小説 | ナノ



手を伸ばした。欲しいの

「伏見君、ここに書いてある『つい路地裏で寝てしまい気付いたら朝に……』とは、何ですか?」
「何って、そのままですが」
あの後セプター4に帰った伏見は淡島にこっぴどく叱られ、始末書を宗像に提出していた。
我ながら酷い言い訳だとは思うが、良い弁解を考え出せるほど頭は働いてくれなかったのだ。
「…仕方ありませんが受理しましょう。君を見回りに行かせたのは私ですからね」
「どうも」
無理に詮索されず正直助かったと思うと、不意にパズルのことが浮かんだ。
「…室長、パズルです」
歩み寄りジグソーパズルを差し出せば宗像が受け取りほぉと目を光らせた。
「ありがとうございます。……空…の絵柄」
その反応に対し、ふっと笑う。
「私への挑戦ですか?」
「そんなんじゃないですけど、室長が苦戦したらいいなとは考えて選びましたよ」
ほぼ同じ様な青が使われたパズルは、ピースを見分けるのがめんどくさそうだった。
今度は宗像が笑った。
余裕の笑みというやつだ。
この人のこの笑い方は心底嫌いだと思った。
「いいでしょう、完璧に完成させて見せます。すぐに取り掛かりたいところですが生憎仕事があるので終わったらですかね」
パズルを机の端にゆっくりと置いた宗像は表情を変えずに目を合わせてきた。
「?」
「お金、少しは余りました?」
「余ったけど、俺が全部使っちゃいました」
「おや、意外ですね。使っていいとは言いましたが、伏見君は私に返すと予想していたので」
俺はお金への欲が薄そうな顔でもしているのか。
「ちょっと買いたいものがあったんです」
「そうですか。気にならなくはありませんがこれ以上きくのはやめましょう。一応、伏見君にもプライバシーがあるのでね」
「はぁ」
一応は余計だが、きかれなくて良かったとは感じる。
軽くではあるが、嫌な予感がした。
失礼しましたと部屋を出る。
扉の向こうで宗像はメガネのブリッジを上げた。
「嘘だとわかって追求しないなんて、私は甘い、ですかね」
また、伏見の嫌いな、あの笑い方だった。



「なんだかんだで猿んこと気になるんか?」
「なっ、違います」
大声で抗議する八田の顔には『気になる』と書いてある様で、草薙は可笑しさを堪える。
「俺は猿なんて嫌いっす」
『嫌い』ね。
だったら、何でそんな顔するんや。
八田の目からは怒りと悲しみが見てとれた。
素直やないわなあ。
「それは違うやろ」
「……っ!裏切者なんだから嫌いっすよ」
吐き捨てられた言葉は自分に言い聞かせる様で。
「裏切者、か」
タバコの煙と共に草薙の呟きは空に消える。
「猿比古なんかより、あいつは無事なんすかね?」
話を反らそうと、八田は無理に明るく話題を変えた。
「あいつ?……ああ、あのべっぴんさんやろ。無事だとええなあ」
伏見の話をこれ以上して、八田の機嫌を損ねるのは嫌なので、新しい話題に乗ってやる。
数日前出会った秋山という少女が気になるのもまた事実であった。
「はい。また変な奴に絡まれてなきゃいいけど」
心配そうにため息をつく姿はまるで…。
「八田ちゃん、惚れたんか?」
まさかなぁ。
出会ってまだ間もないのにそれはないかと思い直したが、必要なかったようで、八田の顔は湯気が出そうなほど赤く、熱そうだ。
「そそそ、そんなこと……。気になるってだけっすよ」
そんな赤い顔では説得力は皆無。
まだ恋までは届かない想いでも、それが恋になるのにそう時間はいらないのだろう。
「応援したるで」
「だから、草薙さん、そんなのいいって言ってんじゃないっすか」
必死に反論する八田を見ていると、子供を見守る父親の様な気分になる。
出会ったばかりなのに、不思議と懐かしさを覚えてしまう、少女を思った。
八田ちゃんをよろしゅうな、なんて気が早いやろか?



