キスからはじめる恋愛協定
※凛女体化 ※公式とは無関係なパラレル
頭がくらくらして、燃えるように熱い。身体には力がはいらず、前に進めない。 昨日はいつも通り元気で、そんな予兆はなかったのに。これはけっこう熱が高いんだろうなあ。風邪ひいちゃってるよ。 もう立っているのも辛くて、だめだと思った時に視界にうつった紫がかった赤。なんて鮮やかなんだろう。きれい、だ。
三日前にたおれたのは記憶に新しい出来事だった。四十度も熱が出ていたらしく、気づいたら病院にいて、母親が心配そうな面持ちで自分の寝かされたベッドのすぐ横に座っていた。 なかなか下がらなかった熱は、妹と弟の看病ですっかり良くなり、今日は学校へと走っている。朝、登校する意向を知った母に"もう一日休みなさい"と繰り返されてしまい、家を出るのが遅れたのである。結局振り切って飛び出し、今遅刻しそうになりながら走っている。
時間短縮のために学校の裏門をめざしていた。時計を見ると、走るのがはやかったのかホームルームまで案外時間がある。なので、ゆったりと歩いて裏門をくぐると一組の男女の生徒たちが対面していた。男の子の方は緊張している様子で顔がこわばっていて、女の子の顔は俺からは見ることができない。 この雰囲気はきっと自分も経験したことのあるアレの現場だ。所謂告白。俺はまだ、誰かに告白したことがない。というより、恋したことがない。高校生にもなって初恋の経験すらないんだよ。
「すきなんです」
ああ、やっぱりそうだ。男の子がかわいそうなくらいに頬を真っ赤に染めている。青春してるね、なんて感想を脳内で述べて、二人の横を邪魔しないようにこそこそ通り抜ける。
「待てよ」
高すぎなくてききやすい、透きとおるみたいなメゾソプラノが耳に届いた。そして、足音がずんずんと近づいてきている。 なんだろうと考える暇もなく、俺の肩は強い力でつかまれた。頭だけで振り向くと、あの女の子が。あれ、この子は告白されてたはずじゃ。もしかして、待てって俺に言ってたのかな。
「どうしたの?」
きいてみたけれど、それにこたえは貰えなくて、変わりに彼女の顔と俺の顔の距離が縮んで行く。まるで人形のような端正な白い顔についた瞳が閉じられて、まさかと思ったらそのまさかだった。 唇が重なって、やわらかい感覚を俺につたえる。だけど、あたたかさはすぐに離れて、かわりに彼女の手が俺のてのひらをつつみこんだ。
「悪いけど、こういうことだから」
「すみませんでしたああああ」
"どういうことだよ"と尋ねたかったのに、男の子の悲鳴のような叫びにかきけされてかなわない。彼は校舎に向かって走っていき、瞬く間に見えなくなった。 でも、すでになんとなくわかっていた。俺はダシにされたにちがいない。彼をふる材料に使われたんだろう。 告白してくれた相手に、他の男とのキスを見せつけてふるって、どんなひどいやり方だよ。いまどきの女の子はみんなこうなのかな?そんなことないよね。そうだよね。俺信じてるよ。 自分にそう言いきかせたところで舌打ちの音が響く。
「やっちまったな」
いやいやいや。俺がやられちまったんですけど。
「悪かったよ」
一応悪いという自覚があったらしく、女の子はへらりと笑って謝罪した。キスして謝られるって不思議なシチュエーションだよね。
「別に、いいよ。もう終わったことなんだしさ」
「は?いいのかよ。…サンキュ」
俺の返事に拍子抜けしたのか、彼女は目を丸くしてから照れ顔でぼそっとそう言って、すたすたと校舎の中に消えていった。
今日初めてあった女の子。照れた顔が可愛い、男言葉を使う彼女。彼女が使う男言葉は何故だか違和感がなくて、どこかしっくりと耳に残った。 見たことがない子だから上級生かな。それとも下級生か。どっちにしろ、この先あんまりかかわることはないのだと思うと、ほっとするのが半分で寂しいのが半分。
そういえば今のがファーストキスだったんだよ。名前も知らない子とファーストキス。それもいいかと肯定して、空を見上げればお日さまがキラキラと輝いていた。
