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涙色の約束

※CPなしの七話後捏造話


 真琴の視線に貫かれた瞬間、江はこれからなにを言われるのかわかってしまった。

ーー真琴先輩、知っちゃったのかあ。

「コウちゃん」

「はい」

「凛がまたオーストラリアに戻るって本当?」

 江は、ああやっぱりと思う。最後まで隠しておきたかった秘密がこんなに早く露見してしまった。
 真琴は疑問系で尋ねてはいるが、江にきくのは念のために確かめるといったくらいで、それが事実だと確信しかけている。

「はい。あと一週間で戻ります」

「そっか…」

 真琴はそう言ったきり言及しない。それは江にとって意外だったけれど、正直話したくなかったから、それで良かった。

「嘘だろ…」

 二人だけしかいないと当人たちは思っていたが、そうじゃなかった。教室の後ろのドアから、鞄を力なく持った遙がのろのろと入ってくる。
 江は身体から血の気がひくのがわかった。

ーー遙先輩には知られたくなかった。遙先輩だけには。

「凛は戻るんだな?」

 誤魔化しはきかないと悟り、江は力なく頷く。

「…っ」

 遙は江の首が縦にふられたのをみて、すぐに踵を返して教室から出ていこうとする。
 江は咄嗟に遙の片腕を両手でぐっとつかみ、彼の歩みをとめる。遙が振り払おうとしたが、細腕にありったけの力をこめて、江はしがみついた。

「離してくれ」

「どこに、行くんですか?」

「凛のところ」

「嫌です。絶対に行かせない」

「離せ」

「いや…。いやだ」

 だんだん腕が疲れてきて、遙を止められなくなるのは時間の問題だと感じて、江は下唇を強く噛んだ。唇がきれて血の味がする。

 凛はオーストラリアへと戻る手続きをすませ、残り一週間を家で過ごすことになっている。
 遙に勝利してからの凛はひどく優しくて、よく笑う。まるで昔に戻ったかのように。

 江は遙に凛を会わせたくないのだ。
 遙と今会えば、これからの一週間の穏やかな家族の時間はきっとなくなる。そんな予感がするから。

 遙が凛に与える影響力は絶大だ。世界で一番遙は凛をうごかす。良くも悪くも。
 今また凛が遙になにか影響を受けたら江にはどうしようもない。
 中学一年のときに凛が負った傷が、県大会で勝つことによってやっと治ったのだ。江はこれ以上傷つく兄の姿をみたくない。

「頼むから離せ」

「死んでもいや。…お兄ちゃんを奪わないで」

 江も、凛ほどではないけれど涙脆い方だ。
 大粒の涙が彼女の頬を濡らしていく。

「小さいころからずっと…お兄ちゃんは、水泳と遙先輩ばっかりだった。お父さんはいないし、お兄ちゃんも遠くにいっちゃって寂しくて寂しくて…。やっと学校は違うけど帰ってきたのに、なのに遙先輩に勝つことしか考えてないみたいで。寂しい。もういやだよ。…また遠くにいっちゃう。それまでの最後の一週間だから。その一週間すら遙先輩はお兄ちゃんをとりあげるんですか」

 遙は江が涙声で話す間、黙って目をみてきいていた。
 いい終えて号泣する江の背中を、彼は自由に動かせる片手でさすってやる。

「悪い。これで最後にするから」

 江が涙でぐちゃぐちゃの顔を上げると、遙が眉をさげて目を細めたのがみえる。

「お前のお兄ちゃんを、俺にかしてくれ」

 その言葉でさらに涙を流す江の頬を、遙がそっと拭う。

ーーお兄ちゃんと同じ、優しい男のひとの手だ。

 遙が江の気持ちを真剣に考えて、それで
も凛に会いたいと思っていること。江にはそれがわかってしまった。遙の澄んだ目から伝わってきた。

ーーずるい。ずるい。
  遙先輩が優しいから…ほら、憎めなくなっちゃう。

 江はゆっくりと遙の腕を解放して、だらりと自分の腕をおろす。
 そして、泣きながら笑顔をつくった。

「お兄ちゃん泣かせたら怒りますから」

「ああ」

 遙も笑って、それから江に小指を差し出す。

「え?」

「指きりだ」

「は、はいっ」

 江がその小指を絡めて、うたった。

「ゆーびきーりげーんまんうっそついたらはーりせんぼんのーます、ゆーびきった」

「約束する」

「はい、守ってくださいね。針千本じゃ許してあげませんから」

 涙のあとが残る笑みで、遙を江は見送った。