彼女の定義と勘違い
「猿比古なんて大っ嫌いだ」 そんな言葉と共に、乾いた音がパァンッと響く。伏見にはその音が何か一瞬わからなかったが、頬に痛みを感じたことで自分がひっぱたかれたのだと理解した。 八田はそんな伏見の前で大粒の涙をぼろぼろと溢し、大嫌い大嫌いと繰り返している。 「美咲…俺が何かしたのかよ」 伏見には八田の怒りの理由も、涙の理由も検討すらつかなかった。悪いことなどしたはずがない。何よりも八田を優先してきたと自負している。それなのに、どうして。 「何かしたかだって?そんなこともわかんねぇのかよ…。この浮気モンがぁ」 「は?浮気なんかしてねぇよ馬鹿美咲っ」 逃げ出す様に走り出した八田の背に声を飛ばしたが、彼が振り返えることはなかった。
「馬鹿はそっちだろ馬鹿猿比古ぉ」 泣きながら歩く俺を、周りの人達が怪訝な目をして見てくるが、そんなことは気になりはしない。ただ、頭の中で猿比古を思った。まさか浮気されるなんて考えてもみなかったんだ。俺がうざいとか言ってもつきまとってきて意地でも離れないアイツのことだから。いつも恥ずかしいくらいに、好きだと何度も言っていたのに。今でも信じられない。猿比古は確かに女にモテてた。悔しいけど綺麗な顔してると思うし、背も高い。それに声も綺麗だ。だけど見てしまったものはしょうがないんだ。俺は見た。猿比古が女と歩いているところ。
「あら、八田美咲じゃない」 アルトの声に顔を上げると、ツンドラの女が青服で立っていた。周りに部下はいない様で、彼女は一人だ。 「目が赤いわね。伏見君と何かあったの?」 「な、何にもねぇよ」 「あら、そうなの?私の勘は伏見君関係のことだと言っているのだけれど」 この女の勘が鋭いのか、俺がわかりやすい人間なのか、全くもってその通りだった。 「…」 「やっぱり伏見君なのね」 沈黙は肯定ととられたらしい。 「なあ…、さ、サルに…かかか彼女、とかいんの?」 「彼とそんな話はしたことないから確かな情報じゃなくて申し訳ないけれど、いないはずよ」 「そ、そうか。じゃあ…アイツが昨日誰と出かけてたかわかるか?」 「それはー」 「美咲」 ツンドラの女の声を遮ったのは、ちょうど話されていた猿比古だった。 「サルっ」 「どういうことだ美咲?…俺は浮気してないんだけど」 「伏見君、彼は誤解してるみたいよ」 「誤解?」 話が見えたらしいツンドラは、俺に視線を合わせた。 「あなたは昨日伏見君が女性と歩いているのを見て、その女性と彼がお付き合いしていると思った。違うかしら?」 俺が二度縦に首を振ると、ツンドラは笑ってから自分の髪に手を伸ばす。そして、二つに結ってあった金の髪をほどいた。 「あなたの見た女性は私じゃない?」 一瞬目を疑った。髪をおろした女の姿は、纏っている服こそ違えど、昨日見た女にそっくりだ。 「あんたがサルの浮気相手か!」 俺が真剣に言った途端、猿比古がくくくと笑い出した。 「ほんっと馬鹿だな。俺は死んでも副長みたいなのとは付き合わねぇよ」 「心外ね、私も伏見君みたいな人は願い下げよ」 「……だったらどうして昨日…」 「あのな、美咲。男女が一緒に歩いているからと言って、必ずしも付き合ってる訳じゃないぜ」 「そうよ。昨日私は、伏見君と餡子の買い出しに行っただけで、あなたの思う様な爛れた関係ではないわ」 「っ!何なんだよもう」 完全に誤解だったとわかり、恥ずかしさと申し訳なさから再び駆け出した。
「美咲見っけた」 「猿比古!…ごめん」 「気にしてないけど。てか、俺が浮気なんてありえないだろ」 「……お前モテるし」 「モテようが、なんだろうが、俺にはお前しかいないんだよ」 「…ごめん」 「もう謝んな」
伏見は八田の額にキスを贈った。
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季結様 切甘にならなくてごめんなさい。もっとマシな話が書けるように努力します。リクエストありがとうございました。
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