来るんじゃなかった。
伏見はHOMRAの前で盛大な舌打ちをかますと来た道を辿りだす。
また女物の服を着用し、ケーキを持って来ていた。
この前のお礼という名目で来たのだが、八田のことが気になったのが本心だ。
でも、別れ際の八田の様子を思い出して後悔する。
今美咲に会って何ができるって言うんだよ。
歩くスピードを早める。
急に肩を掴まれた。
「秋山っ、お前HOMRAに来たんじゃねーのかよ?」
八田だ。
走って乱れた息を整えている。
どうやらHOMRAの前にいた所を見られていたことが台詞からわかった。
「……そう、です」
舌打ちは飲み込み、ポツリと返すと八田の眉が驚いた風に上がった。
「店に入らなくて良かったのか?」
「良くはなかったですけど……」
伏見が言うと八田の頭の上にクエッションマークが浮かんだ気がした。
じゃあどうしたんだ?、と言いたそうな目でこちらを見てくる。
…ほっといてくれよ。
「入りにくかったんです」
目の前にケーキの箱を突き出してやった。
「!…箱?」
「この前のお礼です。ケーキ、みなさんで食べてください」
「ぉ、おう。わざわざ悪いな」
手に箱を持たせ、それじゃあと百八十度反対を向き、歩きだそうとすれば、
「ちょっ…、待てよ」
「……用事でもあるんですか?」
「用事はないけど…せっかくなんだし、寄ってこーぜ?」
八田の少しだけ赤みをおびた頬をを見て自分も恥ずかしさが込み上げた。
童貞のクセに。
伏見の断るという選択肢は何処へやら。
小さく頷いた。



HOMRAに草薙はおらず、櫛名が椅子にちょこんと腰かけているのみだった。
彼女は背もたれに寄りかかり、規則正しい寝息をたてているところだ。
八田が好きに座れというので、つい癖であのカウンター席に腰かけてしまう。
「その席…」
しまったと思っても、もう遅い。
「いや、なんでもねぇ…。昔を思い出しちまっただけだ」
ギリ、と歯が音を立てた。
やっぱり、やっぱり来るんじゃなかった。
何で俺がこんな感傷的な気分になんなきゃなんねぇんだよ。
「……それより、何か飲むか?」
「…すいません、お願いします」
八田が視界から消えたのを確認してため息をつく。
「不幸になっちゃう…」
「は?」
後ろからの声に驚いて振り返ると櫛名が椅子に腰かけたまま、眠そうな目でこちらを見ていた。
「ため息、ついてたから」
「……」
「戻って、来ないの?」
やはり櫛名はここにいる女が伏見猿比古だとわかっているらしく、すました顔できいてくる。
この場合の"戻る"は赤のクラン、即ち吠舞羅にという意味なのだろう。
「ちっ……戻れねぇよ」
伏見は吠舞羅の裏切者で青のクランズマン、セプター4の一員だ。
「じゃあ、もしも、仲直りしたら戻ってくる?」
言わずもがな八田と、であろう。
「それでも、戻らねぇよ」
自分が即答出来た理由がわからなかった。
八田と仲直りして、他の皆がいいと言ったとして、それなのに戻る気はしないのだ。
「……」
櫛名は理由を問うことはなかった。
伏見は自分でもわからない答えを、この小さな少女に見透かされている気がして、舌打ちする。
「はぁ」
二度目のため息は静かに響いた。
「…また寝んのかよ」
何も言わなくなったと思えば、一瞬の間に再び彼女は寝入っていた。
カウンター席に座り直すと足音が八田が近づいて来たのを教えてくれる。
「これでいいか?」
テーブルにパックジュースが置かれた。
「いちごみるく…」
自分にこれを渡されたのは初めてで可笑しさで笑う。
「…笑うなよ。それ、嫌いか?」
「そんなことないですよ」
「なら、いいけど。…そうだ!開けてもいい?」
伏見の持ってきたケーキの箱を八田は指差した。
「どうぞ」
慎重に開けられた箱の中にチョコホールケーキが顔を覗かせた。
「ホールケーキじゃんっ」
人にケーキをあげたことは今までになく、何を買っていいか迷い、結局ホールケーキにしたのだが駄目だったのかと不安で表情が曇る。
だが、そんなことはなく、八田は嬉々として、ケーキを切り分け出した。
皿を二枚用意して、それぞれにケーキを乗せてそのうちの一つを伏見の前に置いた。
「え…?」
「一緒に食おーぜ」
当たり前の様に言われて戸惑う。
「これはお礼に持って来たので…」
「お前は俺達にくれたんだろ?」
首を縦に振れば、八田がにっと笑う。
「だから、これは俺達の物だ。それを俺がお前と食べようと自由じゃねーか」
美咲にはかなわない。



