小説 | ナノ



メイク・コントラクト

※貴族伏見×農民八田


 人生で一番非力だと痛感したのは絶対にこの時だと断言できる。自分が情けなくて悔しくて、申し訳なかった。

 八田家は代々農業を営む家系で、農家の中では品質の良い作物を作っていると、そこそこ有名な家だった。その家の一人息子である八田美咲は、毎日一日中畑で汗を流す両親に誇りを持っていたし、自分もいつかそんな風になりたいと思っていた。親の背中に憧れ、同じ職業を目指す。特に珍しくもないその望みは叶うはずだった。あの男がいなければ。

 この時代、国を仕切るのは貴族の集団だった。
 貴族達はお金も土地も有り余る程持っているのに、その欲は留まることを知らず、農民から土地を奪い取り始めていた。八田家の周りの土地は次々買収され、そこに住んでいた人々は移住を余儀なくされたのである。
 八田家だけそのままでいる訳にもいかず、ついに魔の手は伸びてきた。

「美咲、この家とは今日でお別れだ」

「う、嘘だ…。冗談だよな!?」

 普段は明るく冗談が多い父だ。きっと今日だって。そんな細い細い一筋の希望を胸に母を見やる。母は静かに首を振って、涙を流すだけだった。

「仕方ないことだよ。相手はお貴族さまなんだ」

 いつもの活力に溢れた表情を何処かにしまいこんだ父は肩を落として窶れた顔を手で覆った。


 土地を失い農業ができない農民は最早農民ではなく、奴隷になり生きていくしかなかった。父も母も艶の良い丸顔の太りきった貴族に買われていき、八田自身もかなりいい体格の五十歳くらいの男に買い取られていた。
 毎日毎日男に雑用をさせられ、夜になると少しのパンと水を与えられて、泥の様に眠りにつく。そんな生活に八田はうんざりしていた。

 ある日命令で隣町、前住んでいた町に出かけて行った。
 男の用事を終えた八田は、気づけばかつての家の前に立っていた。家が確かにあったはずのその場所には大きな大きな屋敷が聳えたっていて、農地の面影は感じることはできない。

「ここで何してんの?」

 屋敷の門が突然ギギギィと不気味な音を出して開いたかと思えば、この家の子供と思われる少年が長い脚を面倒くさそうに動かして近づいて来る。

「きいてんだけど?口あんだろ」

 中性的で笑っていれば可愛いらしいのであろうその顔に怒りの表情を浮かべて彼が八田を覗きこんだ。
 この場所は俺達のモンだったのだと罵りたい気持ちは十分あったが声が喉から出てこない。それどころか身体から力が吸いとられていくようで、視界が霞んで揺らぐ。倒れると、そう思った時にはもう脚が動かせなかった。
 心底忌々しさのこもった舌打ちを、意識を失う間際に聞いた気がする。


 重い身体をゆったりと起こし、薄目で周りを窺うと見たこともない部屋で眠っていた。いかにも高そうな物品があちこちに配置されていて落ち着かなくなる。
 ふと脚に温もりを感じてみれば、そこには出会ったばかりの少年の頭があった。彼はベッドに寄りかかる様にカーペットに座り込んで、静かに寝息をたてている。

ーー俺は倒れて、それで…。まさかコイツに助けられたのか!?

「ん…ぁー、お前起きたんだ」


「あぁ…」

 彼は目をごしごしと擦って欠伸を堪えて八田を視界に捕らえた。

「一応助けてやったんだぜ。恩人様に礼も言えねぇのか」

「…助かった。ありがとう」

「声小さっ。まぁいいけど。…それでお前はこの家の前で何してやがった」

「見てただけだよ。いいか?ここはな、俺達の土地だったんだ。それなのに」

 彼を睨み付ける目に力をありったけのせてそう言っても、彼に怯む様子は見られない。むしろ口角を微かに上げた。

「じゃあお前が八田?すいませんでしたー。俺の家がここを買い取っちゃったから奴隷になったんでしょー」

 彼は謝罪を口にし眉を下げてはいるが、その目は八田を嘲り笑っている。そんな表情に八田の怒りは頂点にまで跳ね上がった。

「ふざけんなよ!!お前がいなければ、いなければっ…。親父は、お袋は……くそっ」

「返して欲しい?」

 八田に襟を掴まれたまま少年が尋ねる。
 彼の長い前髪のせいで表情はわからなかった。

「そりゃそうだ!!ここでもう一度…」

「いいよ。返してやる」

「は?」

「返してやるよ。おまえが条件を満たせるのならな」

 少年はくくっと笑った。





(20131005)