小説 | ナノ



となりの春歌

※モブ子目線トキ春


 あたしはマンションで一人暮らし中の大学生だ。ちなみに今は二年生。
 マンションの部屋番号は85号室。あたしの隣、86号室には誰もいない。1ヶ月くらい前までは老夫婦が仲良く住んでいたのだが、娘と住むことになったと言って出ていってしまった。おばあちゃんの方はたくさん話をしたから2週間くらいは寂しさでいっぱいだったけど、もう慣れた。
 そして、今日、誰かが86号室に引っ越してくる。


 大学からの帰り道今日は何を作ろうかってぼんやりと考えながら歩く。最近卵料理を食べていないからオムライスがいいのだけど、卵は冷蔵庫にないと記憶していた。後で買いに行くか迷っているうちに部屋の前に着いたので、鍵を取り出そうと鞄をあさる。

「あの」

 かけられた声は自分より少しだけ高い、可愛らしいものだった。鞄をとりあえず持って立ち上がり、声の主を見やる。外見も可愛い女性だった。眉より少し下で切り揃えられた前髪から覗くぱっちりした目と目が合う。

「85号室の方ですよね?…わ、わたし今日86号室に引っ越して来ました、なな…っ、いえ、……いいい、一ノ瀬春歌です」

 ぺこ。と90゜に及ぶぐらい、彼女―――ノ瀬春歌さんはお辞儀をした。丁寧な人なのだろうか。
 ともかく噛みながらも一生懸命に名前を伝え様とする姿は可愛い。

「えっと、顔を上げて下さい。…あたしは85号室の××〇〇です。よろしくお願いします」

 手を差しだし握手を求めれば、彼女は控え目にあたしの手をとり、小さな声で、

「はいっ、よろしくお願いします」

と、笑った。

「何か困ったこと有れば言って下さいね」
 あたしがそう言うと一ノ瀬さんは申し訳なさそうに眉を下げ、

「さっそくなのですが、スーパーへの行き方を教えて頂けると嬉しいです」

 あたしは取り出しかけた鍵を元の場所にしまい彼女に向き直った。


「ここがマンションから一番近いスーパーです」

 あたしは卵を買うことを決め、一ノ瀬さんに道を教えながらスーパーにやってきた。
 二人で歩いた時間はいつもより短く感じた。
 彼女とは短い時間でたくさんの話をした。彼女がいま20歳なこと(同い年だった)。とても音楽が好きなこと。少し幼い外見がコンプレックスなこと。引っ越しを親友に心配されたこと。
 一ノ瀬さんの話はどれも、学業で行き詰まっていたあたしの耳に心地よく響いた。
 買い物は二人ともスムーズに進み、ビニール袋を抱えて帰り道を歩く。
 今日の一ノ瀬さん家の夕食はスパゲッティとサラダだそうで、大量に野菜を買い込んでいた。

「そんなに野菜食べるんですか?」

「…その、旦那さんが、野菜が好きなので」

 恥ずかしそうに彼女が頬を染める。

「旦那、さん?……え、本当だ!!指輪っ。結婚してたんですね」

 初めて一ノ瀬さんの薬指に目を向けたら、煌めく指輪がはめられていた。
 彼女はいとおしそうに指輪をなぞり、

「結婚したばっかりなんです」

幸せそうにそう言う。
 あたしは結婚願望なんて皆無だったけど、彼女を見ていたら"いいかも"と思えた。


「あ!もう帰って来ちゃいましたね」

 一ノ瀬さんがマンションを見上げる。

「はい。…良かったら、また買い物一緒に行きませんか?」

 おずおずと問いかける。

「ぜひ、お願いしますっ」

 彼女が笑顔でそう言うから、あたしもつられて笑顔になった。


 * * *


From トキヤ君
Sub 引っ越しご苦労様です
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予定通りに撮影は終わりまし
た。
今から帰ります。

新しい部屋はどうですか?


From 春歌
Sub ありがとうございます
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わかりました。
トキヤ君の帰りを楽しみに待
ってます!!
ご飯作っておきますね。

とても広くて綺麗な部屋で気
に入りました。
ちゃんと隣の方に挨拶できた
と思うのですが、最初は緊張
してしまって、七海と言いそ
うになりました。
名字を言うだけなのに、なん
だか照れちゃいます。
その、隣の方はとても親切な
方なので良かったです。
(わたしと同い年の女性でし
た)


From トキヤ君
Sub (non title)
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夕食、期待していますよ。
ありがとうございます。

気に入って頂けたなら良かっ
たです。
名字を間違える君も可愛いで
すが、きちんと言えなくては
困るでしょうから、一緒に練
習しましょうか?