あれほど苦手だった女とケーキを共に食べているという状況に戸惑いつつも、こいつならいいかなんて思い始めた八田は隣の少女を盗み見た。
彼女は黙々とケーキを食べ進めていて、向けられた視線に気付く由もない。
可愛い、と思った。
何考えてんだ俺は。
女性を見るだけで、妙な苦手意識から、鼓動が早まることはよくあっても、可愛いなんて思うことなどなかった。
『惚れたんか?』
草薙の言葉だ。
まだわからねぇよ、草薙さん。



食器を並んで片付けるなんて変な気分だった。
でも悪くない。
伏見は皿の水を拭き取りつつ、考えていた。
「片付け完了ーっ、ありがとな」
「いえ」
二人でカウンター席に戻ったところで、唐突に八田は切り出した。
「こ、…恋ってどんなもんなんだ?」
口を押さえる。
素で笑い出してしまいそうだった。
つくづく、美咲はわかりやすいな。
わかってしまった。
八田は伏見の作り上げた架空の女に恋をしているのだと。
「相手と同じ世界を見ていたいと思うんです」
伏見の答えは今も昔も同じだった。
八田とずっと同じ世界にいれたらどれだけ良かったか。
もうそんな感情は封じたはずだったのに、なんで今になって。
「…同じ世界、か。わかるかもしんない。ま、俺が恋したって駄目だろうけどな」
諦めた様に笑う八田の表情が自分のものと重なった。
「女に好かれた試しもねぇしさ。俺を好く奴なんて相当な物好きだぜ」
咄嗟に口が動いた。
頭の中で『言うな』と声がしているのに。
「じゃあ、私はその"物好き"なんでしょうね」
「え……」
視線が交わる。
切なさを噛み締めて笑った。
「好き」
知ってるよ。
お前が好きなのは俺であって俺じゃない。



結局は前とほぼ同じ別れ方な気がする。
逃げ帰る足取りは重かった。
「ちっ」
馬鹿みたいだ。
「俺はホントに……美咲が好きなんだな」



淡島は扉の前に立ち、二回ノックを繰り返す。
「室長、淡島です」
「どうぞ」
宗像はパズルに熱中していて、目線はそれに向けられたままだ。
「…そのパズルは……」
どこかで見覚えがあるパッケージなのだ。
「これですか?先日伏見君が買って来た物ですよ」
パズル、伏見。
二つの単語を頭の中でぐるぐると回す。
「あぁ!」
HOMRAだ。
伏見が行方不明になったあの日、HOMRAで確かにこれを見た。
店にいた女性客の荷物であろう袋からそのパッケージが覗いていた。
これは偶然と言えるのか。
「室長……。伏見君はもしかして―――――――――――――」
静かに宗像は頷き、顔を上げた。
「淡島君もそう考えますか」
「やはり伏見君は…」
「ええ。あの日私は伏見君に見回りがてらパズルを買って来る様頼みました。建前はそうだったのですが、彼の疲れをとる狙いがあったのです。伏見君の疲れがたまっていた様に見えたので気分転換にと」
パズルのピースをひとつはめて、続けた。
「彼は一日帰って来なかった。」
淡島が宗像の言葉に頷く。
「翌日の朝まで連絡は一つとしてなし。そして、明らかに虚偽のある始末書」
生唾を飲みこみ、次の言葉を待った。
「これは―――――――――」