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ヘリオトロープに誓って

うわ、時間ないじゃん。腕時計を睨んでも当然巻き戻ることはないんだけど、昔は寄せられなかった眉間でしわをつくって時計を睨んだ。ようはこれは八つ当たり。

暑い。今日の最高気温は何度だっけ。四十度くらいあるんじゃない?あるよ絶対。
暑いよね、夏だからね。夏らしくギラギラとお日さまが照らす猛暑日となった今日は、トキヤの誕生日だ。

俺の撮影が長引いてしまって、トキヤに会う前に自室に戻るのは無理になった。何せもう午後十一時をまわっている。
部屋に戻りたいのは、そこにプレゼントを置いてきているから。せっかく悩んで決めたプレゼントは後日渡すことにして、お気に入りの赤いスポーツカーをトキヤのマンションに向かって走らせた。
どうしても、言葉だけでも今日伝えたい。今年の八月六日は今日だけだ。


トキヤの部屋のインターホンを押すと、何度もきいたポーンと間の抜けた音が鳴った。ぱたぱたと手で顔をあおぎながら彼を待つ。夜だというのにまだまだ蒸し暑い。
もしかしたらトキヤは寝ちゃったのかも。今日はイベントで疲れているだろうから。きっと打ち上げもあったはずだし。
会えなかったらどうやって"おめでとう"を言おう。起こすのは気がひけるからな。
そんなことを考えていたら、ドアの真ん前に無意識に移動していて、開いたドアに頭をぶつけた。

「すみません。痛かったですよね」

「大丈夫だよ。こんなにドアに近づいてた俺が悪いし。…それよりトキヤ、おめでとう」

「ありがとうございます」

暗闇で見えなかったけれど、トキヤが笑う気配がした。


トキヤの部屋のテーブルに向かい合うかたちで腰掛けて、出してもらった冷たい麦茶を口に運ぶ。

「ごめんね、今日プレゼント渡せないんだ。でも、家にあるから今度渡す。一週間後の雑誌のインタビューの時にでも」

「いいんですよ、気にしないで。気持ちが嬉しいです、本当に」

「お前はもっと欲張りでもいいよ。欲が無さすぎて心配だよ」

トキヤの唇が音を発することなく動く。そんなことありません、と。
それには俺は気づかずに、さっきから気になっていたことを口に出す。

「さっきさ、インターホンで返事なかったけど、ちゃんと相手俺だって確認した?」

「いいえ」

「だめだよ。変な人だったらどうするの?トキヤは細いし軽いんだから、すぐさらわれちゃいそうだ」

そういえば、玄関へ走る前に相手を確認しなさいと俺に教えたのはトキヤだった。立場が逆転してるのが少しおかしい。
彼も同じことを思ったのか、くすりと笑っていた。

「確認するべきでしたね。でも今日は許してください。音也がくるってわかってましたから」

「今回は会う約束なかったのに?」

「はい。神さまが教えてくれたんです」

「ロマンチックだね。トキヤはリアリストなのにロマンチスト」

「はじめて言われました。なかなかあたっているのかもしれません。……もちろん神さまは冗談で、ただ、あなたに祝ってもらいたくて…私が待っていただけなんです」

トキヤが照れたように笑って、恥ずかしいのか下を向く。でも、すぐに俺の方を見て、笑った。うつくしいと思った。
こんなトキヤ知らない。俺の知ってる今までの彼はこんな顔して笑わない。

「音也」

「なに?」

声が震えた。クーラーのついていないトキヤの部屋は暑いのに、冷や汗が背中をつたう。
呼ばれた名前が自分のものじゃないように錯覚してしまった。
心臓の音がはっきりときこえる。どくんどくんと大きなその音が、彼に届かなければいい。

「やっぱり今日、プレゼントをいただいてもかまいませんか?」

「お、俺……自分の部屋にっ…」

「わかってます。だから、一つお願いをさせてほしいのです」

「…いいよ、どんなお願い?」

いつもだったら、"トキヤのお願いならなんでもきくよ"とか、そんな言葉がすらすら出てくるんだけど、今は許可の内容の問いかけをするのがやっとだ。

「今から言うことを忘れてください」

トキヤはひどく真剣な目をしていた。この顔は、五年前の俺が告白した時のトキヤに似ている。あくまで似ているのであって、どこか違うのだけど。
YES意外は認めないと言わんばかりのその目に、半分気圧されるかたちで俺は首を縦に一度ふった。

「私、あなたに一つだけうそをつきました」

彼は話を区切って、そして胸に手をそえて深呼吸をした。
それはこころをかためる様であり、落ち着かせる様でもあった。

「あなたのことが好きなんです」

うん、と相槌を打とうとして、声が出なかった。出せなかった。
この人は今なんと言ったの。

「本当はずっと好きでした」

頭がショート寸前の俺に追い討ちをかけるように、彼が続けて言葉をつむぐ。

「学園時代の私は、今よりはるかに臆病でした。あなたを想っていたのに、怖くて告白に良い返事ができなかった。"好き"に押し潰されてしまいそうで、おびえて気持ちから逃げたんです。無理矢理これは友愛だと決めつけて、きれいごとを並べて」

トキヤの眉が申し訳なさそうに下がった。"ごめんなさい"がきこえる。

「あれから時間がたち、その間私なりに考えてきました。気持ちの整理がついたとは言えませんが、今日あなたと話して言いたくなってしまったんです。今ならきっとこの想いに向き合える気がして」

「トキヤ」

「これは、私のわがままです。あなたの気持ちも、もう変わってしまっただろうとわかっているのにこんなことを言って。…しょうがないですね。明日にはすっかり忘れていてくださいよ、音也」

嬉しい、たまらなく嬉しかった。だけど、同じくらいムカつきが身体の中でふくれていた。

「お前はわかってない。俺はずっと、今もトキヤが好きだよ。好き、大好き、愛してる。だから、今の言葉を忘れない」

好きになって、ふられてもずっと好きで、やっと相手から言われた"好き"を忘れるなんて、とてもじゃないけどできそうにない。

「俺の気持ちは変わってないし、トキヤだって一緒なんだろ?だったら、忘れる必要ないよ。ずっとずっと忘れない」

だからプレゼントはキスでいいよね。


「ねぇトキヤ、俺のこと愛してる…?」

「愛していますよ」

うつくしい、笑顔。トキヤの笑顔が好きだ。この世界で一番、この人が好きだ。
何が変わっても、これだけはずっと。

瞳を閉じた彼にゆっくりと顔を近づけていく。
キスまであと三秒。

きみが、すきだ。