌であるかのように辺りを沈黙が支配していました。
声に出してしまうと余計につらくなってしまうものです。不思議ですね。
彼女はいま暗黙のルールをやぶってしまったのです。

視線が寄せられて赤いリボンのお嬢さんは慌てて作業に戻りました。
心中察します。
わたしももう一息がんばりましょう。

≡≡≡

収穫作業を終えたわたしたちを待っていたのはつかの間のお昼休憩。
農家さんがサンドイッチとスープを用意してくださいました。
ありがたや。
みなさんおしゃべりも少なく食事に集中しています。
かく言うわたしも欲望のままに口を動かし続けました。
満腹で苦しくすらあった胃はすっかり空っぽに。
いただいた昼食がとても美味なのもあって止まらないやめられない。
自家製キャベツのサンドイッチ、たいへんおいしゅうございました。
コンソメのスープ、疲れた体に染み渡るようでした。

エネルギー充填完了。
食後のお茶を飲み終えて休憩もおしまいです。
全身をどんよりと支配していた疲労もだいぶマシになりまして、最後の大仕事へと取りかかります。

≡≡≡

わたしたちの前に大きな鍋が鎮座していました。
魔女の大鍋。
そんな表現がぴったりきます。
このお鍋でシチューを作ったら何人前になるのでしょう。
災害時の炊き出しに大活躍しそう。
そんなことを自然に考えてしまうなんてサバイバル経験を積み過ぎてますね。
ですが、今回鍋に投入されるのは非常食用のお芋やにんじんではありません。

大鍋に苺をどっさり。砂糖をどっさり。
これを火にかけ、焦げてしまわないようにかき回す。
ジャム作りの始まりです。

収穫した苺の半分を加工する予定です。
これは農家さんの財産。
物々交換に出せば様々な品に変化するでしょう。
そして多くの家庭の食卓を賑わすことにもなるのです。
パンに塗って良し。ケーキや紅茶と合わせても良し。
甘くて最高のアイテムですよね。
キッチンに漂い始めた香りにもうっとりしてしまいます。
妖精さんが嗅ぎつけてきたら苺の海で泳ぎたいと言い出すかもしれません。
彼らは今回のような行事が大好物でしょうね。
お鍋の大きさに合わせて特大サイズの木ベラも彼らの好奇心を刺激しそう。
これはわたしも新鮮な気分になります。
自宅の使い慣れた料理器具とは勝手が違う。
船のオールや武器として使えそうですよ。
これを両手でしっかりと握り構えます。

一粒では小さく可愛らしい苺も、大量に集まれば巨岩並みの重量になります。
果汁が染み出てやわらかくなった苺に木ベラを差し込み底からひっくり返す。
気分はまさに苺の海を突き進む感じ。
これは腰を入れて全身全力で作業しないと後々がつらくなりそう。
甘い香りと熱気を顔面で受け止め、えんやこらと腕を動かすこと十回。
はい、バトンタッチ。
木ベラは次のお嬢さんへと受け継がれました。

「あ、熱い……熱いわ」

肌が焼けるような熱さにお嬢さんがうめきます。
太陽光とはまた違った熱が彼女を襲います。

わたし?
実はわたしは慣れっこなのでした。
趣味のお菓子作りと合わせて日常的に実践しております。
これほどの大作業は経験ありませんけどね。
苺に限らず、オレンジ、イチジク、トマトなど。
にんじんのジャムは好き嫌い克服に効果ありとも言われますね。わたしは断固拒否しましたが。
いろんな素材を加工してお菓子に利用しています。
ですが、それは秘密ですよ。
経験者にお任せと言われてしまいかねませんからね。
次の順番が回ってくるまで熱が届かない位置で肌の火照りを鎮めます。



と、まぁここまでが楽しかった休日の出来事。
お土産に貰ったジャムはシンプルにスコーンと共にいただきました。
おじいさんや助手さん、妖精さんたちにも大変好評であっという間に一瓶使い切ってしまったほどでした。

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