教室の扉の前の廊下で、壁にがかった時計を見ると、遅刻を免れたことがわかった。キス騒動があったから遅刻かとびくびくしていたけど、ぎりぎり大丈夫だった。
扉に手を伸ばしたが、見なれた背中を発見して声をかける。
「ハル、おはよ」
「おはよう。……治ったんだな」
口数が少ないハルの言葉から、心配してくれていたのが伝わって嬉しかった。 でも心配かけるのは申し訳なから、これからもっと体調管理に気を配らないとだな。
そうだ。忘れていたけど、ちょっと知りたいことがあったんだ。
「うん、やっとね。…あのさ、俺がたおれた時さ、誰が運んでくれたの?」
「知らない」
「そっかあ。ありがとう。じゃあまた帰りにね」
それもそうだった。ハルとは違うクラスだから、知っている方が変だよね。自分の教室に入って行くハルを見送って、小さなため息をついた。 ただ、気を失う前に見た色が気がかりだ。うつくしい色。あれは何だったのか。 ぐるぐる考えていると、今朝見た彼女の髪の色が急に浮かびあがる。きれいな紫がかった赤い色をしていた。 では、彼女がたおれた俺に気づいて、先生に伝えてくれたとか。違うだろうなあ。体調が悪いせいで記憶違いでもあるかもしれないし。 こたえに辿りつきそうでつかない思考は、チャイムの音で遮られる。 やばい、遅刻になっちゃう。俺は勢いよく、扉をがらりと開け放った。
「あ、橘くん」 教室の中心で多くのクラスメートに囲まれていた女子が、かん高い声をあげて俺に向かって小走りでよってくる。普段はほとんど話さない子だから、めずらしい。 担任の先生は遅れているみたいで、まだ姿は見えなかった。
「ねぇねぇ、松岡さんと付き合ってるってほんと?」
「へ…松岡さん?」
きき覚えのない名前に頭をひねっていると、突然息ができなくなって苦しさを感じた。後ろから誰かに、顔の下半分をおおわれてしまったからだ。顔にそえられた両手は、自分よりふたまわりも小さくて、柔らかい。
「そうそうそう。俺たち付き合ってるんだって」
この声には覚えがあった。ついさっき、きいたばかりなのだし。 付き合ってるって何?とか、何で君がここに?とか、ききたいことは溢れているんだけど、とりあえず酸素がほしくて女の子の手を痛くないようにつかみ、引き離す。 息を整えて振り向くと、やっぱりあの子が後ろに立っていた。
「君は…」
「ちょっと面かせ」
いくら先生が来てないとはいっても、今はホームルームの時間だから少しためらいはあるが、彼女の話が気になって、誘導されるままに廊下に出る。
「どうなってるの?」
「クラスの女子にキスを見られてたみたいで、誤解されてる」
「そう、なんだ」
あれ、彼女、肯定してたよな。付き合ってること。 怪訝そうに見つめると、彼女は腕組みをといて、腰に手をあてる。
「俺、モテるんだよ」
「う、うん」
唐突すぎて、返事をするのがやっとだった。こんなに堂々と自分がモテると宣言する人が過去にいただろうか。もう、嫌味を通り越して清々しいかも。
「だから、恋人ってことにさせてもらった」
「ど、どういうこと?」
飛躍した彼女の話についていけない。なんで恋人なんていう設定が必要なのか。
「恋人がいれば、他の男にからまれなくなるはずだから」
意味はわかるけど、俺には利益が0だ。なんの得にもならない。そう、わかってるんだ。
「だから、お願い。彼女にして」
「…っ」
ずるい。こんな時だけ女の子の言葉を使う。 上目遣いで俺を見ないで。 モテるっていうのが本当で、彼女が可愛いと思い知らされてしまう。
「自己紹介が遅れたな。俺は松岡凛。三日前に転校してきた。よろしく」
差し出された手を握ると、彼女、松岡凛はにこりと笑って俺の手を握り返した。
こうして、俺と彼女の恋愛協定ははじまる。
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