きみの心臓を征服 X
凛が撃たれた。その知らせを受けたのは、すでに彼が病院に搬送された後のことだった。 七瀬グループおかかえの病院に大急ぎで向かい、たどり着く。そこで目にしたのは錯乱状態の、今にもどうにかなってしまいそうなハルだった。
「ハル…凛は?」
縮めた身体を震わせるハルの背中をさすり、尋ねると、
「手術中だ」
病院の奥の上の方、赤いランプを指さして教えてくれた。か細い、耳をすまさなければきこえないような声だった。 こんなハルをみるのはじめてだ。やっぱり、凛に気をつけてと言うべきだったんだ。例え、おせっかいでも。後悔先にたたずとは、全くもってその通りである。 もう、おこってしまったことなのだ。もう、かわらないとわかっている。わかっているから精一杯祈る。俺にできるのは、それだけだ。 凛、絶対に死ぬなよ。
祈りが届いたのか、凛の生命力のなせるわざなのか、手術は無事に成功した。銃弾は、急所にはあたっていなかったそうだ。 よかった、本当によかったと思う。大切なひとを失わずにすんだ。 手術後の凛は、主人の命で彼の部屋に運びこまれ眠っている。命をとりとめたものの、いまだに目を覚まさないのだ。 ハルは夜も眠らずに、そんな凛を見守っている。
「ハル、少しは寝た方がいいよ」
「…眠れないんだ」
ベッドのそばの椅子に腰掛け、ベッドに横たえられた凛の手に、自分の手を重ねて、ハルはかぶりをふった。 無理もない。俺もほとんど眠れていないのに、ハルが平然と眠れるわけがなかった。 ハルにとっての凛は、一番大切なひとなのだ。おそらく凛も、ハルをそう思っているだろう。けっこうな時間二人をみてきた俺には、嫌でもそれがわかる。わかってしまう。
「真琴、犯人の特定はまだか?」
「今、七瀬の総力をあげて探しているけど、何も…手がかりすらつかめてないんだ。ごめんね」
「いい。おまえ謝ることじゃない」
凛を撃った犯人について、本当になにもわからない状況だ。世界中に張り巡らせた情報網があるのにも関わらず。
「しばらく外出は控えるようにする」
「そうした方がいいね」
ああ、と頷くハルの膝の上から、一枚の長方形の紙がはらりと宙を舞った。床に着地した裏返しらしいそれを、拾って表に返す。
「写真…。…こ、これって、ハルともう一人…」
写真には幼い日のハルが、見慣れた仏頂面で下を向く形でおさまっていた。そして、その隣でピースサインをきめて、八重歯をのぞかせて笑う男の子は、よく知るひとにひどく似ている。
「もしかして、凛……」
ハルはわずかに目をおよがせたが、否定はしなかった。口をきゅっとむすんでいる彼に写真を手渡す。この沈黙は肯定ととっていいだろう。
「二人は小さなころから繋がってたんだね」
俺がぽつりとこぼすと、ハルは小さく頷いた。
「俺と凛はちょうど十年前に知り合った」
「十年前?…なんで知らなかったかなぁ…」
俺はその時すでに、七瀬で働いていたというのに。
「それは当然だ。誰にも気づかれないようにしていたからな」
思えば十年前のハルが珍しく積極的に外出していた記憶が、かすかにだけどある。少しだけと言い、護衛もつけないで、昼頃ふらりといなくなっていた。夕食前には必ず帰ってきていたから、とくに気にかけてはいなかったけれど。そうか、あのときにきっと凛に会っていたんだ。 そこまで考えて、気づいてしまった。おかしいのだ。ハルが凛を雇ったとき、凛は『はじめまして、七瀬遙さま。私、松岡凛と申します』と、ハルへ恭しく一礼してみせた。それは、旧友に向けた態度とはかけ離れていただろう。ハルもハルで、短く返事をしただけだった。
「なぁ真琴、これで二回目なんだ。凛に守られたのは」
俺の息を飲む音を挟んで、ハルが続ける。
「一回目は九年前だ。交通事故から守ってもらった。車にひかれかけた俺を突き飛ばして、庇って…。そのせいで凛が……。凛は事故が原因でそれまでの全ての記憶を失った」
「だから凛は…」
「そうだ。昔の、俺とのことを覚えていない」
ハルの、透き通るうつくしい水をうつしたかのような蒼い双眼から涙があふれた。彼はそれを拭うことなく瞬きをして、凛の手を握る彼自身の手のひらにいっそう力をこめる。 その姿は、どこか覚悟を決めたようにみえたのは、おそらく間違いじゃない。
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