小説 | ナノ



アマリリスの笑顔

俺には好きなものがいっぱいあった。
いつも身に付けているロザリオ、星のマークに英語のロゴが入ったかっこいいTシャツ、中学の時の友達に貰ったお土産のストラップ。他にももっともっといっぱい。友達ひとりひとりも大好きだし、身のまわりの生活用品や文房具も大切。
いっぱい好きなものがあるなかで、いつだって不動の一位に君臨してきたのは音楽だ。うたであっても楽器であっても、俺につたわってくる音の波は数えきれないワクワクをくれる。俺は音楽を、生まれてから十五歳になるまで一番にあいした。
そんな俺はうたでみんなを魅了するアイドルになりたくて早乙女学園に入学を決めた。必死に受験のために机に向かっていた時は、音楽よりも好きなものができるなんて想像もつくわけなかった。これからずっと、一生音楽が一番好きだと思っていたんだから。

結論からいうと、学園に入ってから音楽より大好きで大切なひとができた。
俺の心のなかの頂点に、音楽を踏み台にしてのぼりつめた彼、一ノ瀬トキヤという人間はとてもうつくしいひとだった。涼しい色の中に、夜空の星を散りばめた様な瞳をした切れ長の目。鼻筋の通った高い鼻。柔らかそうな薄い唇。シャープなラインを描く輪郭。手入れの行き届いた艶々のちょっと跳ねさせた黒い髪。男にしては薄く細いのに、きちんと鍛えられているスタイル抜群の身体。トキヤを形作るパーツ全部が彼のためにつくられたのだというばかりに整っていて、うつくしかった。
それでも一目惚れをしたんじゃない。そのうつくしい容姿ももちろん好きなのだけれど、それよりもっと、彼の笑顔が好きだ。唇の端を僅かに上げて、優しく目を細めて微笑むトキヤを俺は好きになった。


最初にトキヤが笑顔を見せてくれたのは学園で同室者として出会ってから一ヶ月もたっていなかった四月十一日。俺の誕生日の日だった。
いつも忙しそうにしていたトキヤが俺の帰って来る時間に部屋にいたのはこの日が初めてで、部屋の扉をあけてからまばたきを数回繰り返した。

「何ですか?そんなに驚いた顔をして」

「トキヤがいるんだもん」

「たまには私も早く帰りますよ」

「やっぱりトキヤがいた方が明るくなっていいね!!…ん?いい匂いがする」

大好物の香りがしてテーブルを見れば大当たりだった。二人分のカレーライスが湯気をたてていて食欲をそそる。

「カレーじゃん」

「他に何に見えますか。カレーです」

「えっと、どうして急に?」

料理を作って貰えたのもこの日が初めてで、彼が料理上手なことを知った日でもあった。

「あなたが今日が誕生日で、カレーが好きだと言っていたから…」

「それで、作ってくれたの?」

「えぇ、まあ。同室なのですからお祝いくらいしますよ。…おめでとうございます、音也」

出会ってから今までこっちを見向きもしないから、俺のことなんて何も気にしてないと思っていたのに、トキヤは初対面の時の挨拶を覚えてくれてたんだ。『俺、一十木音也。四月十一日生まれの牡羊座、O型。好きな食べ物はカレーだよ。よろしくね』そう高らかに声を張り上げた俺に『そうですか。私は一ノ瀬トキヤです』と、彼は素っ気なく返すだけだった。それなのに、ちゃんと聞いててくれて、覚えてくれていて、しかも祝ってくれた。
俺はもうめちゃくちゃ嬉しかった。

それから急いで手を洗ってうがいして席について食べたカレーの味は見た目に違わず美味しかった。食べたことのあるどんなカレーより、だ。

トキヤに美味しいってことと、何よりありがとうを伝えようと顔を上げたら、彼の顔が目に飛び込んできた。普段は難しい表情をしているうつくしい顔が、笑みを浮かべている。

「そこまで美味しそうに食べていただけると嬉しいです」

そう言うトキヤの声はあったかくて、優しくて何だか涙が出そうになったのは秘密にしとく。

「ねぇトキヤ、来年もまたカレー作ってくれる?」

「かまいませんよ」

「ほ、ほんと?」

「はい。私は嘘はつきません」

約束ですと笑うトキヤを見た時にはもう、好きになっていた。この笑顔をそばで見ていたいと、守っていきたいと誓いをたてた。